第29話 忍び寄る不穏な予感
「そう、良かった」マギがふぅと息を吐き、安堵にの表情で胸をなでおろす。
中庭は、地面を塗りつぶしたようなタナトスの黒い線が消え去り、芝生の上に木々が植えられたどこにでもあるような学校の景色に変わっていた。 私達以外に生き物はいないのか、辺りは虫の鳴き声すらない静寂に包まれていた。
この世のものではない何かがいるのではと不気味に感じた真夜中の学校も、今の私にはただそこにあるだけの無味乾燥な建物としか思えなくなっていた。
「うぅん。 でも、もっといい援護の方法はいくらでもあったと思うんだよね」
マギが腕を組んで難しい顔をしたかと思うと、ぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。
「まだ発想が凝り固まった既存の常識に囚われてるんだよね、いざなんでも出来ると言われると意外と困るんだよねぇ。 もっと自由に、もっと独創的に....」
うぅんと唸り、思い悩むように目を閉じたマギは、何かと思えば、自分の力の使い方について自省しているようだった。
と思いきや、突然マギの瞳がパチリと開いて、非難するような目で私を見つめる。
「....ていうか、ミア」
「な、何よ?」私は、マギが何を言おうとしているのかまるで想像がつかず、得体の知れない不安も手伝い、思わず身構えてしまった。
「絶対この世界の戦いをゲーム感覚で楽しんでるでしょう。 そりゃ、一緒にプレイできる仲間ができたらさぞかし楽しいのかもしれないけどさ」
私の胸中のもやもやを見透かされていたわけではないようで、マギの呆れ半分のジト目が私を見つめていた。
「....」何を聞かれるかと身構えていた私は、そんなことかと拍子抜けしてしまった。
事実マギの言う通り、ほんの少し前、あいつにとどめを刺す直前まではゲーム感覚でこの非日常を楽しんでいたのだけれどね。 私は同じ状況を共にする仲間が出来たことに浮かれて、この世界の本質やこの力の意味を見失いかけていたのかもしれない。
「フッフッフ....」
私は、あんまり長く黙っていては不審に思われるだろうと思い、何を話すかも考えずに意味深に笑ってみせる。
「前にも言ったでしょう。 所詮この世は夢、幻、胡蝶の夢。 人生は死ぬまでの暇つぶし、この世が地獄なら地獄を楽しむまで。 世界なんて私の遊び場に過ぎないのだから」
ほとんど頭では考えずに紡いだ言葉だったが、マギには不審には思われていないようだった。
「うーん。 でも確かに楽観的でも悲観的でもやることは一緒なら、刹那主義的に楽しんだほうが得というのも、一理あるのかな....」
「フフフ」私は、胸の奥で芽生えた得体の知れない不安を忘れたくて傍若無人を演じる。 言葉自体は本音でもあるのだけれど、この狂った世界の中で出会った特異な力を持つもの同士以外にわざわざ波風を立てる発言はしない。
「それじゃあ、エル達も待ってるだろうし校庭に戻ろうか。 なんか、さっきからやけにおとなしいけど」「もしもし? エル、聞こえる?」....
