第7話 「「飛べる」」

「飛ばなきゃ」

山の斜面に、横一線に伸びる道路を見上げる。 あそこまで飛んでいかないと、この手は届かない。


「つよく願う。 私の力は魔法のように、現実を変えるもの」

大丈夫、モチベーションは高い。 頭もクリアーだ。 あとは実践あるのみ。


「そうそう、”案ずるより産むが易し”です。 どうせ、頭悪いんですから、うだうだ悩むより行動!」


 「だったら、ちょっと静かにしててよ。 今、いい感じで集中、出来てたんだから」

目を閉じて、体を丸めてイメージする。 天使のように、この背中に翼が生えたイメージを。 つよく信じる。 つよく、つよく


 果たして、ただの思い込みか。目には見えない力が集まり、その密度を濃くしていくのを背中にチリチリと感じる。


空想が現実を侵食していく。 想像は創造へ進化する。


 機械の起動のように、ゆっくりと目を開く。 背中に、おとぎ話に出てくる妖精に生える、蝶々のような四枚の羽が、確かに存在している。

「つよく、つよく、つよく」猜疑心を持つな。 今、できるのは、余計なことは考えないこと。 心の深いところにある、上辺など取り払って残った、純粋な願いと向き合うこと。 私の願いは。


 薄い膜のような存在のおぼつかない羽が、サナギから孵った蝶々のように、次第に形を力強く、はっきりとしていく。 




 この煩わしい現実世界。 魔法も奇跡もなければ、慈悲も希望もない。 きっと過去も世界も断ち切った異世界という選択肢もあったのかもしれない。 それでもわたしは、この世界を選んだんだ。 私の願いは逃避願望なんかじゃない。 だって、この穢れた世界でだって


「わたしは」「あなたは」


「「飛べる!!」」


 クラウチングスタートのように、大地を思い切り蹴り出す。 高速で景色が飛んでいく。 弦から放たれた弓矢のような勢いで、私は空へと舞い上がった。



 四方に私を拒むものなんて何もない。 ただ鮮やかな澄み切った青の中に、私が雲のように浮いていた。 一息にして、後ろに、連なる山々が見えるくらいの高さまで飛び上がったらしい。 青く広い、空の中で、今日が快晴だったことを知った。


 なんて感傷に浸っていられたのは一瞬。 飛べたのはいいが、後先なんてなんも考えてなかった。 いや飛べたのではなく、これはただの大きな跳躍。 

いま、無重力みたいに浮かんでいるのは、引力と飛び上がった勢いが釣り合っているからで、すぐに、現実の法則が私を地上へ引きずり落そうと、重たくのしかかってくるだろう。


 長い髪の毛と、白いローブが、ふわりと浮き上がる。 重遊園地のジョットコースターやフリーフォールの落ちる寸前の、内臓がせり上がってくるかのようなあの落下の感覚。


「うう、お。落ち!」 声が喉に引っかかる。 落ちる...!



 私を引きずり降ろそうとする、現実世界の法則が、地上から伸びる見えない手のように感じた。 お前はこの地上から抜け出すことなんて出来ない。 ”飛べない”のだと告げているようでとても怖かった。


 私は飛べない....?

そう思ってしまった、その時。 背中の羽根がただの空想へと成り下がり、ただの夢だったように消えていく。 私は、内蔵を押し上げられるような落下感に身をすくめて、目を固く閉じた。


 暗闇の中で、真っ逆さまに落ちていく。 聞こえるのは、やかましく吹き付ける風の音だけ。


「小さくなるな! 前を向け!」目を閉じた暗闇の中で私を叱咤するのは、私の味方だと言ってくれた天使の声。


 目を開くと、空の青と、森の緑が逆さまになって、世界を真っ二つに分けていた。 「エル!?」 どこから? ここは地上から何十メートルの空中のはず。


「両手を広げろ! あなたは飛べる!」 幻聴などではない。 姿は見えないが、確かに声が聞こえる。


「....!」 恐怖に丸まった体を主張するように伸ばし、大きく両手を広げる。 

「展開!」背中の羽を、蝶々の羽から、鳥の翼のように形を変えて大きく広げる。

体の前面に猛烈な風の抵抗を受けて、落下の勢いが緩やかになる。


 ゴウゴウと、下から殴りつけるような風を受けて、もみくちゃにされる中で、落下に抵抗するだけだった翼が、空気の流れの上を、サーフィンみたいに滑っていく感覚を、私は掴み始めていた。


翼は風をつかんで、落下は次第に滑空へと、変わっていった。



 グライダーで飛んでいるみたいに、青い空を滑っていく。 体勢は安定している。


「まったく、あなたは、向こう見ずというか、猪突猛進型というか。 すこしは学習してください」服がバタバタとやかましくなびき、風切り音がゴウゴウと叫ぶ中で、エルの声だけは雑音に邪魔されずはっきりと聞こえた。


「エル? そばにいるの?」滑空は安定しているとはいえ、周りを見回す余裕はない。 今は、体を風の向きと平行に保つだけで精一杯。 どこからか聞こえるエルの声に問いかける。


「さきほど、少し細工をさせてもらいました。 現在は聴覚による音声通信で、離れた場所から通話を行っています。 ですので、見回してもエルの姿はありませんよ」

ふと、視線を横にずらす。 私の耳から口にかけて、ヘッドセットのマイクみたいに伸びる、サイバーチックなデザインの矢印が、AR映像のように浮かんでいた。


 次の瞬間。 私の視界がディスプレイになったように様々なの数字と計測系が表示される。 中央には十字の、定規のようなメモリがあって、現在位置の縦軸、横軸の値を計測しているように見える。 まるで最新戦闘機のコックピットみたい(ゲーム知識だけど)にごちゃごちゃと情報を表示している。


「す、すごいすごい! SF映画みたい!」

 眼下の山の斜面に、蛇のようにクネクネと這う、道路がわかりやすく青く光っていた。 これも私を補助してくれている力のひとつなんだろう。


「言ったでしょう、全力でサポートをすると。 視界に広がっているのはユーザインターフェース。 エルが情報によるアシスト、サポートを行います」

顔は見えないが、どこか得意げな声が聞こえる。


 さっきエルが私にしたことはこれだったのか。 おまじないなんて、効果が不確かなものではなく、現実的な情報による補助。 私の頭の上には曼荼羅のような模様をした円が、天使の輪っかのように浮かんでいた。 どうやらこれが基盤みたいだ。


「ただ情報は多すぎても動きづらいだけ。 必要なさそうなものは除外します。 ”本題”が疎かになっては本末転倒ですしね」

 ごちゃごちゃとした、何を示しているのかよくわからない細かく数値を変える数字が消えていく。 シンプルになった視界のデイスプレイの中で、常時、赤丸でマーカーされている、青いライン上にいる対象物を凝視して、”本題”を思い出す。


「そうだ! バスを止めないと! かなり移動しちゃった。 元の場所にもどらなきゃ」くるりと、もと来た方を振り返る。

「いえ、マギさん。 そのまま、飛び続けてください」


「なんで!? てか、だれが頭悪いですって!? 」 なびく服がバタバタと、風切音がゴオゴオとうるさいので、私は叫ぶように話す。


「そんな、だいぶ前のことを今更、ツッコミます?」


「そんな事はいいです」話題を変えるように、口調が重たくなる。

「バスがガードレールを突き破り、崖下に転落した事故現場をZ地点とします」


「うん?」



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