第12話 2020年、東京②
二千二十年。 東京都、新宿区。 時刻は夕方の六時。
空に伸びる、超高層ビルが立ち並び、街行く人々が、その隙間を埋め尽くしていた。
繁華街のビルには、所狭しと、色とりどりの看板が掲げられていて、アジアの街並み独特の、混沌とした賑やかさを感じさせる。
人々のざわざわとした話し声と、絶え間ない足音が、いくつもの店内と、モニターから流れる音楽が重なり合って、都会の喧騒を奏でていた。
「はあー」行き交う人々の中、摩天楼のてっぺんを見上げ、間抜けに、口を開けて呆けている、私がいた。 城壁のように続いて、私達を囲む、高い建物の僅かな隙間からは、藍色に染まる空が見える。
東京は、何度かは遊びに来たことがあったが、目の前にすると、やはり地方の都市とは歩いている人の数も、立ち並ぶ店舗の数も、一桁、レベルが違う。
◇
絶えず、動き続ける人の波が、私をかわして、両横を流れていく。 ざわざわと、ノイズのような話し声の、雑音の中、明らかに私に向けられた言葉だけが、鮮明に聞こえた。
「あれ、何のキャラのコスプレ? お前、そういうの詳しいだろ?」
「いや、見たことないわ。 民族衣装とかじゃないの」
横を通り抜けていく人々の視線が、立ち尽くす私に向けられていることに気づいて、はっとする。
通り過ぎていく人々は、皆、カジュアルでラフな、現代らしい服装。 その中で、私だけが、グリム童話から出てきたような、エプロンドレスを着た、中世の少女の服装。 その上から、白いローブが全身を包んでいる。 周りと比べて、あまりにも異質で、嫌でも人目を引く。 東京の人から見たら、確かにアニメのコスプレに見えるだろう。
「もう! 何を、田舎者みたいに呆けているんですか。 目立つでしょうが!」
突然、グイと袖を引かれて、体を引っ張られる。 すぐそばにある、バスターミナルまで連れ戻される。 私達が乗ってきた高速バスは、つい先程、何事もなく終着の新宿への長旅を終えた。
私の腕を引いているのは、天使の格好をしている、ブロンドの女の子。 天使のエルは、人混みの中を、すり抜けるように、ズンズンと歩いていく。
「あ、あなたの格好も相当、目立つと思うんだけど....」
「エルのことはいいんです!」
◇
エルに引きづられて、早足で向かった先は、バスターミナルの公衆トイレだった。 躊躇なく、女子トイレに私を引きずり込もうとするので、私は戸惑う。 しかし、今の自分が少女の姿をしているのを思い出したのと、有無をいわさず、グイグイと引かれる腕のせいで、するりと、女子トイレの入り口をくぐってしまった。
「待ってよ、なんで、女子トイレに」
洗面台の鏡の前では、何人かの女性が、化粧を整えているのか、顔をいじっていた。 その後ろを、早足で通り抜けると、私は、空いている個室に押し込まれ、突き飛ばされる。
「わっ! なんなのよ!」
私は、フタが閉まったままの、洋式の便器に尻もちをついた。
エルは、私を押し込んだ狭い個室に入ってきて、くるりと背を向け、扉を閉めて鍵をかける。 再び、くるりと振り返ると、外に声が漏れるのも構わずに、顔を近づけて怒鳴り始めた。
「なんなのよ、じゃないですよ! 人に見られるなと言っていたでしょうが! どれだけ注目を浴びてたと思ってるんですか。 その容姿と、白髪だけでも目立つのに....」
容姿、か.... そういえば、私はまだ、自分の容姿を知らない。 動物が初めて鏡を見て、そこに写った自分が、自分だと理解できないように、私は、自分の姿を知らないのだ。
「とりあえず、その目立つ服だけでも脱ぎましょうか」
「ぬ、脱ぐって、代わりの服がないよ?」私は思わず、自分の体を抱いて、抵抗するように、体を小さく丸め込む。 ターミネーターみたいに、そのへんの人から、服を奪うとでも言うのか。
「だあ! もう、クネクネするな! 気持ち悪い.... 今のあなたは、常時、力を開放している。 魔法少女的に言えば、変身状態、略して”変態”にある。 それを解除すれば、変身前の服装に戻るはず。 マギさんの場合、どこまで遡るかはわかりませんが、おそらくは、生前の服装に戻るものだと思われます」
「いや、別に略さなくていいから」変態て。
「えーと、で、どうやったら、変身を解除できるの?」私は自分の体を、ポッケに入れた鍵を探すように、弄ってみるが、もちろん、変身をON/OFF切り替えるスイッチがある訳もない。
「だから、その力はマギさん自身のもの。 エルに聞かれても、力を抜くとか、リラックスするとか、そんな、一般的に考えつくようなことしか答えられませんよ? あなたが願うなら、力も、そのように答えてくれるはずです」
「ん、そっか。 私自身の力というのは、何回か言われてたね。 力を抜く、ね」
肺の空気を吐き出し、体を便座に預け、全身を脱力させてみる。
「....ふへぇ」....特に体に変化は起こらない。
「何、アホ面してるんですか? ふざけてます?」
「アンタが、力を抜くって言ったんでしょうが!」
