第15話 切り替わる世界
「私の痕跡....?」
「はい。 マギさんの生前の端末記録を、ネットの海から回収するのは簡単です。 SNSのやり取りから、携帯ゲームのデータ、保存したエロ動画まで、完璧に復元できますよ」エルが、見透かしたような顔で、悪戯っぽく笑う。
「う、それは、ちょっと気になるかもだけれど」何がとは、言わないけど。
「残存データには、マギさんが思い出せない記憶の中にいる、ご友人とのやり取り、古くからの学友の、あなたを心配したメッセージもございます。 あなたが辿った人生の、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれませんが....」
エルは人差し指を、指揮者が持つタクトのように動かすと、何かをつまむ仕草をした。
データのサルベージは簡単だと言っていた。 もしかしたら、すでにエルの指の中には、私の生前の情報が握られているのかもしれない。
◇
「私が辿った人生....」誰に向けてでもなく、ポツリと呟く。
今まで、まるで現実味がなかった自らの死が、残存データ、友人からのメッセージという、確かに生きていた証拠を目の前にして、最後を遂げた私を、現実のものとして想起させた。
エルは、ダーツの矢でも構えているように、片手を上げた状態で静止して、私の言葉を待っていた。
その姿が、突然、歪んで見える。 「あれ....? なんで、私」
視界を歪ませ、瞳から流れ出たのは、熱い涙だった。
ようやく、私は自覚する。 私は死んだのだと。 家族を持っているわけでもなければ、友人だって数少ない。 何かを為したわけでもないのだろう。 クズと呼ばれ、何のために生きたのか、わからないような人生だった。
それでも、一人の人間が何かを思って、生きていたのだ。
そして、恐らくは無念のまま、終わりを迎えた。
一度、溢れ出した感情を止めるのは難しく、私は嗚咽が漏れる程に、涙が止まらなかった。
◇
しばらく、死んだ自分のために泣いた。 肌が繊細なのか、白い肌は、目の周りだけ過敏に腫れ上がり、酷い有様だった。
「データの復旧はやめておきましょうか。 いずれ、覚悟ができたら、自ら思い出しますよ」優しく語りかけるように言うと、何かをつまんでいた腕を引き下げる。泣き疲れた私に、慰めをかけるくらいには、天使の要素を残しているらしい。
「でも、私、自分がなにをすればいいのかわからない。 せっかく、あなた達が、力を授けてくれて、今一度のチャンスをくれたのに。 この力を何のために使えばいいのか、まるで分からない」ぐずっ、と鼻水をすする。 すべてはあなたが望んだことだと、エルに怒られた言葉は、私の心に引っかかり続けていた。
「心の奥底、自分の願いに耳を傾けるのです。 あなたがしたいことをすればいいのです。 私利私欲に走り豪遊するも、個人的な報復に使うのも、また自由」
「まあ、おそらくあなたは、そうはしない。 その精神性こそが、高位存在に選ばれた、一因であるのかもしれませんけど」
あなたの願いは? と、天使が、献身的なカウンセラーのように、優しく私の言葉を引き出そうとする。
「私がしたいことをすればいい.... 」
なら今は....
