第26話 ユノ

 しかし、私の声に驚いた「うひゃあ! 何!? 何なのよ!」と飛び跳ねるミアの私以上に素っ頓狂な声に、私の悲鳴はかき消されていた。

 

 そんな私達の狼狽に、私の袖を掴んだまま呆然と目を見開く小さな女の子がいた。 私の胸元あたりに黒髪ショートボブの頭がある小さな背丈の少女は、あたふたと慌てるミアの姿を不思議そうに眺めていた。


 「だ、誰よ、その子は....!」取り乱すミアが、私の隣の小さな女の子を凝視する。

「わ、私に言われても。 えーと....」 

私が少女を見下ろし、当人に答えを促すように見つめていると、少女の猫のような瞳が私の方を向いた。 

 そのまま、少女は無言のままじっと私の顔を見つめているので、私はどうしたものかと困惑していた。 

 少女は寝巻きのようなゆったりとしたラフな格好をしており、お腹のあたりにデフォルメされた猫らしき可愛らしいキャラクターがプリントされている。

 しかし少女のマイペースで落ち着いた性格と大きな瞳を見ていると、本当に猫のようだ。


 幾分かは落ち着きを取り戻したミアは、険しい表情でぶつぶつと何かを呟いていた。

「こちらの世界でこんな立て続けに人に出会うなんてことがありえる? そして、こちらの世界に人はいない。 こちらにいるということは”選ばれた”ということ、こんな小さい子が? こんな時間に?」

「ま、まさか」ミアがなにかに思い至ったように目を見開く。


「人ならざるもの.... 幽霊?」


 しん、と夜世界が静まり返る。 私はミアの言葉にちらりと少女を覗く。 少女は幽霊と言われた事をさほど気に掛ける様子はない。 

 ミアの方を見ると自分の言葉に怖くなったのか、いつの間にか距離をとって、少し離れた場所で、これまたいつの間にか姿を現していたエルと肩を並べていた。


「ちょっと!? 二人共、なんでそんな離れた位置にいるのよ! この子が可哀想でしょうが!」最初は私も座敷わらしみたいだと思ってしまったけれど。 


「だって、おかしいじゃない。 この世界にしろ、この時間にしろ、小さな女の子が出歩く理由がある?」

ミアは恐いよりも分からないという困った顔をしている。 確かに考えれば考える程、ミアの言う通り少女がここにいる不条理ばかりが浮かんでくる。 可能性としては彼女も”力”を手にした一人? そうだとしても、小学生にしか見えない彼女がこんな深夜に、何故外にいるのだろうという疑問が浮かぶ。 とても、夜遊びするようなタイプには見えないし。 まさか本当にゆう....いやいや。


「い、一応、確認ね。 念の為....」私はゆっくりと手を伸ばし、少女の肩に腫れ物に触るようにそっと手を置く。  

 少女の体はしっかりと触れられるし、温かい体温も感じる。 ついでに言えば姿もはっきりしていて、足も靴の爪先までちゃんと付いている。 


 私は息をなでおろすと、少女からすっと手を離す。 このご時世、子供を相手にするのは国家権力や世間の目があるので、必要以上のコミュニケーションは避けたほうが無難だ。 親御さん視点から見れば心配はごもっともだが。


「大丈夫だって! こっち来てよ二人共!」私は、少し離れた位置にいるエルとミアに声を掛ける。 

「ごめんね、勝手に失礼なやり取りしてて。 でもそれくらいこの世界は異常な場所なの。 それに、こんな時間に出歩いちゃ危ないよ?」

 私が、努めて柔らかい口調で少女に謝る。 少女は気にする様子もなく、私達の失礼なやり取りを他人事のように静観していた。 



 ミアは渋々、私達のところへ戻ってきた。 

エルは何を考えているかわからないが、ヘラヘラとした表情でミアにくっついて戻ってきた。 

「まあ、客観的に見ればこの子よりも、こんな時間に小中学校に不法侵入しているコスプレ集団の私達のほうが怪しいでしょうけどね」


「この子も選ばれて”力”を手にした一人なのかな? けれど、力の使い方やこの世界に関しては何も分からない状態....とか?」私が推測を語るのは、当の本人が他人事のような顔をして傍観しているからだ。 ミアは少女の幽霊疑惑が晴れても、ずっと険しい顔をしていた。


