第13話 2020年、東京③
時刻は午後七時。 日はすっかり沈んでしまったが、都会の街というのは眠ることを知らない。 むしろ、これからが自分たちの活動時間だと言わんばかりに繁華街は、明るく灯り、活気を増していくようだった。
私達は、エルがウェブ上の情報を元に探し出した、歩いていける距離にある、安いビジネスホテルへと向かい、繁華街を歩いている最中だった。
空中浮遊、壁の透過、姿の透明化が可能なのだから、空き部屋にでも潜り込むという選択肢もあった。 それ以前に、力を使えば、お金なんて、いくらでも手に入れる方法はあるだろう。
エルは、有り余った場所から、ちょこっと拝借して来ればいいと、おおよそ、天使とは思えない事を言っていたが、私の良心の呵責でそれはしなかった。
「私の目標は、別に贅沢な暮らしじゃないもの」
私は、大きなリュックサックを背負い、繁華街を真っ直ぐに歩いていく。 変身を解いた今でも、私の見た目は、真っ白な長い髪に、大荷物を背負って、男物の服と、かなり風変わりなものであった。 しかし、これから飲みにでも行くであろう、楽しげに騒いでいる集団達は、仲間内の会話に夢中なのか、私の姿を気にかける人はいない。 意識して注視しなければ、私の姿はそこまで目立つものではないのかもしれない。
「別にあって困るものでもないでしょう? 経済というのは循環することで成り立つものであって、あなたが、仏教の修行のように無欲な生活を送ったところで、代わりに誰かが救われるわけでもありませんよ」私の隣には、妖精のように浮遊しながら、後をついてくる天使の姿があった。
「別に誰かのためにやってるわけじゃくて、自分がしたいからしてるだけだから。 自己満足と言われたら、自己満足なんだろうけど。 自堕落な生活も、何年も続けると飽きてくるものなのよ」衣食住に困らない人間の、贅沢な悩みなのかもしれないが、私はフリーター生活で散々、怠惰を貪り、今、ようやく人生に意味を見出そうと悩み始めたところなのだ。
....というか、天使のコスプレのような格好のエルは、変身状態の私を同じくらい目立つと思うのだが、すれ違う誰かが、後ろ指を指すことも、話のネタにすることもない。 エルに聞いても、気にしないで、と言われるだけだし、なんでなんだろう。 理不尽だ。
◇
繁華街を抜け、怪しげなネオンの看板が光る、路地裏のような通りを歩く。 カラオケの声が漏れている、古ぼけたバーを通り過ぎると、私達の目的の宿が見えてきた。
「予約を何日も前から入れているように割り込ませたので、夕方、チェックインの”ゴミ、クズオ”と名乗れば、すんなりと通してくれるはずですよ」
「その名を、自ら名乗れと!? 後、割り込ませたって、あなたの力を使って不正してでしょ!」
「だって、予約のある、なしで、内容は同じなのに倍以上に値段が変わるんですよ?」
「それはそういうものなのよ.... 今回も私のためにしてくれたんでしょうけど、あなた、結構、自分勝手ね...」エルは、論理感や道徳観がまだ、正しく把握できていないと言っていたけれど。
結局、予約くらいなら、いいか、と流される私も私だった。
看板がなければ、小さな賃貸マンションにしか見えない、入り口の分かりづらいホテルへ入る。 フロントはこじんまりとはしているが、外見よりはしっかりしており、受付では、スーツ姿の、眼鏡をかけた若い男性が、カカシのように直立不動で立っていた。
「いらっしゃいませ。 ご宿泊でよろしかったですか?」
「えーと、はい」
「かしこまりました。 ご予約はございましたか?」
「はい、えーと、夕方からチェックインの....」
「....夕方からチェックインのシングル。 ”マギ”様でよろしかったでしょうか」
私が言いよどんでいると、占い師みたいに、私の名前を言い当てる。 少し驚いたが、予約リストを確認して、夕方からのシングルの予約客は、私以外、もういなかっただけのことだろう。 部屋数もそんなに多いわけではない。
というか、ちゃんとした名前で予約入れてくれてるじゃないのよ。 危うく、意味もないのに、ゴミクズを自称させられる所だった。 隣では、天使がニヤニヤと、小悪魔のようなにやけづらを浮かべている。
「あっ、そうです。 えーと、二人ですけど、シングルでいいですか。 この天使みたいな奴はあんまり気にしないでほしいというか.... 女の子ふたりなので、一部屋で十分、スペースは足りるというか」
受付の男は、私の要領の得ない話に、ごまかすように愛想笑いをしていた。
「二人? 後ほど、お連れのお客様がお見えになられるのでしょうか? えーと、一人様シングルの予約でよろしかったですよね」
んん? ホテルって、人数とか関係なかったっけ? しかし、なんで、こう、揃いも揃って、誰もエルの姿を”見えていない”ように認識しようとはしないのだろうか。
その後も、なんだか噛み合わない会話のまま手続きを済ませ、2○2と書かれたルームキーを受け取った。 受付の男は、対応も口調も丁寧だったが、どこか事務的で、心の中では、面倒事はごめんだ、さっさとしてくれ、と言っているような気がした。
まあ、おかげで、見るからに怪しい私に対して、パスポートやら身分証の提示を求めてくることもなく、今晩の宿を確保できたので、良しとしようか。
◇
「ね、ねぇ、エル。 私は、これまでの道中と、受付の人と話してて、思ったんだけどさ」
エレベーターを上がり、部屋へ向かう廊下の最中、推理というほどのものではないが、私は道中のおかしな出来事を思い起こしていくと、それを解決する、一つの仮定が成り立つことに思い至った。
「もしかして、あなたの姿は、私以外の他の人には見えていなかったりする?」
「はい。 エルの姿は、正体を明かしてもいいと思った人にしか、認識できないようプロテクトをかけております。 幽霊みたいなものですね、そこにいるけれど、霊感を持っているような特別な人にしか見えない」無重力の宇宙船を移動するように、ふわふわと滞空しながら、エルは曇りのない笑顔で、あっけなく肯定する。 いやいや、だとしたら、私はここに来るまでに....
