第5話 死なせはしない


脳内が、高熱のときみたいに熱くて痛い。

次の瞬間、私の頭の中に、悪夢のように流れ込んできたのは地獄絵図だった。


 先程、私の夢見がちな空想を覚ましてくれた、無機質な白いガードレール。 山の縞模様のような、横一線の白。 その一箇所がテープカットされたみたいに、切り落とされた。 そこに突っ込んできたのは、四角い長方形の大型バスだ。


 斜面を転げ落ちてきたバスは、何度も地面に叩きつけられ原型が分からないほどに大破した。


中は凄惨だった。


おそらく右側面を下にして転げているのだろう、右側のシートには人間が折り重なっていた。左側のシートには。シートベルトに固定された人間が宙ぶらりんになり生気のない腕が揺れている。


積み重なった人間からは生気は感じられない。 動くことなどない黒い塊は、ゴミ捨て場にまとめておかれているゴミ袋のように見える。


うめき声と、時折虫のようにもぞもぞと動くものもあった。少なからず、生存者もいるようだ。


私はといえば、地獄のような状況を、第三者視点でただ俯瞰していた。




 私は呼吸することを忘れていた。 水中から上がってきたように、世界が切り替わり、大きく息を吸う。

「今のは」我に返った私が見たのは、先ほどエルと出会った、何の変哲もない穏やかな森だった。


山に吹く、冷気を含んだ爽やかな風が、体のほてりを覚ましていく。

天使のエルが、じーっと、私の顔を覗き込んでいた。

「どうしました? 顔が良くないですよ」

「顔色ね! イ・ロ! あんたと漫才やってる場合じゃないのよ!」

...っ! 頭に血が上って、立ちくらみのような目眩がした。 


「....あの上の方に見える道路から、バスが突っ込んできて、大事故を起こす白昼夢? みたいなのが見えた」


「ほう。 予知夢みたいなものですかね。あなたの力の一環でしょう。それなら話が早くて助かる。 時間が迫っているというのと、私達がここで目覚めたのは、その事故の所為ですよ」天使は、意外にも私の突拍子も、根拠もない話しを、すでに周知の事実であるように肯定する。

「いまから約千秒後にここで、マギさんの見た白昼夢のようなイメージは実際にこの場で、あなたが見たとおりに再現されます」

エルは、アナウンサーがどこか遠くの事件を伝えるように、事務的な口調で話す。 


「はぁ!? 千秒....?」 1000秒って何分だっけ? 切羽詰まってるのか、まだ余裕があるんだか、とっさに把握できない。 えと、60秒が1分で、600秒が10分だから....  まあ、おおよそ15分と少しか。 

あと15分で、さっきのが現実のことに....?


 「私達がこの座標で目覚めた理由は、ここがあなたの生まれた国であることと、今から、起こるこの事故が要因でしょうね。エルにもその知識が与えられているということは、高位存在はこのすでに起こった事故に対して、結末を知るあなたのアクションに興味を示しているのだと思われます」


 高位存在は、人が起こす事象や行動に対しては、直接介入できない。

だから、私に時間軸を超えてこの案件を託したのか。

それとも、単に、私の行動が知りたかったのか。

「そんなのは....!」

 いずれにせよ私が、どうするかなんて決まっている。 問題はできるかできないかだけ。

ただその前に、どうしても確かめておきたい、喉につっかえるような疑問があった。

「ひとつだけ確認しておきたいんだけど.... 今から起こるバス事故で、私は死んでしまったの?」私の記憶にない死。 ただしこれは天使にあっさり否定されることなった。


「いいえ、マギさんとは全く関係ありません。 ただ、この平和な国においては、比較的規模の大きな、悲劇であったということだけが、この事故の直前、この場所に配置された理由で、特定の個人や感情は関与していません」


