第12話 荒野の国-⑫




「んぐっ、んぐっ、んぐっ……はぁっ!」


 ダンッ、とジョッキがテーブルを力強く叩いた。

 並々と注がれていたラガービールは半分以上減った状態で、アークは酒場の店主にもう一杯ラガービールを注文する。


「おいおいアークさんよ。いいのかい? 普段はエールしか飲まないくせによぉ」


 酒場の店主は心配しつつも、注文された通りにラガービールを注いでいく。

 ここ数年で一気に流通が増えたラガービールだが、新規開拓を好まぬ客が多いために中々捌けなかった。

 ちょうど良い機会だと、店主は溢れんばかりにラガービールを注ぐ。


「いいんですよ。ラガーも流通するようになった。今はとにかく飲みたいんです」


 頬を赤らめているアークは明らかに酔っている。

 通算六杯目となるラガービールを手に取り、一気に呷る。

 喉を鳴らしながらラガービール独特の喉越しを堪能し、半分以上を飲み干すと再び机をジョッキで叩く。


「……私はね、マスター。もう用済みになったんです。だからもう、いくら飲んでも構わないのですよ」


「どうしたんだいアーク。お前さんらしくない……」


「ははっ、馬鹿馬鹿しいですよね!」


 今にも泣きそうなアークは自分の感情を笑って誤魔化す。

 また一杯、さらに一杯を飲み干し、呼吸を乱しながらさらにもう一杯を注文する。


「ここ、いいか?」


「……あ? ああ、炎宮殿ですか」


 たまたま酒場を訪れた春秋がそんなアークを見掛け、同席する。


「店主、水と適当に食えるものを頼む」


「あ、ああ」


 店主もここ数日通っている春秋とはすでに見知った顔であり、注文に応じてすぐに調理に取りかかる。

 アークは空になったジョッキでつまらなそうに机を小突く。


「はーっ。ダメだダメだ。この街の有力者たちは頭が固くてどうしようもない」


「ああ。塔に入るため……でしたっけ」


 春秋はここ数日、塔に入る算段を整えるためにリスタリアにおける有力者をしらみつぶしに当たっていた。

 しかし現実は無情である。

 世界の管理者である春秋とはいえ、彼を知らない者からすればただの出自もわからぬ青年だ。

 そんな人物に「塔の中を見たいから協力してくれ」と頼まれ首を縦に振る有力者はいなかった。


「随分、塔に拘るんですね」


「この国を訪れた目的だしな」


「……そうですか」


 アークはそれ以上は聞かなかった。聞けなかった。

 聞いてはいけない、そんな雰囲気を春秋から感じていたから。

 春秋は暗くなってしまった空気を変えるために、空のジョッキを指差して笑う。


「どうした。ヤケ酒なんてお前らしくないじゃないか」


 言葉を交わし、剣を交えた者として春秋はアークの人柄をある程度は理解していた。

 世界を想い、国を、人々を守ろうと意気込むアークの生き方には共感こそ抱いており、立場がなければ彼の同志になりたいと感じているほどだ。

 だからこそ、そんなアークが自棄になってラガービールを呷る姿は意外だった。


「……ヒック。いいんですよ。もう。私は……私はもう、護衛兵団ですらなくなるんですから」


 酔っ払いながらアークは言葉を漏らす。あからさまに不満げな表情で、店主が注いだ新しい一杯をすぐに飲み干す。

 もう十杯以上は飲み干したアークは明らかに酩酊している。

 だが春秋は敢えてアークを止めなかった。話を聞きたい思いも当然あるが、それ以上に今のアークは酒に逃げたいのだと、わかっていたから。


「なんだ、護衛兵団を辞めるのか?」


 春秋は言葉を引き出させるためにわざと戯ける。酔って考えの纏まらないアークは、目を細めながら春秋を睨むように見つめ、ぽつりぽつりと語り出す。


「……ロード様が計画していたマキナが完成するんですよ。高位騎士ハイ・マキナという、次世代機が」


「ほう。マキナの次世代機が」


「ええ。あれはこれまでの、ひっく。マキナとは、別次元、です」


 ぼんやりと霞がかった思考の中で、アークは相対した高位騎士ハイ・マキナを思い出す。

 四色、四体の高位騎士ハイ・マキナ

 自分でも敵わないと理解してしまった、圧倒的な存在を。


高位騎士ハイ・マキナがいれば、私たちは確かに用済みです。ひっく。だからもう、いいんですよ。ロード様も、式典が終わり次第兵団を解散させると、言ってました、し」


 少しずつアークは呂律が回らなくなってきている。

 だがその表情はあまりにも寂しそうで、春秋はつい踏み込んでしまう。


「解散されたらもう自由に暮らせるんだろ? 無理に働かなくても十分に稼いだだろうし。お前はどうして、護衛兵団に拘るんだ?」


 その問いかけに、アークは空になったジョッキで再び机を叩いた。

 それはまるで、自分を追い込むかのように。