◇
「寝る」私は一言だけ、そう告げると、不貞寝するように壁の方を向いて、ベッドに横になる。 人前で大泣きした気恥ずかしさと、過去のこと、ごちゃごちゃの感情をリセットしたい気持ちからの、子供のような行動だった。
「んんー。 そうですか。 まあ、私達には時間がありますからね」エルは、悪態をつきたかったが、今は刺激しないほうがいいだろうか、と思案している微妙な笑顔を浮かべ、引き下がる。
「明日になったら、今までのことは全部、夢で、元通りの生活が始まるかもしれないし」子供じみた行動をごまかすように、思ってもない言い訳を口にする。
「変な方向には楽観的ですね.... マギさんが眠るならエルは、まだこの世界の情報が不足しているので、本格的に情報の世界へダイブしますよ」
私は「んん」と、返事とも唸りとも取れる声を出すと、ベッドの隅っこで、胎児のように小さく丸まる。
◇
私が不貞寝するようにそっぽを向いて、横になってから部屋に聞こえるのは、温度を一定に保とうとする空調の作動音だけだった。 背中の後ろにいるであろう、エルは何をしているのか知らないが、とにかく静かだ。
私は、ベッドに横になって目をつむっていたが、昼間にバスで眠っていたからか、全く眠れる気がしなかった。 かといって、もう一度、起き上がる気にもなれず、なんとなく、携帯端末のウェブブラウザを起動して、私が知らない、ここ数年の大きなニュースを検索してみる。
世界的有名人の訃報や、大きな、災害、事件には少し驚かされたが、正直、どれも想定できる範囲を超えるものではなかった。 悲劇なんてものは、小さな視点に目を向ければ、常に起こっているもので、本来、今日起こるはずだったバス事故もその一つだ。
すべての悲劇を救うことなどは到底、出来ないし、ひとつひとつに同情を寄せていては、いずれ、疲弊して感覚も麻痺してくるだろう。
世界なんて大きなものを憂うには、あまりにも小さく、非力な私は、携帯端末を起動したまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
◇
午前、一時五十四分。 多くの人たちが、眠りについて、夢の世界に誘われる、夜も深い深夜。 人は無意識の眠りに落ちて、夢の世界で、本質とも言えるその姿を表し始める。
◇
「...さん。 起きてください。 マギさん」体を左右に揺すられる。
「ううん...」頭が重く、体がけだるい。 明らかに十分な睡眠時間を取れていない。 私は目覚ましを拒否するように、壁の方へ寝返りを打つ。
再び、安らかな眠りの世界へ落ちようとしたその時。 鼻の頭に、鋭い痛みが走る。「んんっ.... い、痛い痛い痛い!」思わず、目を開けると、私の鼻に食いつく、眼前のクワガタと目があった。
「なぁ!? なによこいつ!」私は鼻の頭にハサミを突き立てる昆虫を、乱暴に振り払う。
「なんだ、もう起きてしまったんですか。 まだ、試したいことは色々、あったのに」
そして、やはりというべき、犯人の天使は、ザリガニを片手に残念そうな顔をしていた。
「もう起きたって何よ! 何、物足りなさそうな顔してるの! そして、なんで、部屋にクワガタがいて、私の顔に食いついてるわけ!? その手のザリガニは何!?」私は一息に言う。 息が続かないかと思った。
「緊急事態なので起こしたほうがいいと思いまして」
「なら、普通に起こせばいいでしょ! 一体、いつのバラエティ番組のドッキリに影響受けたのよ! というか、クワガタとザリガニはどこから連れてきたのよ!!」
◇
「....で、なんなのよぉ。緊急事態?」私は、クワガタのハサミが突き刺さっていた鼻の頭と、重たいまぶたをさすりながら、部屋を見回す。 外はまだ暗く、静まり返っており、明らかに深夜帯の時間だ。 薄暗い部屋に、特に変わった様子は見られない。
「今、何時よぉ....」 私は枕元にあったはずの時計を探すが、見当たらない。
枕元にデジタル時計の表示を見たような、朧気な記憶があるんだけどな....
