第4話 この世界で生きていく
「ねえ、エル。 聞きたいことがあるんだけど」
知らない世界への期待と不安で、私の胸が急かすように高鳴っていた。
「何なりと。 そのためにエルはいるんですからね」
天使の背中の羽が、パタパタと犬のしっぽみたいに揺れる。
「私達がいるここは何処なの? もしかしてだけど」
その時だった。 ゴオオオオと、低い唸りのような駆動音を響かせながら、頭上に続く山の斜面を、四角い塊のような何かが、真横に駆け抜けていった。
音の方を見上げる。 先程までは意識していなかったので気づかなかったが、木々の隙間から見える山の斜面に、グラウンドに引いた白線のような白色が、真横に伸びていた。よく見れば、それは道路に備え付けられた、どこにでもあるようなガードレールに見える。
ォォォォン... エンジン音の残響、撒き散らされた排気ガスが、私の、淡い期待をかき消していく。
今、通過していったのは、ガソリンエンジンと四つの車輪で駆動する、重荷を載せた貨物自動車だった。
私の中に芽生えた”異世界”への冒険心と期待は、口に出す前に、根こそぎ引き抜かれた。
私達は幻でも見たみたいに、連なる山の代わり映えしない、模様のような白線を、二人して、ただ見上げていた。
あれ?
エルが呆けている私の顔を覗き込む。
「ええと、質問は、ここは何処か? でしたっけ」
「う、うん」でも、今となってはあんまり聞きたくないかも。 ただ現実をダメ押しに突きつけられるだけだと思うから。
◇
エルは、”調べ物”をしていたときと同じに、指揮者のように腕を振るう。
「この座標はユーラシア大陸の東、東アジアに位置する日本列島。 国家は日本国。 マギさんの生まれ育った国ですね。 もっと細かく言えば、経度百三十八度、緯度三十五度。 都道府県では東海地方の静岡県です」
まるで、学校の授業みたいに、つらつらと並べられる聞き覚えのある単語が、私の熱を急速に冷ましていった。
「そ、そう.... しず、おか....」
静岡 英訳するとサイレントヒル。 それはどうでもいいけど
私は戸惑いながら、初めて聞いた言葉のように、わずか四文字の単語を、詰まりながらつぶやく。
いや、普通に知っている地名だからこそ、これからファンタジー世界の大冒険でも始まるのかと、ほんの少し期待してしまった私にとっては、戸惑いとういか、辟易させられているのだが。
心の奥底では、非日常への期待感や、つまらない現実からの逃避を望んでいたのかもしれない。
私は詳しくないけれど、”異世界への転生”というのはどこぞの業界で流行りものらしい。 ただ、私も世代で言えば、ゆとり世代の若年層だ。 未来に希望なんて、まるで抱けない世代。 若い世代が、何処か、違う世界への逃避願望を持つのも必然だとも思える。
そんな事情なんて知る由もない、天使のエルは、勝手に打ちひしがれる私を、不思議そうに眺めていた。
「静岡ねぇ。 いや、悪い印象を持ってるわけじゃないんだけど。 特に私とは、縁もないしなぁ」
何より、剣と魔法のファンタジー世界と比べれたら、現実世界の時点でがっかりだ。
遊園地に連れて行ってくれると思っていたら、近所の公園に連れて行かれた子供のような気分だ。
◇
「うぅん。というかさ、ここが私のよく知ってる現実世界なら、私達の存在と格好は悪目立ちするというか、浮いてると思うんだけど」
魔法使いのようなローブと、魔法少女のようなドレスを身にまとった白髪の少女と天使の格好の少女。 急に、コスプレ感が出てくる。
「もとから学校からも社会からも、浮いてるんだからいいじゃないですか」
「そういう問題じゃない! ていうか別に浮いてないし!」
エルはケラケラと笑っていた。天使の笑い方には見えない。
「あとは、今が”いつか”でしたっけ。 うーん、この国で、最も一般的な年号はなんでしょうかね.... 西暦、でよろしかったでしょうか」
「うん、西暦と和暦くらいしかわかんないし」
別に聞いたところで、さっきと同じように聞き覚えのある、つまらない数字の羅列がならぶだけだろうが。
「西暦二千二十年。四月二十七日。時刻は、午後十二時ゼロ四分です」
2020 4 27 12 04
時報みたいに、数字を告げられる。
ほら、つまらない数字が並ぶだけ....
「二千.... にじゅうぅ!?」
気づけば、私は動転して、素っ頓狂な叫び声を上げていた。
この反応は、エルも予想外だったようで、目を見開いて、驚いていた。
私が口をあんぐりと開けて、固まっていると、携帯端末で調べ物をするように、エルが忙しく指を動かし始めた。
「え、えっと、おかしいですね。 あなたの知っている時代と、大きなズレはないはずなんですが.... えっと、和暦でいうと」エルは出会って初めて、狼狽した焦りの様子を見せる。
「い、いや、私の知ってる時代と、そんな大きな乖離はないんだけど.... で、でも私、二千十七とか八くらいまでしか、記憶ないよ。だって」
私の生まれ年は、西暦二千年ちょうどだ。 現在の西暦の四桁から、前二つを除けば、大雑把ではあるが、わかりやすく年齢になる。
今が二千二十年なら、私は二十ということになる。 でもそんなの、全く記憶にない。 私が覚えているのは、十七、十八までで、以降は記憶の断片すらない。
◇
「なるほど、死の直前だけでなく、年単位での記憶の喪失ですか。マギさんの知性が未熟なのも、失った記憶のせいだとおもっていいんですかね」
「それは、わかんないけど....」
たかが数年、されど数年だ。 十代の数年なんてとても"たかが"でかたづけられるものではない。一年あれば、見違えるように変わってることも、人間として大きく成長していることも十分にあるだろう。
もうなんだか、驚きすぎて疲れてきた。 頭の回線を酷使しすぎたのか、オーバヒートしているように熱い。
「まだ説明していないこともありますが、立ち話も一旦保留にしましょう。 時間も迫っていることですしね」エルは本を閉じるみたいに両手をぽんと叩く。
「それは賛成。これ以上、わけのわかんないこと言われたら、頭の回線が焼ききれそう」 ....時間?
知恵熱というやつなのか。 頭が火照って熱い。これだけ新しい物事を、一気に放り込まれたのだから当然かも知れない。
「いえ、お疲れのところ、申し訳ないのですが、ここからが試練です」
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