「……私は、世界を守りたいんです」


 アークと出会った時に自信満々に語っていた。

 『団長であってもなくても、私はこの国を、この世界を守る。それは何があろうと変わらない思いですから』と。

 ならば護衛兵団を解体されても、やるべきことは変わらないはずだ。

 けれどもアークは、自分はもう必要ないのだと断言している。


「守ればいいじゃないか。立場なんて関係ない。世界を想う気持ちは人それぞれだ」


 だからこそ春秋はアークをなだめる。

 彼ほど世界を守るという信念を抱いている人物に、これまでに出会ったことはなかった。

 美しさすら感じるほどの信念に、春秋はある種尊敬の念を抱いていた。


「……高位騎士ハイ・マキナは、強い。圧倒的に、強いです」


「だからといって、お前にだって出来ることがあるだろう?」


「私に……」


 空になったジョッキを見つめながら、アークはぼんやりと考える。

 団長でなくなる自分に、高位騎士ハイ・マキナに全てを託せばいい世界で、何が出来るのか、問いかける。


「旅に、出ようと思います」


「旅に?」


「……はい。世界は広いです。まだ、マキナが配備されてない街もあります。そこで、少しでも……誰かのために役立ちたい。そうすれば、間接的にでも、この世界を守ることに繋がるでしょう」


 迷う素振りすら見せずに、アークは新たな目標を言葉にした。

 アーク自身納得のいく目標なのだろう。

 憑き物が落ちたような表情をして、アークはさらにもう一杯ラガービールを注文する。


「なあ、アーク」


「……どうかしましたか?」


 これが最後だと決め打ちして注文したラガービールを呷る。

 目標を見つけたからか、自暴自棄になって酒を呷っていた時よりは落ち着いて飲んでいる。最後の一口を残したところで、アークは春秋に向き直った。


「頼みがある」


「ふぁい?」


 大分限界が近いのだろう。頬を赤らめるどころではないアークは薄ぼんやりとした意識で春秋の言葉を待つ。

 春秋はそんなアークに微笑んで、少し寂しげな表情を見せた。

 けれどもすぐに表情を切り替える。凜とした雰囲気に、アークは僅かに気圧される。


「お前の旅に、サラーサを連れていって欲しい」


「サラーサさんを、ですか?」


「ああ。式典が終わればあの子は一人になる。……一人にならざるを、えない」


 それは暗に、春秋はサラーサの前からいなくなる、ということだ。

 理由を問うても、春秋は答えないだろう。そのくらいはアークでもわかる。

 そして、サラーサが一人になる――それは、クロードが見つからない、ということでもある。

 アークは自分の心に問いかける。

 春秋は、クロードの安否を知っているのではないか、と。

 聡明な彼であるから、きっともう気付いているのだろう、と。

 アークはクロードの安否を知っている。知っているが、それを言葉にしてはならない。

 だから、春秋の言葉に素直に頷くことも首を振ることも出来ない。

 酔っ払って思考が上手く纏まらない。いや、春秋はだからこそ今この瞬間にアークに頼んでいるのかもしれない。


「……食えない人ですね、貴方は」


「なんのことだか」


 疑ったところで春秋はボロを出さないだろう。

 だからアークに出来ることは。


「わかりまひた」


 呂律が回らないためにふざけた言葉になってしまうが、その答えに春秋は微笑んだ。


「ありがとな、アーク・コロッセオ」


「……いえ。わらひも、おもうことが、ありまふ、ひ――」


 けれどももう限界だった。糸が切れたようにアークは机に突っ伏す。

 静かに聞こえてくる寝息に春秋はやれやれといった表情を浮かべ、店主に苦笑を浮かべている。

 手早く会計を済ませた春秋は、アークを担いで酒場を後にした。


 この街は夜も明るく賑やかである。

 豊かさの象徴である塔があるこの街は、確かに幸福に包まれていた。


「……炎宮、殿」


「喋るな。今にも吐きそうじゃないか」


「……いえ、いえ、いえ……ああ、違うんです。これは、違うんです。これは、独り言です。だから、だから聞き逃してください」


 一人では歩けないアークを支えながら、春秋は宿への帰路を歩く。


「クロードさんを……クロードさんを、救って……うっ」


 そこまで言って、アークは意識を手放してしまった。

 きっとその言葉はアークの本心であり、何かしらの事情で『言ってはいけない』言葉なのだろう。


「……俺には無理だよ。俺は誰かを救うために、この世界に来たんじゃない」


 眠ってしまったアークには、その言葉は届かない。

 いや、届かないからこそ、春秋も告げたのだろう。

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