代わりに、明かりをつけようと、枕元にある照明の紐をカチカチと引いてみるが、何の反応もない。 ここまで、ボロのホテルだったけか。
私は、エルに作ってもらった携帯端末を思い出し、指輪のような端末の、スイッチを押して起動する。 表示は2:26。 深夜も深夜。 草木も眠る丑三つ時である。
私は、緊急事態と言う割には、焦る素振りもないエルに訝しい視線を送る。
視線に気づいたエルが私を見つめる。
「どうしました? 用もないのに、深夜に叩き起こされたような顔をして」
「ような、じゃなくて、実際、叩き起こされてんのよ! 結局、緊急事態ってなんなのよ? 大して緊急でも、事態でもなかったらホントに怒るからね!」
◇
「うーん。 緊急事態は緊急事態なんですけど、説明が難しいというか....」
もごもごと口ごもるエルの言葉を待つのがじれったい。 このままでは、再び眠りに落ちてしまいそうな私は「とりあえず顔洗ってくるから」と言って、ベッドを下りる。
「あ、緊急事態の問題のひとつが、その浴室にあって。 今、浴室に行っても意味がないと思いますよ」
私はエルの意味のわからない言葉を、右から左へ聞き流して、眠たい目をこすりながら浴室へと向かう。
浴室のドアを開く。
「ーーーーー!!」
私は、気づけば声にならない声で叫び、驚きに後ろへとはね飛んで、壁に背中を打ち付けていた。
ユニットバスの浴槽には、人のような”なにか”がいた。 黒いモヤのような、輪郭ははっきりしないが、明らかに人の形をした”なにか”としか形容できない、暗雲のような人影。 そいつは、私の悲鳴にも何の反応も見せず、ただ、壁に手をついてうなだれていた。
私は、浴槽の”なにか”から目を離せず、壁に打ち付けた背中をズリズリと引きずり、部屋の方へ戻る。 エルは持ち前の無神経からか、落ち着き払って、私の姿を不思議そうに眺めている。 その天使を、盾にするように背中に隠れる。
「な、な、な、なによあれ!」
「なんなんでしょうねぇ。 エルの情報網を持ってしても、明確な正体がわかりません。 存在の不確かな、幽霊と呼ばれるものでしょうか」
エルは、恐怖なんて感情は持っていないように、普段と変わらないトーンで話す。 ただ、今はその不遜な口調が、すごく頼もしかった。
「ゆ、ゆ、幽霊!? どうしよう、初めて見ちゃったよ」心霊スポットに行ったり、心霊動画はたくさん見てきたが、自分の目で、はっきりと、認識したのは初めてのことだった。
「午前、二時八分」突然エルが、時報のように、半端な時間を口にしたので、私はビクンと反応する。 「エルが、寝起きドッキリの企みに、心踊らせているときでした」
どうやら、あの”なにか”が現れたときのあらすじを語ってくれているらしかった。 「寝起きドッキリのことはどうでもいいから....」
「世界が切り替わり、浴室にあいつが、湧いて出たように、現れました」
「世界が切り替わり?」復唱した、私の疑問を無視して話を続ける。
「そして、今に至るまで、何をするでもなく、ただそこにいるだけ。 あいつに実体はありません。 触れようとしても、煙のように体をすり抜けてしまいます。 ただし、あなた達、人間が接触すると、気力の減衰効果が認められるので実践は推奨しませんが」
「いや、言われなくても、触りにいく勇気なんてないし... というか、エルはあいつに触れにいったわけ?」
「別に害はありませんし」エルは、あっさりとそう言いのける。
「あ、あなた勇者ね....」いくら害がないと言っても、怖いものは怖いと思うのだけれど。
「いやー。 照れますね 」エルは赤面して、はにかむ。
「....いや、向こう見ずという意味でいったんだけどね」
薄暗いホテルの部屋のドアが開いたままの浴室に、人の形をした”なにか”が動く気配もなく、うなだれているのが覗ける。
「ええ、まあ、緊急事態の”要”に比べたら、あんなものは、些細なことですが」
エルは意味深な言葉を残して、背中に隠れていた私をかわすと、浴室とは逆の、部屋の奥へと歩き始める。
「ま、待ってよ。 離れないで、怖いから....」
私は、部屋全体を照らす、天井の照明をつけに行きたいけど、そのスイッチがあるのは、あいつがいる浴室のそばにあって、行きたくない、というジレンマから、エルの肩を掴んで、一緒にいこうと、浴室方向へと引っ張る。
「ああもう! 電気ならつきませんよ。 先程、浴室にいいくのに意味がないと言ったのは、水道も電気もネット回線も断絶しているからです」「....断絶?」
エルは、肩を掴んでいる私の腕をグイと、どけると、カーテンの閉まった窓の前まで歩いて、立ち止まる。
「それどころか、今、この世界には、私達二人を残して、人間が一人として確認できません」エルがカーテンをつまむと、私の方を振り返る。
....なんて言った? この世界に、私達以外の人が確認できない?
言葉の意味はわかるはずなのに、何を言っているのか分からない程に、理解が追いつかなかった。
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