「ミア?」

私がミアの顔を覗き込む。

「....私はこの世界で戦い始めて一年近くになる。 けれども人に出会ったのは、マギ、あなたが初めてだった。 それなのに、今この場には四人の人間が....」

ミアが隣にいたエルを見て、何かに気づいたように言葉を詰まらせる。

「エル、あなたは事情が入り組んでいて、人ではないようだけれど。 ともかく」エルは私とセットで生まれた上に、人間ではない。

「何だかあなたと出会って、バラバラだった歯車が噛み合い、急に世界が周り始めたようだわ。 ずっと一人だったのに、一気に賑やかに.... これが”運命”というものかしら」

運命なんていうセリフじみた言葉とは裏腹に、ミアは嬉しげとも不機嫌とも取れない複雑な表情をしていた。


「運命や神なんてものは人の思い込みに過ぎませんよ」エルが珍しく真剣な口調で言った。

「この世の出来事は喜劇も悲劇も、すべて誰かの意思と行動によって動かされた結果です。 神がかり的な力は一切ありません。 今の状況も誰かが望んだ結果で、必然的なものなんですよ」


 エルの表情が一変して柔らかいものになる。

「ま、巡り合わせは存在しますけどね。 同じ世界の同じ東京にいるのだからミアさんとこの子はいずれ出会っていたでしょうが、マギさんとミアさんはあの日出会わなければ、マギさんは地元のクソ田舎に帰っていたかもしれませんし」

「真剣な話でも、あんたは私のことになると毒を吐かないと気がすまないわけ?」


私はイタズラ心が芽生え、仕返しとばかりに「もしかして、好きな子には意地悪したくなっちゃう、ってやつぅ?」とニヤケ面で、エルに尋ねる。


 エルは、アニメのヒロインのように赤面し慌てふためき....なんてことはなく、エルだけでなくミアまでも白けた瞳で、おかしなポーズをした私を見つめていた。 



「はいはい、無駄話は終わりにしましょう。 今日は、ただでさえ移動に時間を取られているのだから早めに片付けないと夜が明けてしまうわよ」

ミアが、騒ぐ生徒を咎める教師のように手を叩く。

「今、この女の子と、校庭にいるオルクス(冥府)の嘆きの獣。 二つの問題を目の前で放置しているのでしょう」


 私は、少女がすっかり蚊帳の外になっていることに気づく。 

「そ、そうだね。 名前すら聞いてないもんね」というか、まだ一度も声を聞いていないような気がする。


 ミアとエルは二人して”あなたの役目でしょう”と言わんばかりに黙って私を見つめているで、私は中腰になり少女と視線の高さを合わせ、話しかけてみる。

「えっと、お嬢さん、お名前は?」


「プッ。 お名前て」「そこまで小さな女の子でもないでしょうに」

後ろでエルの吹き出す声が聞こえ振り返ると、私を小馬鹿にして嘲笑う二人がいた。

「人に任せっきりの癖に文句言わないでよ。 私、子供との接し方なんて分かんないよ」


私が、ニヤニヤと笑う二人を目で牽制していると、少女の小さな声が聞こえた。

「....ユノ」

「ゆの?」少女が、私のオウム返しにコクンと頷く。

ユノは、本題を放ったらかして余計なことばかり喋る私達と違い、必要最低限の言葉しか話さないようだ。  

 正直、ユノがもう少し黙っていたら、言葉が話せないか、意思の疎通が出来ていないことを疑うところだった。


「ユノちゃんは小学生? 夜中はいつもこうして出歩いているの?」

「....中学生」とだけ言ってユノは黙ってしまった。 別に年下に間違われたことに気を悪くした様子はないが、後半の質問には答える気はないみたいだ。 


「えっと、この学校はあなたが通っている中学校?」私がちらりと校舎に視線を向ける。

「....」この質問には無言のままだったが、伏せた目からは初めて彼女の感情を見た気がした。 ただその感情はネガティブな色をしていた。 

 でも、なんでだろう。 通っているかどうかだけなら、答えはYesかNoの二択だし、答えづらい質問でもないと思うんだけど。


「あっ!」

エルが何かを思い出したように手を叩いた。

「えーと、お話の途中なんですけどね。 校庭にいた陰毛みたいなもじゃもじゃが、つい先程、校舎の方へ逃げていきましたよ」


「うえええ!? 早く言いなさいよ!」

私は校庭を見回すが、動くものは無くすでにもぬけの殻だ。

「校舎の方へ逃げ込こんだようですが、差し迫った危険はなさそうだったので」

エルがなんでもないことのように言った。


ミアが親指の爪を噛んで、口惜しげな表情をしていた。

「敵を目の前にして背を向けるとは、私もぬるま湯に浸りすぎたわね。 縛り付けられているから動かないと思っていたのに」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る