第10話 残り十秒

 力で止めるのではない。 心に触れて、気持ちを変える。 

どうすれば伝わる? 何を伝える? 



「電子音源(シンセサイザー) ”サイレン”!」

 私の両横にスピーカーのように、波紋状に、何重の丸が現れる。

「音源を拡張」 

波紋は広がって、空気に振動を与える。 そして、振動は”音”になる。


 静かな森に、ウーーーー、とけたたましいサイレンの音が鳴り響く。

「あなたは、一体何を.... 」 エルが理解できないと怪訝な口調でつぶやく。


 音を増幅している、いくつもの重なった丸を、引き絞るか、拡張することで、サイレン音の大きさを、波のように繰り返す。 ウーー、ウーー。


 この音は、運転中のドライバーなら聞きたくはないであろう、パトカーのサイレンの再現。 心当たりがあるなら、なおさら効果的だろう。

本当はこういう”抑止”みたいなことは好きではないのだが、今は、好き嫌いなんて言っている余裕はない。


 山道を、バスのエンジン音と、一定の周期で繰り返されるサイレンが通り抜けていく。 音だけ聞いていると、カーチェイスでもしているようだ。


「何がしたいのか、全く理解できません.... 残り四十秒! すぐに、ドライバーとのコンタクトを図らなければ、あなたの見た地獄絵図の再現になりますよ。 それはあなたが、最も嫌悪した結末ではないのですか!」

怒鳴り声も当然だと思う。 私はなんでここまできて、結果を相手に委ねるような選択肢をとっているのか。


「これで、ダメならバスの前に、私が姿をあらわして、止めさせる!」

私の両隣に浮いている、空気を震わす波紋に力を込める。


 私の足元のバスが、前傾に揺れる。 私は前へと放り出されそうになるが、両足が天井に張り付き、サーフィンみたいに揺れを乗りこなす。 

「いや、...減速している? エルには理屈がわかりませんが、速度が急速に低下! 現在時速四十キロまで減速。 Z地点までの残り時間と、事故の可能性の数値が変化しています」


 視界を邪魔しない位置にある、いくつもの電子窓のひとつ、40と小数点以下の二桁が激しく切り替わる画面。 右下のタイムリミットの数値が間延びしたように、進まなくなる。  バスの速度が落ちているせいだ。


「エル、どう? この速度でもZ地点での事故は回避できない?」

「事故の可能性は大きく減りましたが、確実にとは言えません。 さらに、現状は安全域の走行ですが、これがいつまでも続くという保証もありません」


 サイレンの音は聞こえるが、パトカーの姿はない。 こんな山の中に? という疑問も、出てくるだろう。 この幻のような魔法はいずれ、解けるものかもしれない。


 だったら、もっと深くへ。 根本的な原因を辿る。


「今の速度を維持しているなら、走行に問題はないんだよね? じゃあ、後は心の問題」 「もうサイレンはいらないや」

すぐそばでうるさく鳴り響く、サイレンの音を止める。 スピーカーのような波紋が小さくしぼんでいく。

「エルはよくわかんないですけど、警報音は鳴らし続けていたほうが、良いのでは。 この音が、バスの速度を落としたのでしょう?」


「ううん。 こんな攻め立てるような、激しい音はいらない。 バスが安全域まで速度を落とした時点で、サイレンの目的は達している」


あとは、ただ穏やかに。

「電子音源(シンセサイザー)”ヒーリング”」

私の思いを届ける。 私の力は、現実を変える願い。 


 音か、波長か、気持ちか。 波紋が、包み込むように広がっていく。

気持ちが変われば、世界も変わる。 今はただ穏やかに。 焦る必要なんてない。



「Z地点まで、残り二十秒。 マギさん、動きがありませんが、”人事を尽くして天命を待つ”の状態でしょうか。 あとはドライバー委ねる、と」


「うん、私はあなた達を信じるよ。 誰の心にも、人を思いやる穏やかな心があるはず」

いい人、悪い人がいるのではなく、一人の心の中に、良い面も悪い面もあるのだ。

だから、善の心を引き出して、増幅することができれば、それは希望になるはず。


 木々の隙間を走り抜けるバスの天井で、私は座り込んでいた。 

 

「Z地点まで残り十秒。 この速度なら、問題はないはずですが....」


 緩やかなカーブに差し掛かる。 海岸線のように、切り立った斜面には見覚えがあった。 私が目覚めて、天使と出会った場所から見上げた光景。 


「五、四、三....」スペースシャトルの打ち上げみたいなカウントダウンに、息を呑む


「....」



「Z地点通過! バスは走行を続けています。 やりましたよ、マギさん! あなたの行動により、今、現実が書き換わった!」




「はああああ。 つ、疲れた」

私は安堵に満たされ、肺の中いっぱいの空気を吐き出し、バスの天井に、倒れるように寝転ぶ。 昼時の、一番高いところにある太陽が眩しい。


「いやあ、やるじゃないですか。 バス事故も回避して、こちらからの”知られてはいけない”という制限までクリアしている。 プロセスはなんとも危なっかしいものでしたが。 結果的には百点満点といっていいんじゃないでしょうか。 エルが褒めてあげますよ」

 視界に浮いている画面に、テレビ通話みたいに、首から上のエルが映し出されている。 天使はいいことでもあったようにニコニコと微笑んでいる。


「そりゃ、どうも」私は頭も、体も疲れ切っていたので、投げやりに返事をする。


「エルの中で、マギさんへの評価がダメ人間から、人間へと変化しましたよ。 おめでとうございます」


「ようやく、普通の人間になっただけかい。 もう突っ込む気力もないよ」



「さてさて、ここで提案なのですが、事故を回避した今、こんな山奥に用はありません。 このままバスに乗って、行き着くところまで行ってしまいましょうか」


 バスに乗っていると言っても、座席に座っているわけではなく、天井にへばりついているんだけどね。

「うん。 Z地点を無事に通過したけど、この先も今の安定した状態が続くとは限らないし、最後まで見張ってたほうがいいと思ってたところだから、私はいいけど、あなたはいいの? 山の中で置いてけぼりになってしまわない?」

さっき、私がZ地点を通過したときは、エルの姿を探す余裕はなかったので、姿は見ていないが。 エルは今も、私と最初に出会った、Z地点の下、バスが突っ込んでくるはずだった場所にいるはずだ。 


「んー。 まだまだ、説明不足で、認識のズレがあるようですね。 エルは、肉体を持ったあなたたち、人間とは異なる、情報生命。 距離的な問題などありません。 あなたのいる場所が、私のいる場所。 たとえ、地球の裏側だろうが、あなたが呼ぶなら、一瞬で現れますよ」


だから、セリフが重いって。 

「ま、まあ、あなたが大丈夫ならいいんだけど....」  

どうせ、あてのない旅だ。 巡り会いに身を任せるのも悪くないか。

「ちなみに、バスは何処に向かってるの?」













  






 






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