第30話 シルエット

 私達は灰色の空に、次第に小さくっていくミアを見守る。

隣にいるユノの伏目がちな視線は、興味なさげに虚空を見つめている。

ユノの性格は悪い言い方をすれば無愛想だが、この年頃の子は目立つことや恥をかくことを極端に恐れるものだ。 個性よりも全体としての規律を重んじる教育の場では特に。 なので、私は本人が悪いとは思わない。


 私は、小学生程の背丈しかないユノの顔を覗き込む。

「分からないことがあったら、私に聞いてくれればいいからね」

私は、片手で力こぶを作るポーズをし、微笑んで見せる。

「私もまだこの世界に慣れたわけでもないし、分からないことだらけだけど、後輩が出来るんだからしっかりしないとね」

力こぶを作るように折り曲げた腕と、不敵な笑みは頼りになりそうに見えるように振る舞ったつもりだったが、猫のように無表情で私を見つめるユノがどう思ったかは、その顔からは読み取れない。


「えぇと、こんな小さな子を戦いに参加させるつもりなんですか」

くっつくように私の背中に隠れているエルが、怪訝そうな顔で、私の顔を覗き込んでくる。


「えっ?」うーん、それもそうか。 この世界にいるということはユノも、片手で数えるほどの人数しかいない選ばれた内の一人なのだからと、勝手に一員に加えていたが、エルの言うとこも尤も(もっとも)だ。 なんだか、エルの真意は別のところにあるようにも感じたが。  


「ユノ....ちゃん。 とりあえず、今日は時間もないし、私も飛べるから家まで送っていこうか?」私が抱きかかえて運ぼうかと思い、両手を広げる。

ユノは、じっと私の顔を見つめたまま動かなかない。

まあ流石に、年頃とかは関係なく出会ったばかりの人に体を預けるのは抵抗があるか。


そう思って私が腕を引っ込めようとした時。 ユノが突然、私の広げた両腕の中にするりと入り込んできた。 

「ううん。 近いからいい」私に抱きついたユノが耳元でそう言った。


....いや、なら何故、私の体に抱きついているのだろうか。 行動と発言がまるで一致していないのだけれど。 

「ええと、フリーハグじゃないんだけどな....」私は、腰に腕を回すのもおかしいので、腕を伸ばしたままどうすればいいのかと困惑してしいた。


「それにね」ユノは私の耳元で囁くようにそう呟くと、私からそっと離れる。 体温の温もりを堪能したのか、その顔はどことなく満足気だ。

「飛べはしないけど、私も”力”を使えるし、少しは戦えるんだよ」

私から、数歩後ずさったユノの足元にある影がざわつくように蠢く。 ユノの背景に広がる暗いグラウンドがゆらゆらと陽炎のように揺れていた。  


 やがて、ユノの足元の影は実態を持って地面から浮き出て、花が閉じるようにユノを飲み込む。

私が驚いて声も出せずにいると、ユノを包んだ蕾のような形をした球体が溶けるように崩れ落ちた。 


 その中から現れたユノは、その身に軽装の黒い鎧を纏っていた。 

頭に装備はなく、手足は関節部分の動きを邪魔しないように半分以上露出しており、鎧と言うほど仰々しいものではないが、体を守るプロテクターのようにゴツゴツとした黒い甲冑がユノの体を覆っている。


 変身を完了したユノが得意げな顔で微笑んで見せる。

ユノが力を使えることは何もおかしいことではないし、変身後の姿が奇妙というわけでもない。 けれど、どこか見覚えのある漆黒の色に私の胸はざわついていた。

私は、少々ぎこちないながらもユノに微笑んで返す。


 ユノを包んだ蕾のような形をした影。 あの、光を吸収してしまい遠近感を失わせる程の濃い黒色はどこで見たんだっけか。 

....そうだ。 この黒は、落書きのタナトスを捕らえて何度も貫いていたあの触手のような漆黒の影と同じだ。 殴り書きのようなぐちゃぐちゃの黒い線とは別の存在のように感じていたあの黒色。 


 私は不審なユノに警戒心を覚えたが、それを本人に悟られないように落ち着いた態度を崩さないように努める。 この年齢の子の笑みに裏があるなんて思えないけれど、エルの様子もおかしかった。 

