第6話
次の日、4日目。死ぬまであと3日。
驚くことにレオはあの後普通に仕事に出て、何事もなく家に帰ってきた。流石に疲れたのか、すぐさま部屋にへっこんだが、今日の朝も普通に起きてきてもう仕事へ出ていった。クスリの影響なんて何も無かったように。
でも、明らかに飲んでいたよな? なんで影響が出なかったんだろう。
「フユ、質問なんだけどさ」
「なに?」
朝。応接間の棚からフユに言われた分厚い本を抜いて、部屋に入る。フユは机に座って、天秤を使い小さい葉の重りを測っていた。あれは、ノーストって薬草だったか。丸い薄緑の葉が特徴的な植物だ。効能は、確か下痢止め。午後からお客さんでも来るんだろうか。
「レオ、昨日飲んでたよね、クスリ」
「そうだね」
「大丈夫なの?」
「うーん、まあ、夜に治療薬渡したから。それでマシになったみたい」
「1日で回復?」
「基本、体力があるからね」
「へえ……」
それだけで治るもんなのだろうか、麻薬は依存性の強さも問題とされるのに。少し疑問に思うけれど、フユもそこから話を膨らませる気が無いらしく、葉と向き合っている。僕は机の端に本を置いて、フユの部屋を見渡した。
入口から、両壁と中央に棚がそびえ立っている。右側には本が多く、左に行くにつれ増えていくのは薬草や何かしらの物体だ。風化を避けて液に浸している昆虫もあれば、植木鉢が棚に入っていたりする。手入れはされているのだろう、汚い印象は無いが、標本や瓶は不気味だ。この拳大の真っ黒なしわしわの物体は、なんなんだろう。これも液に浸かっている。そして奥の壁一面は作業台。右側には窓があるから、植物がまた多く置かれている。ノーストや、リリス、ミネーバ、知っているものを見るだけでも、全て薬草だ。さすが治療をやっているだけある。
そして中心は完全な作業台。今、フユは天秤と向かい合っているが、その前には良く開く本なのだろう、分厚い学術書やペンがある程度散乱している。左は物置か、なんとなく机の空間は空いているが、本やら道具が所狭しと並んでいた。
「フユの部屋は、物が多いね」
そう言うと、測りの微調整をしたまま、微かにフユが笑う。
「増えていくんだよ、どうしても。捨てられない貴重なものも多いせいでね」
「引っ越しは簡単に出来ないなあ」
「そうだね、いざとなったらどうにかするんだろうけれど」
このままいても邪魔になりそうだから、部屋から退散した。ドアを閉めた時に軽い眩暈に襲われて、否が応でも注射された薬を思い出す。
あと3日だ……。
今日の朝から身体がだるい。1週間猶予があると言われたけれど、もし1週間前に毒が効き始めたらどうしようか? そうだ、相手はあんな奴らだ。もしかしたら言ってることも嘘かもしれない。
早く、どうにかしないと。
レオがいると面倒だから、チャンスはこうやってレオが働きに出ていて、僕とフユの2人だけで部屋にいる時だ。どうやってあの墓場まで持っていこう? ここで気絶させて運んだら、あまりに僕が目立ちすぎる。だからどうにか墓場までフユを近づけて、そこで気絶させて運びたいんだけど。あの墓場だったら人目にもつかないだろう、運びやすい。
墓場まで連れていくのは、適当に言えばいいか。例えばその周辺に寝込んでいる人がいるから治療しに行って、とか。多分フユのことなら付いてきてくれるだろう。そうだ、昨日クスリを売っていた奴すらも助けたくらいお優しいんだから。
それならどうやって気絶させようか。殴って気絶するのか? しなかった時が面倒だから、なるべく一発でどうにかしたいんだけど。
そうだな、睡眠薬があるといい。睡眠の効能がある薬ってなんだったっけ。そんなの手に入るのかな、草は確か、み、み、み……み、なんとか。み、み……。
みの、みめ、みね……。
みねーば。
ミネーバだ。
思わず呆然とする。ミネーバ。僕の見間違いじゃなければ、さっき部屋にあったぞ?
「フユ、なにか向こうに持ってくものはない?」
慌てて用事を作って部屋に入る。フユはもう測っておらず、椅子に寄りかかっていた。
「ちょうどいいや、じゃあこの本持っていって」
どしりと重い本を受け取りながら、まじまじと机の右側を見る。そうだ、あの濃い緑色の、小さい植木鉢に植わっている草。一度だけ、大学の植物園で見たことがある。一際色が濃くて印象に残っていた。
「色々植物も育ててるんだね」
「そうだね、役柄上、薬を作る機会も多いから」
「睡眠薬も作るんだ」
「よくミネーバが分かったね、そうだよ」
合ってた。
手が震える。本を抱きしめそれを誤魔化し、僕は薄く笑った。
「ちょっとは、学んだからね」
「カプリス君って、すごい知識を持ってるよね」
「そうかな」
「自信持っていいと思うよ。今度、薬の調合教えようか」
「それは是非」
明後日頃には、僕はあなたを売るのに。
終始笑みは崩さず、そのまま外に出る。思わず大きくため息をついた。
神が、いるのかもしれない。
僕に生きてもいいよと、言っているのかもしれない。
なんだかそんな気がした。だって、人魚なんてそうそう出会える人種じゃない。そしてその家に、睡眠薬がある確率だって、たかが知れている。
神なんて、いないと思っていたのに。
父と母が結婚した時点で神は僕ら家族を見放したのだと、ずっと思っていたのに。
今までの記憶が蘇る。家を転々としたことだってある、学校を転校しなければいけない羽目になったことも、家族ごと追い出されたことだって。
でも、ああ、いいんだ。
これを機に、生きやすくなるかもしれない。とりあえず、死ぬ心配がなくなるんだから。永遠と後は逃げればいいじゃないか。
ようやく、ようやくだ。
フユを売ることに、悪いけど全然罪悪感が湧かなかった。だって、みんなやってるじゃんか! 友達だと思っていたあいつだって、優しい隣人と思っていた大家だって、守ってくれると信じさせた校長も、全員! 僕を売ってきたんじゃないか。今更それを、人にやって何が悪い。どうせこんな世界なんだ。誰かが誰かを売って金を生活を命を得る、そんな世界なんだから!
……明日、やろう。
明日、口実作って墓地まで来させて、眠らせよう。そして解毒剤を貰って、どこに行こうか。どうせなら、僕のことを知らない所がいい、いっそ猫人間という人種を知らないところへ行きたい。星の真裏なら、それが叶うかな。
そしてひとりで生きよう。誰かと住むなんて、これが最後だ。
本を持ったまま廊下を歩く。自分があげる乾いた笑い声が、虚しく響いていた。
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