第8話 最初の試練

「Z地点でバスが事故を起こすその瞬間に待ち受けて、一発勝負で対応しようというのは、何もかもが初めてのあなただと不安要素が多すぎます。 バスがZ地点に到達するまで三百九十秒。 この時間をフルに使う」


 視界に浮いている、近未来的なインターフェースの中に、新たな、四角い画面が追加される。 視界の右端に現れた画面には、380のデジタル数字。 エルの言葉と示し合わせると、Z地点にバスが到達するまでの、残り時間なんだろう。 映画でよくある時限爆弾のタイムリミットみたいに、刻々とその数字を減らしていく。


「そ、そうか。 失敗はできないもんね」 ”失敗しました。 次は気をつけます。” で済む話ではない。 四十人の命がかかっているのだ。


 今の私の力量は、翼をグライダーのように背中に固定して、横風にさらわれないように、滑空しているのがやっとなのだ。 バス事故に対する具体的な対策も何も思いついていない。


「幸い、現在の進行方向はバスのほうに向いています。 対応は早いに越したことはないでしょう。 このまま飛んで時間的なマージンを稼いでください」


 私がバスのところまで行けば、Z地点に到達するまでの時間で、何度かの”力”の試行が出来る。 成功の可能性が何倍にも増えるということ。


「わかったよ。 この赤丸のマーカーがバスだよね。 それでこの右下の数字がZ地点までの残り時間。 つまりはタイムリミット」

視界がデスクトップ画面になったみたいに、近未来的なデザインの四角い画面がいくつも浮いている。その中で、射撃の的のような赤いスコープがジリジリと動いている。


「その通りです。 続けて、物理シミュレーションによる時間と位置を予測...」

エルが聞こえるか聞こえないかの音量で、独り言みたいな口調で、ぶつぶつと小難しいことをつぶやく。

 すると、視界に私からバスへと伸びる、緩やかな下降を描く光のルートが表示される。 その上に今度は距離の数値なのか、四桁の数字が忙しく動いていて、その数値を減らしていく。


「中央に表示されている道が、対象への最適ルート。 その上が、マギさんを中心とした平面座標のY軸が、対象に重なるまでの距離。 マギさんは

「ちょ、チョット待って、座標? ワイ? 難しいこと言われてもわかんないよ!」

数学の問題みたいな単語に頭痛がして、思わず口を挟む。


「この国の、義務教育で習うようなことしか言ってませんよ。 なに

「私は実質、小卒だし、文系タイプなの! XとかYとか出てきた時点でもうわかんないの!」さんすうしかわかんないよっ☆


「何を開き直ってるんですか.... 要するに、ルートの上の数字がゼロになるとき、マギさんの下にバスがいるということ。 だからあなたは、その時にバスの近くに居れるように、高さ、横の位置を調整しながら下降してください」


「最初からそう言えばいいじゃない! わざわざ難しい言葉、使って!」

「僭越ながら、”力”を使う上で守っていただかなくてはならない条件をつけさせてもらいます」エルはもう議論も無駄だと思ったのか、私の逆ギレには触れようとせず、話を勝手に進める。



「条件?」一息あった後、エルはこれまでで、最も重たいトーンで話し始める。

「理由は後々説明します。 あなたのその姿、”力”は人に目撃されないでください」


「は、はぁ? 誰にも姿を見られずなんてどうやって.... それに、そんなこと言ってる場合じゃ」

「わかってます。 エルはマギさんの要望を優先します。 ”タスクの優先度を変更 人命救助を最優先” 残り百秒を切ったら、やむを得ません。 直接乗り込んで、バスを止めてもらいましょう。 どう、事後処理でつじつまを合わせるかはそれから考える。 それまでは制限のなかでやれることをやりましょう」


「やれること、って言っても」口をついて出そうになった、文句を飲み込む。 

エルは先程から、軽口を挟む余裕すらなさそうに、解決の模索に尽力してくれているのだ。 対して、私は不満と質問を繰り返しているだけ。 

そもそも一番の問題は、私が言うことだけ立派で、やろうとしていることに対して、実力がまるで見合っていないこと。 エルは、理不尽な上司からの無茶苦茶な要望じみた、私のわがままを、私の願いだからと、その一点で限られた条件の中、実現しようとしてくれているのだ。 知られてはいけないというのも理由があるはず。

「ううん。 ごめん。 あなたを信じるって、言ったばかりなのにね。 私が強くならなきゃ」



 地上の蛇のようにうねる道路をなぞり、滑空を続ける。 機首(頭)を下方向に傾けるか、翼をたたむと、体が速度を上げて降下していく。 翼を広げ、体を引き起こすと、ブレーキがかかったように速度が落ちる。 この単純な二つの動作を繰り返しながら、私は風に揉まれる紙飛行機のように、緩やかな下降線をたどる。


「これも幸いながら、この道路を通る車はめったにいません。 大事の前の小事。 バスの車内からの多少の目撃については、目をつぶりましょう。 あなたはバスを止める事に集中してください」


 ミニチュアのようだった山の景色も、今は道路のひび割れを目視ではっきりと確認出来るくらいまで下りてきた。 距離を示す数値は1000(おそらく一キロ、千メートル)を切った。 Z地点までは308の表示。 およそ五分。

「うん。 なんとか頑張ってみる。 ....見えた!」

視界のマーカーの中に、拡大アシストなしで、青と白の、こちらへ向かってくるバスを捉える。

「アシストを解除。 ここからは現場のマギさんに判断を任せます。 ご武運を」


 いくつもの、私の周りに浮いていた四角い画面が、私に道をゆずるように左右にズレていった。 窓を開け放ったように、視野が開ける。



 私は、体を引き起こし、空気の抵抗によるブレーキをかける。 道路からは四、五メートルほどか。 バスの高さより、ほんの少し上で待ち受ける。 


 すれ違うのなんて、ほんの一瞬だ。 そして、その一瞬のチャンスを逃せば、私の力では、もうバスに追いつけない。 集中しろ。

 オオーンと鳴き声を上げて、四角い鉄の塊が、赤いマントに興奮した闘牛みたいに突っ込んでくる。












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