第6話 荒野の国-⑥




「あの、シャワー、終わりました」


「おう、俺もゆっくり浴びてくるから、先に寝てていいぞ」


「え、あ、はい」


 宿屋が用意してくれた新品のパジャマに着替えたサラーサが、もじもじと赤面している。

 自分から言いだしたことではあるが、異性と一緒の布団で寝ることに緊張しているのだろう。

 だが春秋はそれを一瞥しそそくさとシャワールームに篭もってしまう。

 聞こえてくる水音も数分程度。春秋はすぐにシャワーを終えて出てきた。


「は、早いですね」


「ん? まあささっと洗って流せばこんなもんだろ。ほらサラーサ何してる。早く寝なさい」


 春秋はサラーサをベッドに誘導すると自分は窓際に腰掛けた。

 怪訝な表情で見てくるサラーサをなだめながら、「寝る時はベッドに入るよ」と告げる。

 だが春秋の言葉でサラーサは逆に意識してしまう。

 同じ布団で寝ることなど、兄・クロードともしたことがないことだ。


「……ほほう」


「ど、どうしてにやついてるんですか?」


 ベッドの左半分に入って上体を起こしたサラーサが、春秋の態度に気付いた。

 頬を緩ませている春秋は明らかに自分を子供扱いしている。

 春秋ならば手を出してこない、と信頼はしているがその視線は妙に気になる。

 と、いうよりだ。

 女性として扱って貰えるのは嬉しいが、異性として見られていないとハッキリわかってしまうとどうにも悔しい。


「クロードを見つけたら抱きついて告白でもしたらどうだ?」


「な、な、なっ!」


「好きなんだろ、男として」


「~~~っ!」


 いつの間にばれたのだろうか、とサラーサは両手で顔を隠して背を向ける。

 だが春秋には最初にクロードのことを語った時にはもうばれていたのだ。

 言葉に詰まっているサラーサは、春秋の優しげな微笑みに気付いていない。


「愛はいいぞ。生物として当たり前の感情だし、大切な想いだ。生きるための原動力にもなる」


 夜空を見上げながら告げた春秋の横顔を、サラーサは見つめていた。

 そこでようやく、サラーサは、春秋が自分やクロードをどう見ているか、理解した。


 春秋は神である。

 本人は否定しているが、サラーサにとってそれ以上に適した言葉が見つからない。

 春秋かみさまにとって、自分やクロードは子供のようなものなのだ。

 春秋このひとは、世界に生きている人を見るのが好きなんだ、と。


「私と兄さんの出会いは、この塔が出来上がる少し前になります」


 だからつい、サラーサは語ってしまう。

 自分とクロードのことを知ってもらいたくて。




 サラーサの記憶の最初にあるのは、酒に逃げた父親と、男に逃げた母親だ。

 いつも酔っ払って家族に暴力を振るう父。

 そんな父が外に出ていれば、すぐに外の男と浮気を繰り返す母。

 塔が完成していない頃は、極貧の生活だった。

 今が貧しくないかと言えば嘘ではあるが、今よりもずっと、酷い時代だった。


 ほどなくしてサラーサは捨てられた。

 いや、売られたのだ。

 人買いの商人に強引に連れられて、僅かばかりの銭を手に入れた父は酒に溺れた。


 奴隷として買われたサラーサは、連れ込まれた馬車で身体を震わせていた。

 そんなサラーサを助けたのが、クロードだった。

 暗がりの馬車から救い出したクロードは、サラーサにとってヒーローだった。

 その後事情を知ったクロードはサラーサを妹として引き取り、小さな村での生活が始まった。


 銀色の炎を操るクロードは、村の救世主だった。

 その炎は僅かにだが大地を活性化させ、貧窮していた村を救った。

 諦めていた老人たちはクロードに感謝し、農耕に励んだ。

 小さな村の誰もが、クロードのおかげで笑顔を取り戻したのだ。


 サラーサにとって自分を一番に守ってくれるクロードは、憧れだった。

 成長するにつれて胸に抱く愛情を、サラーサはクロードを想い、秘める。