「家、近いんだ。 よく考えたらそれもそうか。 飛べないならユノの行動範囲は歩いていける距離だもんね。 それじゃ、一緒に歩いて帰ろうか」


 ユノは邪気のなさそうな微笑で、私の言葉にコクリと頷く。  

ユノの体をプロテクターのように覆う鎧が、ドロリと溶けるように形を崩したかと思うと、ユノは元の寝間着のような服装に戻っていた。

変身後の黒い鎧の姿は、ただ見せたかっただけのようだ。 ....そんな行動を見てると、やっぱり年相応の女の子にしか見えないけどな。


 私も、もういいかと思い、胸に手を当て変身を解除する。 グリム童話に出てくるような中世風の青いワンピースと白いローブが、細かな光の結晶へと変わる。

私はデニムジャケットにショートパンツという、ラフでカジュアルな現代風の見た目に早変わりする。 


 私の頭の後ろでは、一つに束ねた真っ白な長い髪が腰まで垂れていた。 この姿になって間もない頃は、地面につく程に長かった白髪だが、不便で目立つので、自分で大雑把に切りそろえた。


「じゃあ、いこうか」変身を解いた私は、ユノに微笑みかける。

 ユノとは単純に話もしたかった。 憶測は憶測に過ぎないし、ともかく直接ユノから話を聞いて、彼女のことを知らなければ何も見えては来ないだろう。



 私達は、学校を出て桜並木の道を歩く。 桜の木々は、夜世界の影響で切り絵のような黒い木々が並んでいるだけだったが、おそらく現実世界でも雨で、花はすでに散ってしまっているだろう。 


私は、ちらりと後ろの学校を覗く。

「ここは、ユノが通ってる学校なんだよね。 どう学校は、ちゃんと勉強してる?」

ユノに不信感を抱かれないように軽い口調で、快活に話す。 しかし、ユノは困ったような表情をするだけで、答えらしい答えが帰ってくることはなかった。 

「ふっふっふ、勉強してないと私みたいになっちゃうよ」ユノは、私の自虐に愛想笑すらしなかった。


まあ、初対面なら他にいくらでも話題ならある。 共通の話題か、得意な話題を引き当てるまでは手探りだ。  

「部活は何をやっているの?」

「得意科目とかはあるの?」

「好きな子はいるの?」

「遊ぶ時は何しているの?」.....

 

「....」だ、駄目だ。 何故か、ユノは何も聞いても、黙ってうつむいてしまうだけで会話が盛り上がる気がまるでしない。 私のコミュ能力では、ユノの心を開かせるのは難しそうだ。 

エルは仮想空間に引っ込んでいるのか、いつの間にか姿を消しているし。 


「....学校は楽しくない?」もう上辺の話はいいや。 きっと、こちらも本音で踏み込まなければ、相手の本音は見えてこない。 ユノは、私の質問に対して基本的には頷くか、首を横に振るかで答えてくれていたが、学校関連の話になってからはイエス、ノーの答えすら返ってこない。


「....前の学校は」

ユノが、ポツリと呟く。 言葉による答えが返ってくるとは思ってなかったので、意外だった。 

「前の? 何、転校でもしたの?」

ユノが寂しげに頷く。

「そっか....」言葉足らずではあるが、態度から察するに前の学校のほうが良かったに違いない。 小さな子からしたら、学校のコミュニティが世界の大部分だ。 その世界がガラリと変わるのは、積み上げたものが一夜にして消えてなくなる気分なのかもしれない。 ようやく少しはユノも心を開いてくれたが、この話題にはこれ以上踏み込むのは辛いだけだろう。   


「えーと、兄弟はいるのかな?」

話題を学校から離したつもりだったのだが、結果はユノに今までと同じく思いつめたような表情をさせてしまうだけだった。

なんだか、私が話している言葉と、ユノが聞いている言葉が、まるで食い違っている気分だ。 

「....お姉ちゃんが」

「へえ。 お姉さんがいるんだ?」

「あいつが....」突然、ユノの声色に敵意のような黒いドロドロした感情が混ざり、私はぎょっとする。 今回はなんだかわからないが、なんかもう話題のタブーが多すぎて何を話していいか分からなくなってきた。  


「....け、結構歩いたけど、家は近いのかな?」

私はごまかすように話題を変え、視線を上げる。

私の意識は、話に夢中....会話を途切れさせないようにするのに必死だっただけで話はまるで盛り上がってはいなかったが、ともかく私の意識は外の様子にまるで向いていなかった。 


 何の気なしに、町並みへと向いた私の視線の先。 ちょうど、私達が向いている正面の、家宅とアパートが並ぶ住宅街の中に、山のようにそびえ立つ歪な影があった。


「.....何だろう?」私は目を凝らしてみるが、シルエットだけの”それ”がなんのかまるで分からない。

五、六階建てのマンションと同じくらいの高さのそびえ立つ影は、山にしては細すぎるし、建物にしてはゴツゴツと形が歪だ。







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