第14話 ホテルとお風呂と携帯端末

 ビジネスホテルの一室。 午後八時。

十代後半であろうか、一人の少女が、私の目の前で、困ったように立ち尽くしていた。 

 少女はぱっちりと大きく開いた茶色の瞳に、筋の通ったはっきりとした鼻立ちをしている。 だが、そこまで、彫りが深いわけではなく、身長も低い。 人種でいうとアジア人になるんだろうか。 アイドルグループにいそうな、小動物を思わせる、愛嬌のある顔立ちをしている。 

 ただ、何よりも目立つのは、頭の天辺から床にまで伸びようかという真っ白な髪。 サイズの合わない男物のTシャツとハーフパンツからは、白く滑らかな細い手足が覗いている。 現実味のない白い髪と、白い肌が相まって、少女の外見は、芸術作品の人形のように、見るものに幻想的な印象を与える。

 

 少女は、困惑した表情で、何も言わず、ただ私の動きを待っていた。

私が、存在を確かめるように、目の前の少女に手を伸ばすと、少女は寸分違わない動きで、それを真似て、同じように手を伸ばしてくる。

 その手に触れようと、手を伸ばしていくと、冷たく、固い、越えられない壁の感触にぶつかった。


 そう、この目の前の鏡に映る、少女こそが、今の私。 転生だか、なんだか知らないけど、死によって、生まれ変わった私の姿。


 私は、自分の顔を手でムニムニといじって、表情を変えてみる。 この体は、私の意思で動いているのだから、これが今の私なんだろうけど、まるで、現実味がない。

なんだか、ファンタジーゲームの美麗なキャラクターを、三人称視点で、俯瞰して操作しているような、心のどこかでは、自分ではないとわかっているような冷めた感覚。 心と体の歯車がちぐはぐで、噛み合っていない。


「その姿はあなたの理想。 容姿や外見が整っているのは、当然といえば当然ですね」

 私がドレッサーの前で、自分の顔をいじっていると、後ろのベッドから、唐突に天使のエルに声をかけられる。

「あなたの特殊性癖による、性別の転換はともかくとして、アバターのように自由に容姿を選択できるなら、わざわざ、見栄えの悪いものを選んだりはしないでしょう」

「ぐっ。 だから、性転換願望なんて、別になかったと言ってるでしょう!」

 記憶のない数年の間に、オカマに目覚めていたという可能性も、そりゃ、百パーセントは否定出来ないが、変身を解除して、戻ってきた生前の服装は男物だったし、奇抜なものでもなかった。  


 時刻は、夜の九時を回った。 

 ベッドの上は、機械の基盤やら配線やらの部品が散乱して、ゴミ箱をぶちまけたような惨状だった。 その中心では、エルが壮大なプラモデルに組み立てているみたいに、細かな部品をつなぎ合わせていた。 エルが何をしているのかというと、私の携帯端末を修復してくれているらしい。 


 先程、リュックの中身を大風呂敷を広げるように、床に並べてみた。 その中の壊れて動かないノートパソコンや携帯端末といった電子機器をエルが、修復して、新たに私専用の携帯端末を作ってくれるのだといって、電子機器をバラバラに分解し始めたのだ。 


 私は、着替えの中の、性別関係なく使えそうなラフな部屋着に着替え、エルの作業が終わるのを、ただ、待っていた。 

 作業中のエルと、待ちぼうけの私。 なんだかこの短期間なのに、デジャブを感じるな。


 「やれやれ、ここまで原始的な基盤だとは。 まだ、苦戦しそうなので、くつろいでいていいですよ」エルは、原型がなくなるくらいにバラバラになった、電子機器を両手に、疲れた顔をしていた。

「あー。 うん」くつろいでいてもいいと言われても、部屋の大部分のスペースを占めるシングルベッドは、エルが作業に使用しているしな。 作業を手伝おうにも、私だと、邪魔なだけだろうし。 他にこの、簡易なビジネスホテルでやることなんて、テレビでも見るか、お風呂に入るくらいしか....


「じ、じゃあ、私、シャワー浴びてきてもいいかなぁ?」

私は目を伏せて、もじもじとしながら、エルに確認する。

「...? いや、勝手にいけばいいんじゃないですか。 なんで、それをエルに確認するんですか?」エルは、作業の手を止めて、訝しむように目を細める。


「うん、そうだよね。 いつかは確認することになるんだしね。 いいんだよね」

私がうんうんと、自分を納得させるようにつぶやくのを、天使が怪訝な顔で見つめていた。

「....部屋に入った時、二人きりですね、とか言って顔を赤らめた気はしますけど、ツッコミ待ちの冗談ですからね? もし、エルにサポート以上のことを期待しているようなら....」

私の要領の得ない言葉が、何を勘違いさせたのか、エルは睨むような目で警戒体勢に入ってしまう。

「違うわよ! この体は、私の体なんだから、お風呂に入って、私が見たって、問題はないよね、ってこと!」


ようやく納得がいったのか、エルは警戒を解いて、私から視線を外す。

「ああ、そういうことですか。 だからその体はあなた自身のものだと、何回も言ってるでしょう。 煮るなり焼くなり、どうぞお好きに」エルは、どうでも良さげにそう言うと、作業に戻ってしまった。 