「いや、それならもっと早く言いなさいよ! じゃあ、私、ここに来るまで、独りで虚空に向かって話しかけて、さっきの受付では、天使が横にいるとか、わけわかんないこと言ってた、頭のおかしなやつになるじゃないのよ!」受付の男性の引きつったような笑顔を思い出す。 ちょっと冷たい人なのかな、と思っていたけど、事情を知った今では、門前払いにされなかっただけ、いい人だったのかもしれない。 最も、ただ面倒で、業務がおざなりだっただけかもしれないが。
「ぷぷっ。 完全に、ジャンキー(麻薬中毒者)か、変なものが見えてる妄想患者だと思われてたでしょうね。 よく、門前払いにされなかったものです」エルは、笑いをこらえきれずに吹き出していた。
「....わかってて、やってるのね。 この、天使のフリした小悪魔め!」なんとか、この小悪魔に、一泡吹かせたくて、掴みかかるが、エルは、空中を自在に飛び回り、私の手からスルスルと、すり抜けてしまう。
「はいはい。 今、まさに、他から見たら、独りで怒ってるおかしな人になってますから。 誰かに見られる前に、さっさと部屋に行きましょう」ヘラヘラと余裕をかます天使は、気に食わないが、確かにそのとおりだ。
「部屋に入るまでは、アンタのこと、いないものとして、何しても無視するから!」このまま、じゃれていても、埒が明かないと思い、ズンズンと一直線に、誰ともすれ違わない廊下を歩いていく。
エルのちょっかいを完全に無視していると、ムキになった私がおかしいのか「ふふっ、人間って、面白!」と、死のノートを持った死神みたいなセリフを口にした。 「少なくとも、天使ではないと思ってたけど.... アンタはの正体は死神だったのね!」
◇
2○2と書かれたルームキーを、部屋の番号と照らし合わせて、鍵を開ける。
ホテルの部屋はよくあるタイプのビジネスホテルだ。 入ってすぐの左手に、ジェットバスの浴室が見える。 奥の部屋は、空間のほとんどをベッドが占めており、他には、引き出しに鏡のついたドレッサーと、テレビ、小さな冷蔵庫が置いてあるだけの簡易な部屋だった。
◇
部屋に入ると、私達は、ピンと張られたベッドのシーツに倒れ込み、しばらく、くつろいだ後、大きなリュックサックの中身を調べることにした。
リュックの荷物を、床にぶちまけてはみたが、出てきたのは、着替えや、洗面用具といった日用品一式。 ほかは、ノートパソコンや通信端末、充電機や電圧変換器といった電子機器。 重要品をまとめているであろう小さなバックには、大量のカードが入った財布やら、身分証のパスポートが入っており、他には、英語のレシートのように見える紙が、雑に詰め込まれていた。
しかし、衣服は、今の私とはまるでサイズが違うし、電子機器は壊れているのか、電源が入らないしで、大荷物のほとんどは役に立ちそうにない。
「生前の荷物を見ても、何も思い出しませんか?」
ベッドにして二人して、腰掛けながら、床に広がる、私の、荷物を見渡す。
「うーん。 正直、服とか靴も全然見覚えないんだよねぇ」ぶかぶかの、大きく裾を折り曲げたGパンと、使い古されたブーツを見下ろす。
「私は旅でもしてたのかな。 エルは私の辿った末路を知っているんでしょう? 私は一体、何をしてたの?」
「....えーと、世の中には知らない方がいい、悲しいことってのはたくさんあると思いませんか?」エルは痛々しいものから、目を背けるように。視線を泳がせている。
「....い、いやいや、どれだけ悲惨な末路だったのよ。 ねぇ、その哀れみの目は何。 今までみたいな、私へのいじりの一環だよね? そうだと言ってよ!」
この天使の言葉は、本音なんだか、演技なんだか、いまいちつかめない。
「あなたに起こった出来事だけを客観的にお伝えすることはできますけど.... せっかく新しい人生が始まったのに、いつまでも過去に縛られるなんて愚かですよ! 変わらない過去より、これからの未来に目を向けましょう!」なんて、ありがちな格言みたいな言葉を口にして、エルは微笑む。
「あくまでも過去には触れないのね.... 」
「生きてればそのうちいいことありますって。 元気だしてください」
「急に、気を遣って、優しくならないでよ! ていうか、私、もう死んでるし!」
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