二人で入るには狭い個室で、天使が、私を見下ろしている。
「んー。 トリガーのようなものがあると、心理的にもわかりやすいんじゃないでしょうか。 変身、変身解除にこうするという動作を決めておくことで、体や心を、力と結びつける」
「トリガーねぇ。 変身なら、ポーズを決めたりと、なんとなくわかるけど」
変身ヒーロー物だと、どうしてたかなと、頭の中で思い返そうするが、変身の解除となると、いまいち、決まったアクションが思いつかない。
「あなたが、解除の合図だと認識できれば、動作なんてなんでもいいんですよ。 女児アニメの決めポーズだろうが、恥ずかしいセリフだろうが。 これ以上、あなたの評価が下がることはもうないので、見栄えなんて気にしないで、さっさと、解除してください」変身の解除というのは、さして重要でも、難しいことをしようとしているわけでもないのか、エルは腕組みをして、じれったそうにしていた。
「私の評価、そんな地の底なの!? バス事故回避した時、普通の人間にまでは、戻ったと言っていたのに....」
「いや、うん。 私の思いが力を動かしているんだもんね」
私は、祈るように、右手の握りこぶしを胸に置くと、力を引き抜くイメージを頭に浮かべ、胸のペンダントを引きちぎるように、右手を胸から遠ざける。
一瞬、私の体が、白く発光したかと思うと、
衣服が、光の粒子になってキラキラと消えていった。
◇
「うわっ! お、重っ!?」途端、誰かがふざけて、背中にのしかかってきたように、体の軸が後ろへと傾き、私は、ひっくり返りそうになる。
便座の上に座っていたので、さらに、ずり落ちたようにおかしな体勢で洋式便器にもたれかかっていた。 ちらりと背中をのぞくと、そこに私にのしかかり引き倒した、犯人がいた。
犯人の正体は、後ろから見たら、私の姿を隠してしまうほどの大きなリュック。 急に現れた、こいつが全体重をかけて、私の肩を引っ張り、後ろへと引き倒したのだった。
「な、なにこの、バックパッカーみたいな大荷物は,,,,」私は、黄色の大きなリュックサックを背負い直し、崩れた体勢を、引き起こす。
体を見下ろすと、私の服装は、男物のカジュアルなデニムとTシャツに、古ぼけたロングコート。 サイズはぶかぶかで体にまるで合わない。 靴のブーツは、大きすぎて、もはや長靴のようだった。
「これが、死ぬ前の、私の持ち物と服装? うーん、こんな服や靴、持ってたかなぁ」
私は、リュックを、背中から膝の上に回そうと、狭い個室の中で悪戦苦闘していた。 すると、エルが私の肩に手を置いて、リュックに手を伸ばし、何かを掴んだかと思うと、それを私の頭に被せる。
「わぷっ! な、何?」突然、視界を遮った物も、手で押し上げる。 私の頭には、エルが被せたであろう、ツバの黒い帽子が乗っかっていた。
「とりあえずはこれで、街を出歩いても、おかしくはない格好にはなったでしょう。 どうせ記憶がないのだから、荷物と服装に関して、アレコレ詮索するのは後にしましょう」
エルは、西部劇で酒場を立ち去るように、個室のドアを開く。
「さあ、改めて、東京へ繰り出しますか、ここから私達の物語が始まるんですよ」
「ま、待ってよ。 繰り出すって言っても、どこに行って、なにをするのよ? それに、この格好は....」
外に歩き出そうとしていたエルは、はぁと、うんざりしたように息を吐いて、くるりと踵を返すと、私を薄暗い個室へと押し戻す。
「あのですね、一つ言っておきたいんですが」
「あなたは、なんでどうやってどうして、と子供のようになんでも聞いてきますが、その力はあなたが望んで手に入れた。 そして、エルも”上”もあなたの願いの為に、動いている。 これから何処へ行って、力を使って何をするかなんて、むしろ、こちらが聞きたいくらいのこと」エルは目を鋭くして、口を固く結んでいる。 私は、叱られた子供のように、何も反論できなかった。 この力は私のもので、この旅の目的は私がどうしたいか。 というのは何度か言われていることだった。
ただ、私はゆとり世代の、主体性のない指示待ち人間なので、自分が中心の立場になるとすごく困ってしまう。
「わかりやすく例えるなら、マギさんが社長で、エルは秘書ですから。 基本的な説明ち助言くらいならできますけど、エルがこうしろと、強制することはありません。 これからの方針はあなたが決めてください」エルはだんまりの私に、そう言い捨て、女子トイレを後にする。
私は情けなくも、その後をすごすごと付いていった。
◇
その後、重要品をまとめたであろう、小さなカバンを見つけ、その中に、十数万の通帳を見つけた。 お金を手に入れ、日もくれ始めていたので、宿探しを当面の目的にした。 一晩、夜を明かすだけなら、色々と選択肢もあったのだが、今は、この大荷物の整理と、魔法だの奇跡だのという単語が飛び交う話し合いがひと目を気にせず出来る個室が欲しかったので、ホテルに泊まることにした。
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