第8話

 そういや、ここに人は常駐しているのか。そんなことも知らずに怒鳴り込んだわけだけど、助かったことに人はいた。あははは! と弾けるような笑い声が響いてきた。

「おい、本当に連れてきたぞ!」

「口を慎め! 誰か戸を開けに行け」

フユの片腕を掴んだまま、階段の前で待つ。しばらくすると仮面をした人がやってきて、鍵を開けた。そこにフユを投げ込む。うっ、とそいつが呻き、危うく階段から落ちそうになっていた。

「おい、気を付けろよ、下っ端。死んだらお前のせいになるんだからな」

早くどうにかしろ、僕の知らないとこで調理して食べればいい、もう知らない、知らないよ!

 フユを抱えたままふらふら降りるそいつの後を追い、僕も階段を降りる。いよいよ眩暈がひどくて足がふらつくけど、解毒剤をもらうまで弱味を見せたくもない。無視してどうにか足を進める。

 地下に降りるとフユは床に寝かされていて、仮面の奴らがそれを取り囲んでいた。

「おい、解毒剤を渡せ」

「まだだ。こいつが人魚だとは確認できていない」

「チッ」

見ていると、僕に注射を刺した男がナイフを取り出す。何をするのかと思えばフユの左手を掴み、――小指を切り落とした。

「……っ、ひ」

今まで寝ていたであろうフユが悲鳴をあげかける。男がすぐさま口を塞いだから、くぐくもった悲鳴が響いた。

「おい、足を押さえろ。お前は手だ。お前は首を押さえておけ」

がんじがらめにフユが押さえられる。小指を切った男は仮面を持ち上げ小指を口に含み、

 

すぐさまそれを吐き出した。


「こいつ、魔法を覚えてやがるな!」

ざわりと、空気が揺れる。え、魔法が、なんで?

 こちらに寄ってきて、小指を食べていた男が僕を掴み上げる。

「確かに、お前が持ってきたこいつは人魚だ。しかしな、魔法を覚えた奴の血は不浄だ! 食べてはいけない物なんだよ」

「知るか。最初にそう指定しなかったお前が悪い」

「けれどお前は、意味の無い奴を捕まえてきたことになる。ここで死んでもらうぞ」

「おい待てよ、話が違う! 人魚を捕まえればいいという話だっただろ、魔法がどうのなんて――」

げほっ、と咳き込んだ口から血が漏れた。視界が白く黒く、ふらふら変化する。

「――どうのなんて、聞いていない。解毒剤を渡せ」

「渡せないな、魔法を覚えた外道なぞいらん」

「それはそっちの理屈さ」

言い切れば舌打ちをされ、手を離される。そのまま尻餅をついて、僕は床に倒れ込んだ。立てない。目の前がちかちかと。

 死ぬ。これじゃあ死ぬ。

 なんで、だって、これでどうにかなるって、魔法だなんて、僕は、母さん来ないで、僕はまだそちらになんて、なんだ、楽しそうだね、父さん、父さんが笑ってる、そうか、行けばいいのか、まだだ、まだ生きていたいのに、学べてない、もっと知りたいことがある、どうして僕が、なんで、薬が、いやだ、ひどいよ、ぼくがなにした、なんで、どうして、なんでこのまま――。

 意識が途切れかけた瞬間、フユが何かを言っているのが聞こえたが、よく分からなかった。



 ふっと、目が覚める。誰かが、何かを言っている。アルトで低くも高くもない声だ。聞き取れない言語で、何か。

 ――フユの声だ。

 一瞬で状況を思い出し、慌てて飛び起きる。前を向いて、僕は唖然とした。

 遠くで蝋燭が光る、明るさの乏しい殺風景な部屋の中、塗料を落としたのか、フユの髪が真っ白だった。青い瞳を閉じて、手を組んでいる。左の小指のところは、もう止血をしたのか血は出ていないし骨も見えていないが、欠けている。服装が先ほどと違い、白い大きな布を纏っていた。そこからぺたりと床に座り込んだ足が見えるけれど、何も履いていない。半裸で布を纏っているだけのようだった。

 地面には白い円と模様がいくつも書かれ、多分これは魔法陣だ。何かを永遠と呟いているが、その調子に合わせてフユの身体から、淡い青色の光が広がっている。

 フユ、と思わず声を掛けようとしたら、フユのほうが先に口を開いた。

「カプリス君、もう毒は大丈夫だよ。けっこう強力なの飲まされてたんだね。僕も治すには苦労がいった。僕が魔力を全て捨てるこんな真似をしていなければ、多分治せなかっただろうね。血液に溶けているものを取るのは苦手なんだ」

「フユ、それより、これ」

「今やってることは、魔法抜きだよ。魔法使いは魔法を使えば使うほど、その臭いや魔力が身体に染みつく。それを取り除いてるんだ」

「ちょっと待ってよ」

それって、

「あの男たちの言いなりになってるってこと?」

「そうしないと、カプリス君が死ぬでしょう?」

フユが目を開く。周りで広がる光よりも濃い青色が、僕を見る。

 ねえ、待ってよ。

「僕、あなたを売ろうとしたんだよ?」

「そうだね、理解してる」

「さっきだって、魔法を理由に逃げればよかったじゃないか、なのになんで」

「それをしたら、君が食べられるじゃない」

はぁ? と思わず口を開いてしまう。

「なんで僕を気にするんだよ」

「助けた人だからね。そして、共に過ごした仲間だから。だから、助けるんだよ」

は、はぁ?