 乗客三十八名、乗員二名を乗せた高速バスが、スピード超過でカーブを曲がりきれず、バランスを失い横転。 そのままガードレールを突き破り、四十メートルの斜面を転げ落ちた。 死者三十四名、重軽傷六名の、ワイドショーが連日こぞって取り上げることになる大事故。




 エルが淡々と重ねていく字面の上だけで記録と、私のさっき見た地獄のような光景は同じものだ。 それなのに、二人の認識には大きな温度差があった。

 興奮からくる体の熱のせいもあるだろうが、全て見透かしたように語る天使に対して、ふつふつと沸き起こる”苛立ち”のようなものを感じていた。


「どうするかはあなたの自由です。 この事故とマギさんに縁はありませんしね。 事故を回避させたところで、ただバスはいつもどおり運営したと未来が書き換わるだけ。 誰に知られるわけでもなければ、代価もない。 エルとしてはまだ力の使い方もわからないようなあなたに、姿を見られるようなリスクを負ってまで、助ける理由は


縁? 代価? 理由?

天使が、他人事のようにそっけなく並べる 一人善がりな単語に、自分の中の理性が赤いヒステリーに押し流されていくのを感じた。


「人の生死がかかっているのに損得なんてあるか! そんなの、そんなの、助けるに決まってるだろ!」

私の叫び声が、飄々としていた天使を黙らせる。 エルは、何を言われたか理解できなかったように呆然としていた。 静かな森で聞こえるのは、私の荒い吐息だけ。


「見返りも称賛もいらない! 縁も理由もなくていい。 私に事故を止められる力があるのに、目の前で見殺しになんてするわけないでしょ!」

 体が熱く、感情が高ぶって、気づけば怒声のように叫んでいた。 脳内に浮かんだのは、先程見た悪夢のような、死体の山。

「あなたは、実際の現場を見ていないから、そんな他人事みたいに言えるのよ! あの人達があんな風に死ななきゃいけない理由なんて、それこそ....」

ないはずだ。 偶然にも、あのバスに乗り合わせただけの不運。  

勢いだけの怒りは、引いていくのもまた、早かった。 私の声は、尻切れトンボに小さくなっていった。


「私が、絶対、誰も死なせはしない」私はいつの間にか、頬を流れていた涙に気づく。 

 

 エルは目を伏せて黙り込んでしまった。さっきまでしていたヘラヘラと私をからかっていた面影はまるでない。

ヒステリーの赤い波が引いて、浜辺に残るのはいつも後悔だ。 エルに悪気なんてものはなかっただろうに。 思い出すのは、何をムキになっているだという、奇異の目。 たち去り際の、恨みがましい据わった目。 怯えるような戸惑いの目。 


私自身に対してなら、何を言われても気にはならない。 エルの私に対しての言動も、半分くらいはいじりだろうし、目くじら立てることじゃない。 ただ、誰かが悲しむような、傷つくような、見捨てるような発言は我慢出来なかった。


 「あの、ごめんなさい」 「エルを軽蔑しないでください」 

エルは心底、申し訳なさそうに上目遣いでしょぼくれていた。

「エルはまだ論理感や道徳というものを正しく理解できていないようです。 もしかしたら、知らず知らずのうちあなたにとってはとてもひどいことをに言っているのかもしれません」


 本来なら、私の方から謝るべきだったのに、向こうに謝らせてしまった。 この感覚もなんだか生前の記憶に思い当たりがある。 私はまるで変わっていないんだなと反省しつつ、せめて今からでも、冷静に温和に努めようと、頭を冷やす。

「ううん、いいの。 私が勝手にムキになってただけ。 あなたにとってこの世界はまだわからないことだらけだもんね。 常識や道徳なんて、時代と場所によって大きく変わるものだしね。 それに、実際にイメージだけど、惨劇の映像を見てしまった私と、記録だけを知らされているあなたとは、認識にギャップがあると思う」

うん、まあ、私にひどいことは言ってるけど。











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