第9話 心に迫る

 全長十メートル、幅二・五メートルの鉄の塊が、私の足元に唸りを上げながら突入してくる。 時速数十キロで、疾走するこれだけの大きな物体は、果たしてどれほどの質量だろうか。 


 私は今から、素手と、不確かな魔法の力で、コイツを止めなければならない。

しかも、乗客、乗員に目撃されないように。 という条件付き。


 考えを巡らす時間もない。 バスの高さ、ギリギリのラインを見極め、空で待ち受ける。 バスが私の真下へ突入した瞬間。

天井めがけて、両手を伸ばし、ダイブする。 限界まで張り巡らせた意識が、映像をスローモーションに引き伸ばしていく。 


 私の体がゆっくりと沈み、腕を伸ばす。 しかし、機械のすばやく正確な動きは無慈悲に、私をあざ笑うかのように通り抜けていく。


....! ダメだ、このタイミングだと届かない! 


 バスが私の真下にいるのなんて、時間にしたらほんの一瞬。 このままでは、バスが過ぎ去った後の道路に一瞬遅れて私が頭から突っ込むだけ。 


 この手が届かなければ、何も救えない。 この人知を超えた力は何のためにあるんだ。 現実を変えるためじゃないのか! 


 スローモーションの意識の中で、私がみたのは両手から伸びていく、一筋の光。

白い一線が伸びていき、スパイダーマンの手首から出る糸みたいに、バスの天井へ張り付き離さない。


 そして、スローモーションだった世界が、リモコンの再生ボタンを押したみたいに映像が流れ始める。 ねっとりと絡みつくようだった空気の流れは、激しく流れ、バタバタとやかましく私のローブを叩いた。


「捕まえた! うっ!?」 がくん!と手綱のように握った、バスに繋がる光の線に両手を引っ張られる。 


 私は、暴れ馬に翻弄される騎手みたいに、空中を舞う。 だが、手綱のように掴んだこの手は離さない。


「相変わらず、危なっかしいですが、第一段階の対象との接触はクリアー。 さて、ここからどうします?」

 顔の横に浮く通信の画面から、私を試すような声が聞こえてくる。 Z地点突入、残り百秒までは私の独断に任されている。 ここまで飛んでくる間、方法は即興ながら考えてきた。

 

 バスにつながる光の手綱を手繰り寄せ、空中を引きずられるだけだった、体を引き戻す。

意図的ではないが、このバスと私がつながった有様は好都合だ。 バスの後部座席には若い男女グループの頭が見える。 できればそのまま気づかず、振り返らないでもらいたい。



 姿を見られないようにするなら、力で止めてしまうしかないだろう。

「今、私にできることなんてひとつ。 これだけ!」 「翼を展開!」

背中に四枚の、蝶々のような大きな羽を広げる。 そして花が閉じていくように、自らを半球に包み込む。 目的としては、帰還したスペースシャトルのパラシュートのように、空気の抵抗で機体にブレーキをかけること。


強くイメージして、羽の実体化を強固なものにする。

「マギさん! 衝撃に備えて!」エルの叫ぶような警告。 次の瞬間だった。


 「!?」

後ろから、車がノーブレーキで突っ込んできたような凄まじい衝撃。 両腕が肩から引っこ抜けるかと思った。 背中の実体化したパラシュート状の羽に、空気が飛び込み、その場に留まらせようと抵抗し、前に進んでいたバスは無理やり私を引きずる。 両方から引っ張られる私の、光の線で繋がる両手に引きちぎられるような負荷がかかる。 

「ぐううう! 痛いいいい!」 それでも私はこの手を離さなかった。 誰か褒めてほしいくらい。


「人間の体なら、今ので腕が千切れてもげてましたね」

「ただ、今の”変身状態”にある。 あなたの身体機能、強度は、通常の体の何十倍にも引き上げられている。 ちょっと乱暴に扱ったくらいではどうにかなったりしません」


「おもちゃか、私は! もげるとか怖いこと言うなあ!」

空気の抵抗がこんなにも、強いものだったとは。 速さを求める乗り物が、空気抵抗との戦いであること肌で理解した。


 私の羽が受ける空気抵抗とバスのエンジンの綱引き。 私は青空が見えるくらいにのけぞり、光の線を引っ張る。


「止まれええええええ!」


 バスに伸びる光はちぎれることも、接着面のバスの外装が剥がれてくることもなさそうだ。 これは空想が現実に侵食する私の力が、都合よく、物理の法則を塗り替えているのだろう。



 綱引き勝負は、痛みに耐えた私の努力が実を結びそうだった。 幾分かは、肩の痛みも激しいものではなくなり、痛みが和らぐに連れて、徐々にバスの速度も落ちているような気がする。 


「力技ですが、いいですよ。 減速しています」


 バスのエンジン音が、カタカタと弱々しい音になる。 対応は手探りだったが、事態は好転しつつあった。 ほんの少しだけ安堵しかけた時、ガコン、と何かが切り替わるような機械音。


 鉄の塊がウオオーンと猛り、ムキになったように、私を再び引きずり始める。

おそらくギアを落としたのだろう。 先程より力強い走りで、加速していく。 

「こいつ....!」

さらに、カーブに差し掛かったのか、遠心力で私は外周へと流れていき、道路上を外れる。 目の前には、生い茂る木々の枝葉。 突っ込む...!


 緑の木々の中へ投げ出される。 ガサガサとやかましい中、私の体が、葉を散らし、小枝をへし折り、めちゃくちゃに揉まれる。 私は思わずバスに繋がる両手の光を手放しまった。


「すぐに体勢を立て直して! 一度、離されたら追いつけなくなる!」

「分かってるううう!」

獣のように四足で、太い幹を蹴る。 バキバキと枝を折りながら、道路へと飛び出す。 獲物に襲いかかる肉食動物みたいにバスの天井へ飛びつく。


 山道を、対向車など来ないと決めつけているような速度で、反対車線までフルに使って、バスは速度を上げていく。


 私は天井へ飛び乗ると、四足を天井につけてしがみつく。 手足が白く光り、吸盤でもあるかのように、天井に張り付いていた。 戻っては来れたし、落下の心配もなさそうだ。 けれど、これからどうしたらいい? バスは重荷をおろしたように軽快に速度を上げていく。  


「対象の加速を確認。 Z地点までの時間を修正。 Z地点到達まで、残り百二十秒」

....! 何をやってるんだ私は。 私がしたことはすべて裏目に出て、状況は悪くなるばかり。 

「こうなっては仕方ありません。 乗員、乗客への直接のコンタクトによる停止に作戦を移行します。 マギさんは乗員がパニックを起こさないよう」

「待って! 後、二十秒あるでしょ! 残り百秒までは私にやらせて」何を言ってるのか、自分でもわからなかった。 手段を選べないと言ったのは私なのに。 

小さなプライド? 理由はまだ聞いてないが、姿を見られることによるデメリット? 



「マギさん!」すがるような、怒るような、立ち尽くす私への呼び声。


今の私に、この疾走する鉄の塊ほどの質量を止めるすべはない。 


 考えろ、もっと深く。 バスを動かしているのはエンジン。 その動力を伝えているのは、四つの車輪。 


 後輪を浮かしてしまえば、道路に動力は伝わらず、走行も止めてしまえる? 踏み込んでいるアクセルを離してしまえば.... 


 いや、もっと本質に、心に迫れ。 事故の原因は運転手の焦りなのか、性格なのか、荒々しい運転。 運転手の心。


「私の力は何だって出来るんだよね」

自分に問いかけるように、小さくつぶやく。

  







 


 




 




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