 とにかく、許可もおりたことだし、問題はないはず。 煮も焼きもしないけど。

 

 私は洗面台の棚から、バスタオルを取り出して、ユニットバスの浴室に向かう。

ただ、お風呂に入って、自分の体をみるというだけのことなのに、部屋に彼女でも待たせているように緊張して、心臓の動きが早くなっていた。 洗面台の上の鏡に映る、少女を見つめながら、下に何もつけていない、Tシャツに手をかけ、それをまくり上


◇....ご想像におまかせします



 夜の、十一時。 激動だった一日も、残り一時間で、一旦の区切りを迎えようとしていた。

「ふぅ」浴室を出ると、空調の涼しい風が、火照った体を冷ます。


「ようやく出ましたか。 長風呂でしたね」

「うん。 髪を乾かすのに悪戦苦闘してね...」

 私が一時間ほど、浴室にいた時間の半分は、髪を乾かすのに悪戦苦闘していた時間だ。 正直、自分の裸にドキドキしていたのは最初だけで、それもひたすらドライヤーを動かす労力にかき消されて、今、体に残っているのは、慣れないことをした疲労感だけだ。 

 世の中のロングの女性は、毎日、これに近い、手入れをしているのか.... 

うむ、自分の身をもって体験しないとわからない気苦労も、きっと、まだまだたくさんあるんだろうな。  


 部屋に戻ると、細かな部品が散乱していたベッドの上はすっかり片付いていた。 

「ベッドの上がすっかりキレイになってるけど、外部端末とやらは完成したの?」

「ええ。 基盤がこの時代のものなので、使い方もスペックも、世に出回っている携帯端末と大差はないはずですよ」エルが、何かを握った手を、グーにして差し出してきたので、私はそれを受け取ろうと、無意識に手のひらを開く。

 その上に置かれたのは指輪を大きくしたような、黒いリングだった。 


「....?」

黒いリングを指で摘んで、くるくると回して、原始人みたいに上下左右から観察してみるが、これがなんなのか全く理解できない。 少なくとも、私がよく知る、手のひらサイズの、四角い画面とボタンが付いた、携帯端末とは似ても似つかない。


「うん。 あのね、エル。 私、あなたと話してて、たまにカルチャーショックのような、文化と常識の違いを覚えることがあるわ。 使い方がまるでわかんないんだけど」

「使い方も何も、指にはめるだけですよ」エルが、私の手のひらから、リングを奪うと、それを私の指に、指輪のようにはめる。


 すると、私の視界がデスクトップになったように、エルとホテルの部屋を背景に、AR映像のようにスマートフォンで使われるアイコンがずらりと並ぶ。

「わぁ、すごい。 未来みたい」

指にはめた、リングを空中で動かすとことで、タッチパネルのように、視界の画面を直感的に操作が出来るみたいだ。 私は端末を操作する自分の指が、キリスト教徒が胸の前で十字を切るような仕草に思えて、エルが指揮者のように空中を指でなぞっていた動作を思い出した。 

その事を話すと「まあ、エルは、情報という概念と直結できるので、こんな五感から得るような情報はサブのサブのサブのサブのサブですけどね」と自慢げに自分の力を誇示して、フフンと鼻を鳴らす。 しかし、サブサブうるさいな。


「この時代の、脳とは直結しない最古のネット環境では、動作に問題ないスペックでしょう。 外科手術で脳に電極を埋め込んでも良かったんですけど、流石にこの時代に、初めてをマギさんで試すのは怖かったので、やめました」

「いや、他の人でも試さないでよ? 人体実験じゃないのよ.... 流石に、脳に埋め込むとかそういうのは怖いからいいよ」もしかしたら、脳や体に、機械を埋め込むのも、少し未来では当たり前のことなのかもしれないけど、


「人体実験というのは、科学、医療の面からみると、有用なんですけどね」

「人権的な面は度外視してるけどね」相変わらず、悪びれもせずにとんでもないことをこの天使はちょくちょく口にする。 エルのような人を遥かに超越した存在からしたら、本当に、実験用ラットも、人間も大差ないように見えているのかもしれない。 いや、人と動物に差があると思っている私が傲慢で、同じ一つの生命なのだろうか。 それとも、そこまでいくと過剰だろうか。 うーん、難しくて、わかんないな。


 ついでに、もう一つ難しい話。 エルが語ってくれた話によると、人の歴史の二十世紀から、急速に発展して、地球に張り巡らされた電子ネットワークは、高度知的生命、すなわち情報生命体への第一歩であるらしい。 二十一世紀の私が生きる時代は、情報生命体からみると、猿が道具を使い始めた時代にみえているのだと。 

まあ、これも、よくわかんないけど。



「さてさて、ここからが、携帯端末を修復した本題なのですが」

人類をナチュラルに見下している天使の、飄々とした表情が真面目なものになる。

 

「マギさん。 あなたの生前のアカウントや痕跡をサルベージして、今の携帯端末に復元するのは簡単ですが、いかがいたしましょうか?」









 







 






 




  


 


 

 

  


   

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