神の娘 5

 カイは街の中をあてもなくさ迷い歩いていた。

 とにかく父と話をしたかった。だから父が待つ家に帰りたかったのだが、策も無く家に向かったところで、父に会えるかが判らないのだ。

 白鎧の集団はおそらく、カイをカイだと認識した瞬間、捉えに来るだろう。その後カイがどのような扱いを受ける事になるのか――それも判らない。居場所が判れば満足する程度ならば、こちらの望みを叶えて父に会わせてくれるだろうが、直接は無関係なはずのジークの現状を踏まえると、素直に希望を抱く事はできなかった。監禁され、2度と父に会えなくなる可能性すらある。

 幸いなのは、白鎧たちがおそらくカイの顔を認識していない事だった。魔物出現という混乱があったとは言え、そこかしこに見張りを立てている彼らが、まだカイを捕らえていないのは、そういう事なのだろう。困惑や苛立ちがある中で、潜伏に意識を割かずにすむのは、少しだけ気が楽だった。

 トルベッタに戻ってきた事が間違いだったのだろうか、と一瞬考える。たとえばリタと共に王都に行くなりで時間を稼げば、彼らも諦めて帰ってくれたかもしれない、と。しかしカイは首を振り、その考えをかき消した。

 ジークは今、軟禁状態なのだ。白鎧たちはきっと、数日程度で諦めはしないのだろう。彼らが居座れば居座るほど、父の健康や命が危うくなるかもしれない。

「隊長! どちらへ?」

 唐突に、空気を引き裂く大声がカイの思考を遮った。

 うるさいな、と不満を抱き振り向いたカイは、声の主が白鎧であると気付くと、必死に表情を消した。いつか顔を知られてしまうかもしれない事を考えると、彼らの印象に残りたくなかった。

 大声を出したのは、今までカイが見た白鎧の中で一番年若そうな青年。その青年が隊長と呼んだ人物は、先ほど門のところで見かけた男だった。名は、そう、確かハリスだ。

 ただ者ではなさそうだと思っていたが、隊長だったのか。納得したカイだったが、すぐに諸悪の根源がその男である事を察し、隠しきれない恨みを込めて睨みつけた。

「ジーク殿の所だ」

「ハリス隊長直々にですか? 命じていただければ、我らが」

「君たちには別件で頼みたい事があるのでな。すでにルイレに指示はしてあるが、まだ全員に連絡は行き届いていないか」

「カイ様の件で何か進展がありましたか?」

 ハリスは力強く肯いた。

 自分の名の後に様と敬称が着いている事実を気にかけながら、カイはさりげなく視線を反らす。

「おそらく、すでに街の中に入られている」

 カイは小さく身を震わせた。背筋が凍りつく思い、とはこの事だろうか。

 門の前で同じ時間を過ごしたのはほんのわずかな時間で、その間、目を合わせる事すらしなかった。当然、カイだと気付かれた覚えはない。

 何を根拠に「カイは戻っている」との予測を立てたのか。それに、出現した魔物はどうしたのだろう。退治して戻ったにしては、あまりに早すぎはしないか。

「更なる警戒態勢を敷き、追ってルイレからの連絡を待て。私はジーク殿の元に帰っていないか確認に行く」

「承知いたしました」

 部下の青年は一礼し、隊長の元を離れていった。

「いや、待ってくれ。君には別の事を頼みたい」

 ハリスは部下を呼び戻すと、あたりに聞こえないよう声を潜めて指示を出して、再び部下を見送る。それから、涼しい顔をして歩みはじめた。カイたち親子が暮らす家へと向かう道を。

 カイはそ知らぬふりで、ハリスとすれ違う。何気なく通り過ぎ、あとは離れていく――はずだった。

「っ!」

 唐突にハリスに突然腕を掴まれ、カイは言葉にならない小さな悲鳴を上げる。

 反応できないほど素早く、それでいて力強い。振り解こうと抗おうにも、しっかりと掴まれた腕は、動かす事もままならない。

「な、なんですか、突然」

 動揺が声に伝わり、激しく上擦った。一瞬、「しまった」と思ったが、考え直す。もし自分がカイでなかったとしても、この反応はおかしくない。むしろ余計に動揺するはずなのだから、今の反応で怪しまれるとは思えない。