 年齢の差もあるが、ひとえにクロードの負担になりたくなかったからだ。


 数ヶ月が経ち、クロードは塔の建設に携わるために村を離れることとなった。

 それには流石にサラーサも我が儘を言った。

 クロードがいなくても塔は完成する。

 それよりも、ずっと自分の傍にいてほしい。

 ずっとずっと、この村で暮らしていこうと。


 けれどもクロードは首を横に振った。


『あの塔が完成すれば、この村だけじゃない。皆が笑顔になれるから。皆が笑顔でいられる世界が作れるなら、俺は手伝いたいんだ』


 そんな願いを言葉にされては、サラーサはクロードを引き留めることなど出来なかった。

 ほどなくしてクロードは旅立った。

 それから二ヶ月ほど経って、村にはクロードが稼いだ仕送りが届くようになった。

 少しずつ豊かさを取り戻していく村の中で、サラーサは一人クロードを想い続けた。

 塔が完成すれば、戻ってくる。

 そしたらこの想いを告げようと、決意して。


 塔が完成したと大々的な発表があった。


 だがクロードは帰ってこなかった。

 今までは届いていた手紙も来なくなり、ついには仕送りもなくなった。

 辺境の地にあった村は、以前よりは豊かになった。

 だが、だが。

 村は力を失っていた。豊かな大地は渇き、農作物の収穫量は確実に減っていた。

 もう少し、もう少ししたら。

 塔が完成したんだから、もう少しで暮らしはよくなる。

 村の誰もが塔を信じて、貧困な暮らしを耐えた。

 サラーサも手伝いながら、クロードを待ち続けた。


 戻ってこないクロードを探しに、サラーサは村を出た。

 僅かな路銀。手掛かりも掴めず空振りする旅。

 遠い村に戻ることも出来ず、サラーサは飢えに苦しみ彷徨うことしか出来なかった。


 そこで、春秋と出会った。




「春秋様に出会えて、本当によかったんです」


 うとうとと微睡みはじめたサラーサの言葉を聞きながら、春秋はなおも夜空を見上げていた。


「……そうか。明日も旅は続く。しっかり休むといい」


「は、い……」


 やがてくうくうと静かな寝息が聞こえてくる。

 安らかな寝顔を見るに、ゆっくりと休めたのは大分久しぶりなのだろう。

 春秋はサラーサの寝顔を見ると、悲しげな表情を浮かべた。


「ごめんな、サラーサ」


 春秋はけっしてサラーサに触れない。

 窓際に戻ると、夜空を見上げて黄昏れた。


 サラーサはクロードの生還を望んでいる。

 村に戻って、静かに、幸せに暮らすことを望んでいる。

 豊かさは求めていない、ささやかな幸福だけがそこにあるだろう。


ifもしも:クロードが生きているのなら」


 春秋の手には分厚い本が握られていた。無造作に開かれたページは白紙。

 呟かれた言葉に、白紙のページに文字が浮かび上がっていく。


【かくしてクロードとサラーサは結ばれ、子を授かり、幸せな生活を送るだろう】


 本が閉じられる。春秋は額を抑えながら、静かに泣いた。

 本が消える。春秋の嗚咽は誰にも知られることがない。


「ごめんな、サラーサ」


 その謝罪は、誰の耳に届くこともない。

 春秋は、わかっている。

 この旅の果てに待ち受けるのは、サラーサの絶望だ。

 だがそれを告げることは出来ない。

 告げては、ならない。

 春秋は、世界の管理者だ。

 そんな春秋だから理解出来る情報を、サラーサに教えるわけにはいかない。


 ――ああ、どうして引き受けてしまったのだろう。

 春秋は心の中で後悔しながら、サラーサの笑顔を思い浮かべる。

 やがて自分が奪ってしまう笑顔を慈しみながら、ゆっくりと意識を微睡みに沈めていく。


 ifは可能性だ。

 だがしかし、ifで見えた未来は、春秋が見てしまった未来は。

 辿り着けない、未来である。

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