第5話 荒野の国-⑤




 荒野の国を訪れて、二つ目の街・アッシェンレードにたどり着いた頃にはもう日が暮れていた。

 最初の街とあまり様変わりしない石造りの街を眺めながら、春秋はまず宿屋に向かう。

 同行しているサラーサには厳しい道のりだったのだろう。

 肩で息をしている少女を休ませるためにも、春秋は宿を探すことにした。

 宿屋はすぐに見つかった。

 アッシェンレードに入ってすぐに、三階建ての、一際大きい建物が宿泊を宣伝していたのだ。


「いらっしゃい」


「部屋は空いてるか?」


「ああ、けっこう空いてた――ああいや、ちょっと待ってくれ」


 入り口の奥で新聞を読んでいた店主と思われる男性が、春秋とサラーサを交互に見比べた。客だとわかるとすぐに手元の台帳を開く。ぺらぺらとページを捲ると、店主は表情を苦くした。


「わりいな。部屋が一つしか空いてねえ。今日から護衛兵団が予約を入れてたんだ」


「……ふむ。それは困ったな」


 顎に手を当てながら春秋は数歩後ろにいるサラーサに視線を向ける。

 サラーサは年頃の娘だ。

 春秋からすれば娘のような存在でも、男女が一つの部屋というのは流石に有り得ないのだろう。

 当のサラーサはきょとんとした表情で首を傾げている。


「店主、他の宿はないのか?」


「済まねえな。アッシェンレードの宿屋はうちだけなんだよ。普段はこんなに埋まらないんだが、いかんせんタイミングが悪かった」


「タイミング?」


「あれだよ、あれ」


 店主が愉快げに壁のポスターを指差した。

 明るい彩りで大々的に塔が描かれているポスターには、『建造十周年式典、開催!』と力強く書かれていた。


「アッシェンレードはけっこう離れてるから直接関係はないんだが、式典を成功させるため、護衛兵団が警備を強化してるんだよ。今日はその、警邏の日なわけだ」


「護衛兵団?」


 春秋には聞き覚えのない言葉だが、サラーサは表情を強張らせた。

 そういえば、と春秋はサラーサの言葉を思い出す。

 クロードを探している時に出てきた、"大兵団"という言葉だ。

 きっと護衛兵団と大兵団、というのは同じなのだろう。

 サラーサにとって兄・クロードの行方を知るかもしれない集団だ。

 何度も塔の近くまで訪れては、その度に拒絶された相手、ということになる。

 快く思わないのも無理はない。

 そっと肩を抱き寄せると安心したのだろうか。サラーサは春秋を見上げて頬をほんのりと紅潮させた。


「式典、か」


「そういえばあっちの街にもちらほら貼ってありましたね」


「……そうなのか?」


 サラーサが言うには、このポスターは最初の街にもいくつか貼られていたらしい。

 だが春秋は全く気付かなかった。周囲を警戒しているようで、塔に執着しすぎたようだ。

 こほん、と小さく咳払いして春秋は誤魔化した。


「七日後に式典があるのか」


「そうみたいですね。どうかしましたか、春秋様?」


「いや……」


 ポスターとにらめっこをしながら春秋は思案する。

 式典ということは大々的に開かれるはずだ。

 となれば当然、警備も厳しくなる。

 だがそれ以上に、塔に近づくチャンスがあるかもしれない、ということだ。


「……こいつは利用できるな」


「どうしたんだい、兄ちゃん」


「なんでもない。……しかし、問題は今夜の宿だな」


 春秋は強引に話を切り替えた。この国の時勢に詳しくない以上、あまり塔に関わりたいと公言するのは避けるべきだと判断したからだ。


「主人、毛布を一枚貸して貰えるか。二人分の宿泊費は払うから、俺が部屋の外で転がることに目を瞑って欲しい」


「お、おお。それくらいなら構わないが」


 春秋の提案に店主も承諾する。

 青年と少女という組み合わせから考えれば、春秋の判断はむしろ妥当なものだ。


「春秋様!?」


 だがそれでサラーサが納得するわけではない。

 彼女からしてみれば、春秋が平然と二人分の宿泊費を払おうとしていることすら恐れ多いのだ。

 そんな状況で、春秋を床に転がせて自分だけがベッドで眠るわけにはいかない。


「て、店主さん! 私が床で寝ますから!」