マギが、タブレットを操作するように空中で指を振るう。 おそらく、通信のインターフェースをいじっているのだろう。 そういえば、いつも口の減らない天使のエルは戦闘の後半に入ってからずっとおとなしかったな。 音声通信が三人パーティで常時オープンになっていたことも今の今まで忘れていたくらいだ。
マギの意識が私から音声通信へと向いて、私の緊張の糸が緩んだ瞬間。 嫌な予感に、胸がドクンと高鳴る。
この胸に根付いた不安の正体が分かってしまった。 今日、この場所へ来たのは私の感知でタナトスの反応を追ってきたのだが、この感知はかなり感覚的で、第六感のように曖昧なものだ。
”その反応が消えていない”
先程の落書きのようなタナトスを仕留めきれていないわけではないと思う。 おそらく、私が感知していた反応は最初からあいつではなかったのだ。
今回は厄介な相手だと思ったのでマギとエルの支援を含めて、態勢を整えて望んだつもりだったのだ。 だが、想定していた程の相手ではなかった。 自惚れではなくあの程度の相手なら、私一人でも力押しで倒してしまうことはできた。 私にはまだ奥の手も残っている。
先程のタナトスの反応を上塗りするくらいに大きな力を持った何かが、近くに変わらず存在している。
私が、不穏な気がかりに頭を悩ませていると、どこからか場違いに軽い口調のやり取りが聞こえてくる。
「....しもし? はいはい終わったみたいですね」
「ようやく通じたわね。 こっちは片付いたけど、やけにおとなしかったじゃない。 そっちで何かあった?」
音声通信は常時オープンになっているので、私の視界に浮く中継画面からもマギとエルのやり取りが聞こえてくる。
「こっちは、会話が持たずに気まずい感じなので直ぐに戻ってきてほしいんですけど」
「いや、そういう事態は知らないよ....」
私は、今も感じ続けている得体の知れない感覚について、いずれ話すことになるなら今、話すべきなのかとためらっていたが、二人はすべてが片付いたように気の抜けたやり取りをしているので、今はいいかと先延ばしにしてしまった。
◇
私達は、エルとユノが待つ校庭へと戻ってきた。 エルが催促していたので、私は妖精のような翼、ミアはカラスのような翼で校舎を一息に飛び越え、校庭の二つの人影の元へと降り立つ。
すると、エルが私の方へ駆け寄ってきて、そそくさと逃げ隠れるように私の背中に回り込んでしまった。
「ちょっと何よ、どうかした?」
私は肩越しに自分の背中を覗くと、エルが私の肩に手を置いて前方を覗き込んでいた。 その視線の先にはユノがいる。
そのユノは相変わらず猫のようにマイペースにじっとそこにいて、他人事のようにエルの視線を気にする様子はない。 むしろ戦闘前よりも、心なしか上機嫌に口角が上がっているように見える。
警戒した様子のエルは私にだけ聞こえるくらいの音量で、耳元でぼそぼそと話す。
「あの.... なんかあの子、恐いんですけど」
「恐い?」ユノの幽霊疑惑は私達が勝手に騒いでいただけで、すでに解決したはずだったと思うのだけれど。 二人でいる時になにかあったのだろうか。
その後も、エルは私の背中でなにか言いたげだったが、話の要である張本人が目の前にいるのを気にしているのか、話が要領を得ないので後で聞くことにした。 そもそもエルは本人に聞かれるなんて気にするようなタイプではなかったと思うのだけれど。
◇夜世界 午前四時半
おそらく、あと一時間と少しで夜世界は息を潜めるだろう。 この世界は分かりやすく日の出と共に夜が明けるわけではなく、時間帯は人々の睡眠時間に依存している。
「ミアは、今日も普通に学校あるよね?」
「ええ。 平日だし、祝日でもないしね。 平常通りよ」
私の問いに答えたミアはさっきから様子が変だ。 思い悩むように仕切りに口元をいじっていて、いつもよりおとなしい気がする。
「家から結構離れちゃったし解散にしようか。 日中、予定のない私達はどこで夜が明けようとあんまり関係ないけど、ミアはここで夜が明けたら困るでしょ? 私達はユノを家まで送ってくよ」
「やれやれ、今日も日がな一日当てもなくぶらぶらして、漫喫で寝泊まりのホームレス生活ですか」エルが呆れたように両手の手のひらを上に向けて、口を挟んでくる。
「それは、あんたもでしょうが」最近の私達は、安価なネットカフェや漫画喫茶が寝食のメインになっている。
「そうね。 帰って課題も終わらせないとだし、その子の事は任せていいかしら」
ミアが、懐から取り出した懐中時計で時間を確認していた。
「登校前のギリギリに宿題とか、マギさんみたいなダメ人間になりますよ」
「早朝の勉学は理に適っているのよ。 私は成績は優等生なんだから」
ミアの視線が、何故か槍玉に挙がっている私を見つめる。
「マギの場合は問題を先延ばしにしているだけでしょう。 あなた、長期の休みの課題とか最後にバタバタするタイプでしょう」
「まあ、私がいたくらいの底辺校だとそもそも宿題とかあった覚えがないし、私は自分がやる必要がないと思ったことはやらないけどね」
二人の呆れて物が言えない、と言った視線が私を眺めていた。 私の発言はともかくとして、二人共いつもの調子が戻ってきたみたいだ。
◇
ミアの背中に、カラスのような黒い翼が生える。 翼を広げたミアが振り返り、なにか言いたげな目で私を見つめていたが、羽ばたいた翼と舞い上がる砂煙にミアの姿は隠されて見えなくなってしまった。
星の光ひとつない灰色の空に飛び立った漆黒のシルエットは段々と小さくなっていった。
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