第7話

「今日市場であったおばさん、遠くの墓地の方に住んでるって言うんだけど、そこに熱がひかない子供がいるんだって。僕がこの部屋から出てくるの見て、是非来てって頼まれたんだけど」

朝、レオが外に行くのと合わせて僕も出て、ある程度時間を置いてから部屋に戻ってきた。こんなの嘘八百。おばさんなんていなかったし、市場にすら言ってない。穏やかに晴れた空を見上げてこみ上げてくる吐き気を抑えて、数十分待っただけだった。

 へえ、と、応接間で本を読んでいたフユが頷く。

「いいよ、分かった。もう行く?」

閉じてこちらを見てくる目から逸らさず、僕は頷いた。

「そうだね、すごくおばさん、心配そうだったから」

「カプリス君、家は分かるの?」

「おばさんが墓地の所で立ってるって。取り敢えずそこに向かおう」

「熱って言ったね? いくつか薬も持っていくよ」

フユが自分の部屋に戻る。僕は逸る心臓を抑えながら、無表情に去った方向を見る。

 ミネーバは、昨日、フユがシャワーを浴びている間に部屋に入り込んで取った。それを僕の部屋で磨り潰し(昔、フユの物置部屋だったのだろう、道具があちらこちらに転がっていた)、汁は試験管に詰めている。布も持っているから、タイミングを見計らって布に染みこませ、それを嗅がせればいい。

 もしもそれで寝なかったら? もう殴るしかない。

 ポケットの中の試験管を強く握りしめる。そこでフユが部屋から戻ってきた。帽子を深く被り、素肌を隠すようにカーディガンを羽織って、斜め掛けのポーチを持っている。

「おまたせ。行こうか」

「うん」

もう、ここには戻らないだろう。フユも死ぬから、ここはどうなるんだろう。レオが処分するのかな。

 そんなことを考えながら部屋を出て、閉めた。



「ちょっと聞きたいんだけどさ、カプリス君って確か、行く当てが無いって言ってたよね? 親は?」

墓地までの道は案外長くて、日がもうすぐ真上に昇ろうとしている。フユの質問に少しためらったけれど、どうせフユ、死ぬんだし。まあいいか、と答えた。

「死んだよ」

「どちらも?」

「ああ。母は捕まって、父はそれをかばって」

「お母様は犯罪でもしてたの?」

「まさか。僕の母は猫人間でさ、それがバレて捕まったんだよ」

「ああ、何かとのハーフの人間は、この街では生きづらいよね……」

猫人間だけではない。犬やら鳥やらもいるらしいけれど、僕は見たことがない。そしてどれもは自分の出自を隠して生きている。この街では愛玩とか人身売買とかで捕まるけれど、他の国だったら研究対象として捕まるのだから。正直フユが死ぬから喋っているだけで、こんな話好んで誰にもしない。

「じゃあ、カプリス君も?」

「僕はなりそこないの猫人間だよ。自分の意思で変身することは叶わないんだから」

「それは、大変な人生を送ってたね」

今までお疲れさまでした、と頭を撫でられる。

は、と一瞬息が止まった。

 初めて、言われた。

 大変だったね、なんて、お疲れさまだなんて、初めて。

「僕もね、髪と目の色で苦労したんだよ」

「フユは」

人魚だもんね、と続けようとしたら、シーっと合図される。

「それは、言ってはいけないよ。僕はそれを捨てて生きていくと決めたんだから」

「捨てて?」

「そう。それに囚われない世界で、囚われないように隠して、囚われないままにフユとして生きていくと、決めたんだよ」

フユが僕を見る。青い、薄く青い綺麗な瞳は、真っすぐに僕を見ていた。


「だから、カプリス君もそうやって生きていけるといいね。ううん、捨てるつもりが無いなら、僕ほどやらなくてもいい。けれど、そのせいで生きるのが苦しくならないように、生きていけるといいね」


いつのまにか、墓地に着いてしまった。誰もいない、静かで、暖かい日差しだけが僕らを見ている、墓地に。

「もしこのまま僕のところに住むのなら、手伝うよ。隠すことも、逃げることも」

「……赤の他人だよ?」

「ここで助けた時点で、きっと他人じゃないんだよ」

フユが目を細めて微笑む。真上から注ぐ日差しは暖かく、とても優しいのに。


 ……遅いよ、もう遅いよ。

 なんで今なんだよ。どうしてこのタイミングで!

 僕は、逃げるために、あなたを売らなければいけないのに!


 断続的に襲ってくる眩暈を無視して、フユに背を向ける。目を拭って試験管を取り出し、中身を布に押し付けた。

「おばさん、いないね。でもここなんだよね、カプリス君?」

「……ごめん」

「え、なに?」

「ごめん、全部嘘だよ、全部嘘で、これからあんたは死ぬんだ!」

振り返ると、きょとんと目を開いているフユと目が合う。そんな目で見るな、そんな、人を信じきったような目で!

 たった数歩の距離を一気に詰め、フユの片腕を掴んで引っ張る。態勢が崩れた時に、口の部分に布を当てた。

「な」

に、と呟きながら、フユが地面に倒れ込む。腕を掴んだままだったから、人形の様にだらりと身体だけ地面に落ちた。

「ごめんね、フユ」

でも、今まで散々やられたことを、フユに返しただけなんだよ。

 僕は悪くない。

 だって死にたくない。

 もう喉が締め付けられるようで辛いんだ。頭ががんがんと痛むんだ。

 死にたくないんだよ。

 今まで、ずっと、ずっとこんな目にあってたんだ、どうして僕がやっていけない訳がある。いいだろ、許されるだろ、今まで、だって、だって今まで、ずっと!


 ……僕は、悪くない。


「ごめんね……」

完全に眠ったフユを背負い、墓地の中心へ進む。カモフラージュに立っている小さな墓石を蹴っ飛ばして、僕は地下に大声で叫んだ。


「おい、人魚を連れてきたぞ!」

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