時野実

第1話

ヤンキーやってたころの話をしようと思う。

ある日のある晩、僕の先輩は、僕の眼前で天高く五メートルほど宙を飛び、二十メートル先の電信柱に鯖折りを喰らって昇天した。先輩はめちゃくちゃグダグダの漫画みたいにじれったい恋愛の末にようやく彼女をつくったばっかりだった。

頭を刈って教師たちに誠意を見せ、校長が判子を押した教習所に通ってもいいというくそダサい許可証を首から提げて、試験に2回も引っかかったけれどもどうにかこうにかバイクの免許を取得して、ヘルメットをしっかりとつけ、カタツムリみたいな安全運転でのろのろと車道を走っていた先輩は、居眠り運転中のボケたジジイに撥ねられて驚くほどあっさり逝ってしまった。

カタナに乗ってたら避けられたのに、先輩が乗っていたのはカブだったのだ。

先輩は愛車を売っていた。バイク乗りをやめてパートのおばちゃんが乗るようなショボい原付に乗り換えて、スーパーの倉庫でジャガイモやカボチャを担いで働いていた。カツアゲで日に五万は稼いでいたくせに、時給八百円で働いていた。何もかもが理不尽だった。




スーパーカブは本当の本当におそろしく頑丈な乗り物である。

僕は事故った原付で走り出した。

ちゃんと走った。傷だらけのスーパーカブは、どこも壊れていなかった。




絶対に近寄ってくるんじゃねえぞ、あいつに線香をあげていいのはちゃんとやってる生徒だけだ、と教師にオドされていたため、僕たちは先輩のお葬式にでられなかった。

ふざけないでほしい。先輩に線香をあげていいのは線香をあげたい連中だけである。

「みちるちゃんが教えてくれたんスけど……」

ライターの蓋を開けたり閉じたりして暇潰しをしていたら、後輩のひとりが、ふた月前まで女子大生だった新米教師の名前を出して僕に言った。

「時野先輩、ガキがいるって……ゴリ旗とか、高階のハゲとかに、休学手続きのやり方聞いたり、就職先の相談、してたらしくて」

ライターの蓋を閉じた。誰からパクったものだか忘れたが、前歯より上等な戦利品はこれだけである。

蓋を開けた。閉じた。訳もなく、涙があふれた。何もかもが理不尽だった。




7月の、ある火曜日、僕は学校に行く道に背を向けて、休学中の彼女とデートに行った。

理由は2つ。先輩の四十九日の法要があったことと、何があっても日が暮れるまでに彼女を家に帰すという僕の個人的に立てた誓いを守るためだった。

待ち合わせ場所に現れた彼女は黒のワンピースに白色のカーディガンを羽織っていた。靴は学校のものだった。僕は東洋カープの野球帽、刺繍風の錦鯉が描かれた派手な柄のプリントシャツ、ダメージ・ジーンズ、黒色のスニーカーという恰好をしていた。カッコいいね、と僕は言われた。自分の服装のみっともなさを、僕は恥じた。

手は、握ることができたのだけれど、僕は彼女のどこにいればいいのか分からなくて、歩き出すことができなかった。情けないことだけれども、僕は彼女に、僕の居るべき場所を尋ねた。

彼女は言った。

「それは貴方が決めるべきです」




あの事故の日、僕は警察も救急車も呼ばないで、彼女の家に、先輩のカブで突っ込んだ。ほとんど転倒に近い形で原付ごと玄関扉の前に滑り込んで呼び鈴を鳴らした。即死じゃ何の意味もない。でも、僕は、彼女を早く先輩のところに連れて行かなくてはいけないという使命感に駆られていた。その時の彼女は寝間着を着ていて、髪の毛を束ねて眠る準備を整えていた。

「大丈夫ですよ! 先輩、元気だから!」

事情なんて何も説明していないのに、一言目に出たのがそれだった。僕は間違いなく阿呆だった。

現場に戻って、病院の場所を教えられて、僕が彼女を先輩のところに連れていくことができたのは、先輩が死んでから四十分も経った後だった。

脳天を金属バットでぶっ叩いて障碍者に仕上げたガキとその両親。

カツアゲで二百万は巻き上げ金が尽きたら小屋に連れ込んでイタズラを繰り返したいいとこのお嬢さんとお付きの弁護士。

教師。警察。裁判官。

誰に対してもしなかったことを僕はこの時初めてやった。首を吊って詫びろと言われればするつもりだったし、腹を切れと言われれば切ることもできた。許してほしいと、心から思った。誰に憎まれても平気だったが、この人からは、許してほしいと強く思った。彼女から先輩を奪ったのはボケた白痴の爺ではなく僕なのだ、どんくさい判断ととぼけた行動で先輩の死に目に四十分も遅れてやってきた僕なのだ。




デートの日から三日後、停学になったついでに、学校を辞めた。ボス猿が死んで弱っている連中を叩き潰すと息巻いていた連中を体育倉庫から借りてきた運動マットで簀巻きにして川に流したせいである。

殺人未遂で捕まるところだったのを、一度だけだという断り付きで、彼女の父親に助けてもらった。一度だけよという断り付きで、僕は彼女に、助けてもらった。先輩が彼女に一度でも助けられたことがあっただろうかと僕は思った。




遠くへ。

できるだけ遠くへ。

彼女からなるべく離れたところが、僕の決めた居場所である。

僕は僕の居場所を自分で決めた。

彼女とはもう手を繋げない。

真剣に、そう思った。

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時野実 @dxtaroumaru

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