 意味が分からない。

 なんで?

「な、仲間って。僕、フユを売ったんだよ?」

「そうだね、結果的には。でも、君も生きるためだった」

「僕が生きるために、僕はあなたを裏切ったんだよ! 最初に住むことを決めたのだって、フユ目当てさ! そんな奴を、なんで」

「ねえ、カプリス君。君、大変な人生送ってるんだろ。目から分かるよ、僕だって無条件なお人よしじゃないんだから。だからさ、ここで解放されればいいじゃない。スノウ国まで逃げればいいよ」

「許されないことをしたのに? なんで僕にここまで!」

責められるはずなのに、フユの声がどこまでも穏やかに、僕に言う。許しの言葉を、僕に呟く。


「もう、辛い人生から解放されるべきなんだよ、カプリス君。ねえ、早く逃げなさい」


「なんで、なんで、なんで……!」

目が霞む。ぼろぼろと涙が地面に落ちる。気が付けば、僕はフユに土下座していた。

「なんで責めないの! フユは僕をなじるべきだ……!」

偽って住んで、そうしてあなたを売ったのに。

 けれどフユは、小さく首を振る。

「僕は死んだ人間なんだよ、とっくのとうにね。救われた命で、生きている。だからこの命を誰かのために使うことなんて、造作もないんだよ。君が、これで全てから解放され逃げられるというのなら、僕は喜んで命を差し出す」

「おかしいよ! どうせ他人じゃん、僕はあなたを売った裏切り者だ……!」

「許すよ、全部、許すから。君は罪なんて背負わなくていいんだよ。でもね、カプリス君、顔をあげて」

顔をあげられない。まるでフユは神様だ。こんな、こんな言葉を、僕に。

 今まで、誰も信用ならないと思っていなのに。誰もが僕を利用するだけだと思っていたのに。僕を信じていてくれた親は死んでしまって、ひとりだと思っていたのに。

 フユの魔力かな、暖かい光が身体を包む。僕は人を売って、もっとなじられるはずなのに。ひどいことをやったのに。今まで僕が他人からされて許せなかったようなことを、あなたにやったのに!

「これからは少しだけ、人を信じて。全ての人が悪意を持っているなんて思わないで。約束できる? 今まで君に手を差し伸ばす人は、悪意ばかり持っていたかもしれない。でも、きっとそんな人達だけじゃないから。そんな人達を、信頼してあげて。じゃないと、君と仲良くなりたい人がかわいそうだ」

顔をあげると、フユが柔く唇を曲げて、笑っていた。僕を怒る様子なんて、憎むような様子なんて、一個もないような笑みをしていた。

 どうして、僕はこんな人を売ってしまったんだろう?

 一回気付けば、激しい後悔に襲われた。こんな人、死なせちゃいけない。死んでほしくない。誰かに「死んでほしくない」なんて思ったの、親以外いなかったのに。でも、死んじゃダメだ。あなたは、ダメだ。今からでも、僕が犠牲になって救えないか。

「カプリス君、逃げなって。僕は一度死んだ身なんだ。だからいいんだよ。犠牲とまで高尚なものじゃないから、一度死んでいるから」

僕の心を見越したようにフユが言う。なんでそんなことを。僕はこんなに素敵な人を、売ってしまった。人を食べるなんて下賤なエセ宗教に!

「君、僕の魔力を浴びただろ。多分ね、変身が今までより簡単に出来るようになっていると思うんだ。過去にそういう事例があったからね。だから、それで逃げな。猫になれば、君はどこも通れるはずだ」

「でも、でも……!」

「ここにもいつ、あの人たちが来るか分からない。だから、ほら」

フユが目線を動かす。そちらには壁の中間あたりに通気口があった。

「あれ、通れるだろ。ドアは閉まってるから、そこから出なよ。ね」

「フユ」

「一緒に死んだら、君が無駄だ。僕はもう出れないからさ、ね」

早く行きなさい。

 どこまでも聖人のように、フユが諭す。

 フユを助けないと。助けたい、助けさせてほしい。

 でも、このままじゃ確かに、ダメだ。共倒れだ。僕を救ってくれたこの人を死なせたくない。どうすれば、どうすれば。


 そうだ、レオがいる。


 まずは外に出て、レオを呼べば、急げばっ。

「フユ、その魔力を身体から取り除くの、どれくらいかかるの?」

「あと1日はかかるよ……戻ってくるつもりかい?」

「もちろん」

「逃げて、いいんだよ」

「絶対に戻ってくる」

約束する。誓う。誓うなんて言葉、信用してなかったけど、信用して。絶対に戻ってくる。そしてあなたを救う。

 尻尾を生やすようなイメージと、耳を出すようなイメージ。それで猫になれるって母さんは言ってったっけ。目を瞑って想像すれば、身体が煙を噴き出すような音をあげ、眩暈が襲う。落ち着いて目を開けば、目線がだいぶ低くなっていた。手をあげたら、黒い毛並みと肉球が写った。猫になれたようだ。

 ……こんな簡単だったの?

 気持ち悪さも一切ない。どこまででも駆けていけそうな気持ちのよさに驚く。

「……綺麗な毛並みだ」

フユが小さくそう言い、笑う。笑ってばっかだ。死ぬというのに。

 いいや、死なせない。絶対に、救わなければ。

「じゃあね」

フユの言葉にうなずき、通気口から飛び出す。待ってて、絶対に、絶対に戻ってくるから!

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