「突然のご無礼、申し訳ございません。ですが、こうでもせねば、お逃げになられるかと」

「いや、逃げるとか、意味、判らないんですけど」

「お迎えに上がりました、カイ様」

 はっきりと名を呼ばれ、カイの心臓は高く跳ねた。掴む手と掴まれた腕を媒介に、鼓動が早まる様子が伝わってしまうかもしれないと、恐れるほどに。

「迎えに来たとか、カイ様とかも、意味、判らないんですけど」

 上擦った声で更に返すと、ハリスは小さく微笑んだ。

「先ほど魔物が出現したとの連絡が入った時、貴方は門の近くにおられましたね。門を早く閉めるため、本来門をくぐる前に行われるはずの手続きをせず、街に入った方々のおひとりでしたかと」

「それが、この街の、決まりですから。俺が悪いわけじゃないでしょう」

「貴方と商隊の一行はその小さな混乱に紛れて門を抜けられた。街に入った後、商隊の方々は正規の手続きを踏んだようですが、貴方はそれすらされていない。そして、魔物が出現したというのは誤報でした。形跡を残さずに貴方を街に入れるため、では?」

 カイは喉を鳴らした。

 油断ならない男だ、と思った。突然の魔物の出現となれば、魔物が常時出現するような場所で育った者でもない限り、そうとう慌てるはずだ。あの、カイの前に居た商隊の者たちのように。

 その中で冷静に魔物と対峙する事を選び、街の事を考えて部下に指示を出しながら、周りを見る事も怠っていなかったとは。

「おそらく貴方が予想なさっている通り、我々はカイ様のお姿をよくは知らずにこの街に参りました。ですが、まったく存じないわけではないのですよ。御年16。空色の瞳と、御生母様であられるリリアナ様と同じ茶色の髪。体格は、近年ジーク殿と共に魔物狩りのをされているため、並の少年たちよりも鍛えておられるはず――」

 返す言葉が見つからなかった。

 その特徴を満たす者が、この街にどれだけ居るか判らない。しかし、たとえ10人以上居たとして、カイが「自分ではない」との嘘や言い訳をどれほど繰り返したとしても、きっと意味はないのだろう。目の前の男はすでに、カイがカイであるとの、ゆるぎない確信を得ているのだ。

「共にいらしてください、カイ様」

 ハリスは優しい笑みを浮かべ、優しい口調で語りながら、カイを捕らえる手に込めた力を緩めようとはしなかった。

 逃れられる気がせず、カイは再び震えた。真実を何も知らぬまま、突如降りかかった運命に、翻弄される恐怖に。

 無意識に目を伏せる。すると、凛としたリタの横顔が脳裏をよぎった。

 ああ、そうだ。どうせ逃れられないのだとしたら、せめて真実を知りたい。自分がなぜそのような運命に巻き込まれねばならぬのかを、自分は一体何者なのかを。

 知った上で、運命を逆に利用してやればいい。

 あの少女のように、自分も強くありたい。

 カイはゆっくりと目を開けた。

「一緒に行けば、それでいいんですね? この街の誰かに危害を加えたりはしませんね?」

 ハリスは目を見張り、それからしっかりと頷いた。

「元より、そのような予定はございません。我らがこの街の民に危害を加える可能性があるとすれば、咎人たるジーク殿への処罰のみ。それすら、私の権限でなかった事にできます」

 カイはハリスを睨み上げ、一瞬間を開けてから口を開いた。

「判りました、貴方と行きます。その代わり、まず家に帰らせてください。とにかくジークに会わせてほしい。すべてはそれからです」

 ハリスはカイの視線を優しく受け止め、再び肯いた。

「もちろんです。私は叶う事ならば、ジーク殿の了承を得たいと思っておりますから。では、こちらへ」

 囁くように告げると、ハリスはカイの腕を手放した。どう抵抗されても逃がさないという自信があるのか、躊躇わずにカイに背を向け、歩きはじめる。

 カイは戸惑いながらも、無言でハリスの背を追った。

 どのような状態でも、父に会えるのは、間違いなく嬉しい。

 けれど――まったく予想がつかなかった。この状況でジークは、どのような顔で、言葉で、カイを迎え入れてくれるのだろうか。

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