「駄目だサラーサ。お前はまだまだ成長期な女の子だ。堅い床で寝たら身体を壊すだろ」


「だからって春秋様を床で寝かせていい理由にはなりません!」


「だったらどうする。お互いに引かないのなら、それこそ同衾するしかないぞ」


「ど、どどどどうきんっ!?」


 あまりにも直接的な春秋の言葉にサラーサは顔を真っ赤にしてしまう。

 茹で蛸のように顔を赤くしたサラーサを見て勝利を確信した春秋は、抵抗される前に店主に毛布を頼もうとする。


「い、いいですよ! 大丈夫です! 任せてください! ええ大丈夫ですとも! 小さい頃はよく兄さんの布団に潜り込んでましたしっ!」


「なあ主人。こいつ暴走しちゃったぞ」


「まあどう考えても床で寝るってのを黙ってなかったあんちゃんが悪いな」


「そうか……」


 サラーサも強く宣言してしまった以上引くに引けないのだろう。

 顔を真っ赤にしたまま、うなり声を上げて春秋を見つめている。

 サラーサが大丈夫だと言っている以上、説得も聞き入れてはくれないだろう。


「……わかった。わかったよ。だがサラーサ、いいか? お前は自分が思ってる以上に魅力的な美少女だぞ。それを理解した上で発言してくれ」


「大丈夫ですし! 大丈夫ですから! 何ならお風呂だって入りますよ?!」


「あーもー!」




   +




「あうううううう……っ!」


「うんまあ、冷静に戻れてよかったよ」


「ごめんなさいごめんなさい申し訳ありません」


 用意してもらった部屋に入ったところでようやくサラーサは冷静さを取り戻した。

 その後はしきりに謝ってばかりだ。春秋はここぞとばかりに床で寝ることを提案するが、そこだけは頑なに断られた。


「駄目です。春秋様を床で寝かせるくらいなら私は野宿してきます」


「あのなぁ」


「春秋様、わかってください。私にとって貴方はそれだけ偉大な御方なのです」


「……はぁ。わかったよ」


 こうも真っ正面から言われては春秋が折れるしかない。

 サラーサの意思の硬さは兄を探す行動力の時点で察しが付いていたし、何より、春秋にとってサラーサは娘に近い存在だ。

 サラーサが強情になれば春秋が妥協するしかない。

 くすぐったいようなやり取りに、春秋は思わず笑ってしまう。


「……うー。春秋様、なんで笑ってるんですか」


「なんでもない。さ、早く身体を洗って布団に入りなさい。あーそれとも洗ってあげた方が良いか?」


 からかうような春秋の言葉に、サラーサは真っ赤になって反論する。

 会話の端々で春秋はサラーサを少女として、異性としては扱っている。だがその言動は明らかに子供扱いしている。

 そんな扱われ方に噛み付きながらも、サラーサも心地よさを感じ頬を緩ませている。


「こ、子供扱いしないでくださいっ」


 サラーサは照れつつもシャワールームに閉じこもる。

 壁越しに聞こえてくる水音を聞き流しながら、春秋は情報を整理する。


「式典の日は七日後。有力者だけが塔に近づける、か」


 クロードを探すため、そして春秋の予想通りなら――全ての真実は、あの塔に秘められている。

 春秋はこれまでに何度か己の目的を言葉にしてきた。

 「この世界を終わらせる」

 グランガくらいしかまともに聞いてはいなかったが、そのグランガ自身も言葉の意味を理解はしきれないだろう。


 春秋は、知っているのだ。


 この世界が、終わった世界なのだと。

 それがどうしてか、春秋の与り知らぬところで"塔"が建設され、延命された。


 塔がこの世界を支えているのは、明白だった。

 だから春秋は、塔の真実を知りたがっている。

 サラーサがクロードを探して塔に行きたい、と頼ってきたのは僥倖だった。

 春秋もまた塔へどう行くかを検討していたから。

 奇しくも利害が一致した春秋とサラーサは、塔を目指すことになった。

 ……その果てに、最悪の答えが待っているかもしれないが。


「なあクロード。お前は願ったよな。俺はその願いを約束したよな。……お前の幸福を」

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