神の娘 4

 カイが異変を察したのは、トルベッタの街と街道を遮る門を視界に捉えたとほぼ同時だった。

 いつもとおり、陽のある時間のみ開かれた門の傍らには、門番の役目を果たす衛視が立っている。それは問題ない。カイが違和感を覚えたのは、衛視とは違った格好でありながら、武装をした青年がひとり、そばに立っていたからだった。

 剣を携えているが、旅の剣士と行った風情ではない。紋章が刻まれた白い鎧と外套を纏った青年は、衛視たちと比べると、明らかに姿勢も品も良かった。本物を見た事がないため想像だが、王宮に仕える騎士のようだ。

 あの青年は誰だろう。当然の疑問を抱くカイだが、誰かに質問でもしない限り、答えを知りようがなかった。衛視たちが追いやる様子がないのは、彼がそこに居る事を認めていると考えていいのだろうか。ならば、街に害なす存在ではないのだろうが。

 カイは空を見上げるようにして、物見の塔を見上げた。

 八方を見渡せるように建てられた塔すべてに、常時最低ひとりは物見係の衛視が詰めている。カイは仕事柄、衛視たちの中でも見張りを勤める彼らに顔見知りが多い。今日は誰だろうと気になったが、遠すぎて顔の判別がつきにくいため、カイは目を細めて凝視した。同時に、向こうもカイの姿を見つけたようだった。

 衛視たちの中でも一番年若い少年だった。おそらくカイより歳若い彼は、いつもならばカイを見つければ元気に手を振ってくる。しかし今日はそれをせず、高台からじっとカイを見下ろしているだけだ。

 普段とは違うところを続けてふたつも見つけてしまい、カイの中に芽生えていた違和感は力を増した。

 ひとつひとつは大した事ではない。物見の少年が大人しくしているのは、勤務中の態度について上司に怒られたせいかもしれない。何かを疑うにはまだ早すぎるだろうかと、歩みを進めながら悩むカイは――物見役の少年の後ろに控える男を視界に捕らえた。

 白鎧と、外套。細かい部分は判らないがおそらく、門番と共に立っている青年と同じ格好だ。

 明らかによそ者でしかない彼らが、門の傍に立っているだけならばともかく、物見の塔に踏み込むものだろうか。トルベッタの住民にとっては生命線だが、他所の者からすれば、単なる見張り台と代わりないのではないか?

 半月も離れていないというのに、この短い期間に、トルベッタには何が起こったのだろう。カイは考えた。そして悩んだ。しかし、街に戻る以外の選択肢を取りようがないカイは歩き続けるしかなく、とうとう黒門が目の前に迫ってしまった。

 門を抜けるためには、帳簿に名と街に来た目的を記録する必要がある。字が書けないならば、口頭で門番に伝え、代わりに書いてもらう。簡単に、で良いのだが、歩いて通り抜けるだけよりは当たり前に時間を食うため、門の前には小さな列ができていた。

 カイは最後尾に居た商隊と思わしき集団の後ろに並ぶ。すると、それに気付いた門番たちが、明らかな困惑を表情に浮かべた。4人中4人ともが、だ。

 それだけあからさまな態度を見せながら、彼らはけして口ではカイに何も言おうとしない。どうすれば良いのか、どうするべきなのか、戸惑うカイはゆっくりと混乱を深めていった。

 思考の海に深く潜っていくカイの意識を、騒がしい鈴の音が引き戻す。

 顔を上げると、物見の塔から繋がる鈴が激しく揺すぶられ、ちりちりと乱暴に鳴り響いていた。物見が魔物を発見した時の合図だ。

 トルベッタでは魔物が発見された場合、魔物の被害が街の中に及ばないよう、昼日中でも即座に門を閉めるようにしている。緊急事態であるので、まだ記名が終わっていない者たちでもとりあえず中に入れてやるのが常だった。

