第29話 代替

 言ってしまえば、今まで私の目の前で死んでいった人たちは、私の身代わりに死んでいったとも言える。


 私には早く楽になりたい、消えたいなどというある種の自殺願望がある。けれど目の前の悲惨な死を見ると、いつもそれを実行には移せない。痛そうに、苦しそうに死んでいく人々を見て、私の決心はいつも揺らぐ。


 そもそも簡単に揺らぐその気持ちを、決心なんて言葉で表していいのかは分からないが、いつも願いが叶わない私にとっては、彼女のお願いは願ってもないチャンスだった。


「どういう意味ですか?」


 けれど私の心はまた一歩足を踏み出せなかった。


「そのままの意味よ。次に殺されるのは私だろうから、私と代わって欲しいってだけよ」


 真理さんはいとも簡単にそう言った。私は言葉の意味を理解しようと必死に思考を働かせた。


「そもそもなぜ、犯人はあの男の子を殺害したと思う?」

「動機は、私には分かりません」

「動機なんてどうでもいいのよ。大事なのは順番よ」


 順番?殺す順番があるというのだろうか。そもそも、真理さんはなぜ連続殺人だと決めつけているんだろう?


「最初に探偵であるあの子を殺した。ここまで言えば分かるかしら?」


 真理さんは私を試しているかのように、楽しそうに笑っている。


「そういうことですか。最初に探偵役を消し、これからの殺人に備えている、ということですか?」

「その通り。やっぱり馬鹿じゃないわね」


 正解だったらしく、気持ちのこもっていない賛美をうけた。


「犯人はきっとこれからも殺しを続けるわ。そして殺しに順番を設けているのなら、殺しやすい私を次に殺すはず」


 酷く残酷なことを平気で言う彼女は、不利な状況に慣れているという感じを受けた。

「でも、そうだとしても、どうやって身代わりになれというんですか?服を変えて入れ替わるのは無理がありますよ」私は苦笑いを浮かべた。


 真理さんは歩けないからとか、そういうことをなしにしても、私と彼女では容姿に差があり過ぎる。美人という言葉が似合う彼女とでは、私は入れ替わることなど不可能だ。

「そんなことはしなくていいわ。ただ――部屋を入れ替えるのよ。夜だけ部屋を交換してくれないかしら」

 真理さんは平然とお願いしたが、身も蓋もない話だった。自分の代わりに危険な目に遭ってくれと言っているようなものだった。


 でも、先生が膠着状態を作った今、私はそれほど危機感というものは抱いていなかった。


「どうして私に頼むんですか?」しかし、危険であることに変わりはない。私はなぜ自分が選ばれたのか気になってしまった。

「あなたは多分私と同じで、いつ死んだって構わない、と思っているんでしょう」


 真理さんが、先生のように私の心を読んだことに、私は不快感を抱いた。それと同時に、自分の心を言葉に変えられたことに驚いた。


「目を見れば分かるわよ。画家という生き物は観察が得意だから。あなたという人物が、あなたという人生が、私には見えてしまうのよ」

 さらりと怖いことを言う真理さんだったが、私はそんな嫌なことを言う教師につき纏われていたので、こういうことには慣れっこだった。


「真理さんが私と同じ死にたがりなら、どうして私に身代わりを頼んでいるんですか?」


 彼女は今、生きようとしている。他人を身代わりにしてでも。それがどうして私と同じと言えるのか分からなかった。


「簡単よ。いつ死んでも構わない、けれどあと一枚だけ仕上げたい絵があるのよ。それを描くために生まれてきたと、そんな月並みな台詞を言えるくらいの絵を描きたいの。それさえできればいつ死んでも構わないわ」


 そう言われて、私の心はお願いを受けることを許可してしまった。生きることに目標を持つ人間に、私は弱いのかもしれない。意味もなくぐだぐだと生を長引かせている私は、夢を持つ人間には無力だった。


「分かりました、いいですよ。では今日の夜ここに来ますね」

「ありがとう」

 真理さんからの感謝と絵を受け取って私は部屋を後にした。


 廊下で一人、絵を眺めた。本当に素晴らしい絵だった。こんな絵を描く人が、死骸の絵を描くなんて信じられなかった。

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