「記名は中でしてもらう! とりあえず早く入れ!」

 門番たちが大きく腕を回し、商隊の者たちとカイを街の中に招き入れる。その内のひとりがカイの後ろに回り、警戒するように辺りを見回しながらカイの背中を押した。

「俺が……」

 カイは自分が出ると伝えようとしたが、更に強く背中を押され、言葉を詰まらせる事となった。

「白い鎧の連中に気を付けろ」

「……?」

「早くしろ! 門を閉めるぞ! 魔物の中に放り出されたくなければ早く入れ!」

 門番はカイの耳に囁くや否や、周囲に大声で怒鳴りつけ、魔物に怯え戸惑う商隊の者たちをせかした。押し込むように全員を門の内側に入れると、待ち構えていた衛視が、街を封鎖しようと重い門に手をかける。

「ジークさんを呼んでこい! それから衛視長に報告――」

「衛視長はともかく、魔物狩りジークへの報告は必要ありません」

 魔物の出現への対応は手馴れたもので、的確に指示を出す門番たちだったが、静かな声が彼らの勢いを遮った。

 声の主は白い鎧を来た男だが、門の傍に立っていた男でも、物見の塔に居た男でもない。歳も他の者たちよりいくらか重ねているようで、40に届きそうに見えた。声と同じく、静かさや穏やかさを感じさせる容貌で、妙な安心感をカイに与えてきた。

「それに、報告したところで無駄です。彼は魔物狩りに出る事はできませんから」

「しかし、ハリス殿! ジーク殿が出なければどれほどの損害が出るか判りませんぞ! 恐るべき力を持つ魔物であれば、この街の強固な外壁すら打ち破る可能性があるのです! トルベッタの民に死ねとおっしゃるのですか!」

「そうは言っておりません」

「では、どうしろと!?」

 ハリスと呼ばれた男は無言で腰の剣を引き抜いた。

「私が出ましょう」

 ハリスが短く言い切ると、衛視たちは不安げにどよめいた。衛視たちはカイと違ってハリスが何者であるかを知っている様子だが、彼らもハリスの実力は知るところではないらしい。しかし面と向かって「貴方では駄目だ」と伝える勇気はないらしく、不信の目をハリスに向けるのみだった。

「ルイレ、念のため領主の館に伝令を。待機中の者はすべて、迅速に東門に集合するように。私の援護をしてもらう」

「援護……ですか? 隊長自ら先頭に立たれると?」

「ジーク殿に倒せるような魔物ならば、私もひとりで倒したいところなのだが――万が一もありえる。私の力試しのために、街に被害を及ぼすわけにも行くまい」

「はっ。畏まりました」

 ルイレと呼ばれた白鎧が領主の館に向けて走り去って行くと、ハリスは穏やかながら強い視線で閉じゆく黒門を見上げた。

 鎧の男たちはみな一様に武術の心得がありそうだが、隊長格と思わしきハリスは、更に上を行く実力を持っているようだ。その柔らかで穏やかな物腰に騙されてはいけないのだろう――はたして、父とどちらが強いのだろう。

 カイがしばらくハリスの背を見つめていると、突然肩を叩かれた。衛視のひとりで、周りに白鎧がまだ残っているからか口に出しては何も言わないが、目配せをしている。早くこの場から去れ、と伝えたいようだ。

 先ほどの忠告と合わせ、この白鎧の集団が自分に悪い影響を与える存在であると判断したカイは、彼らの目から隠れるよう、いまだ戸惑う商隊の者たちを上手く壁にし、その場を離れてから走りはじめた。

 家路を辿りながら、白鎧を見かける頻度が徐々に多くなっていく。彼らは常に警戒し、何かを探していた。けして怪しいそぶりはなく、むしろ正義の味方にしか見えない物腰だというのに、この街にとってはあまりに異質で、気味が悪い存在だった。

 自分にとって良い存在ではない彼らが、何かを探している。それはつまり、彼らが探しているものは自分という事にだろうか。

 走りながらそう予測して、カイは失笑した。まさかありえない。彼らがどのような組織に所属する者であるかをカイは知らないが、これほどの人数を投入してまで探し出すほどの価値が、自分にあるとは思えなかった。魔物狩りとしての力は父の方が優れている。生まれてから今日まで、完全なる善人であったと言い切る自信はないが、追われるほどの犯罪に手を染めた事はないと断言できる。ならば、どんな理由でカイを探すと言うのだ。

 カイは家に続く道の最後の角を曲がった。長く、真っ直ぐに続く道には、カイの目につくだけでも3人の白鎧が立っていた。

 ひとりは家の前に立っていたし、他のふたりも、周囲を警戒しながら、時折家の方に視線を送っている。あれでは誰にも気付かれずに家を出入りする事などできはしない。

 突然足を止めたり引き返しては怪しいかと、カイは家の前を通り過ぎた。先ほどは死角になっていて見えない位置にもうひとり白鎧を発見し、いよいよ絶望的だと思わずにはいられなかった。

 路地を抜け、白鎧の姿が見えない場所を探して、近くの家の扉を叩く。先日結婚したばかりの若夫婦の家だ。

 人付き合いが苦手な父に代わり、近所の者たちと頻繁に交流していた事が、今は何よりも役に立った。このあたりの家ならば、すべてが知り合いで、快くカイを家に迎え入れてくれるはずだ。

 しばしの間を開け、扉を開けてくれた者は、若夫婦の妻の方だった。カイを見るなり息を飲み、周囲を見渡すと、家の中に引っ張り込み、慌てて扉を閉める。

「いつ帰ってきたの? それより、よく街の中に入れたわね。門とか、物見の塔とか、居たでしょ? 白い鎧を着た人たち」

 女は胸を撫で下ろしながら言った。

「居たけど……なあ、俺が居ない間に、この街に何が起こったんだ? やっぱり俺が狙われているのか? 俺とその白鎧たちと、何の関係が?」

「誰からも説明を聞いていないの?」

「聞く余裕はどこにも無かったからな。衛視のひとりが白鎧たちの目を盗んで忠告をくれたが、きちんとした説明にはなっていなかった」

「そう。でも、私も詳しい事は判らないのよね」

 女は眉間に皺を寄せ、何かを必死に思いだそうと上目遣いで天井を見上げ、それからカイに向き直った。

「あの白い鎧の人たちは、王都から来たんだって。どうやら貴方を探してるみたいで……」

「なんで俺? だって、俺の顔も知らないみたいだぞ、あいつら」

「それは私には判らない。でも、ジークには判っているみたいだって、噂で聞いた。で、ジークは、貴方が白鎧に見つかったら困る、みたいな事を言ってたって。見つかったらふたりで街を出ないといけないかもしれないって――だからこの街のほとんどの人たちは、ジークに協力してる」

 意味が判らなかった。

 街の者に事情を聞けば何かしら解決するかと思ったが、彼女の説明もほとんどが憶測で、真実か否かの判断が難しい。確実に真実を知るためには、白鎧の者たちに接触するか、ジークに接触するか、その二択しかないのだろう。

 得体の知れない集団と、父親。カイは迷わず一方を選択した。

「どうにかしてジークに話を聞く方法は無いんだろうか」

「無理よ。会うだけならともかく、白鎧の人たちの目に付かないところでジークと会話したり手紙を渡したりする事はできない。監視がきつくて、ジークなんて家を出る事もろくにできないんだから」

 顔もろくに知らない相手を探しに来て、捉えるために街中を巻き込んで、ジークを軟禁状態に追い込む。なんの権利があって、彼らはこのトルベッタを、自分たち親子を、かき乱そうと言うのか。

「善人面して、何様のつもりなんだ、あいつら……」

 カイの中に芽生えた怒りは徐々に力を増していく。抑えきれなくなるほど膨らみ、何かに当たってしまう前に、カイは女に礼を言って家を出た。

 目の前に見慣れた街並みが広がる。

 入り組んだ街路は、この街で育ったカイにとって慣れ親しんだ庭であると言うのに、深く、救いのない迷路のように見えた。

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