第3話
気付けば右にいた奴が、遠くに吹っ飛んでいる。
は?
左にいた奴も倒れ込み、その上に誰かが馬乗りになっている。体格の良い奴だ、男か?
突然のことに呆然と態勢も直さずいると、僕の顔を覗き込んできた人がいた。
青い、瞳だ。
深くかぶった帽子の奥から覗く、薄く水が張ったような、透き通る青色の目。肌は白く、肩上までの――僕と同じくらいの長さかもしれない。サイドは長めだが――髪は闇の様に黒い。
「大丈夫?」
女性にしては少し低い、男性にしては少し高い、とても微妙な中性っぽい声だ。思わず見惚れていると、その人が僕の首を指さした。
「首、それ」
慌てて首を押さえる。血を見られたのか。
「ああ、ちょっと……」
「なに、刺されたの?」
「まあ、えっと、そんなようなもんです」
「ちょっと待ってね」
さっとポケット(上は襟付きのシャツに柔らかい薄手の上着を羽織っている。下はズボンとカラフルな布を巻いていた)からナイフを取り出し、その人は自分の手先を刺す。
……刺す?
ぎょっとして見ているとその人が僕の手を退け、刺して血が流れ始めた手を僕の傷口に当てた。そして何かを呟く。知らない言語か、聞き取れない音だ。
ふわっと、首筋で青い光が舞い始めた。
「え……」
「動かないでね」
ちりちりしていた痛みが徐々に減っていく。なにをされているんだ、と思ったが。どうやら悪いことではないらしい。
あ、これ魔法か。
魔法を見るのは初めてでないけれど、治癒魔法とは珍しい。そんな魔法があるのだと初めて知った。
程なくしてその人は手を下ろす。身体を起こして首を触ると血は流れておらず、穴が空いているような感触も無かった。
「……」
「もう平気?」
見ず知らずの人が治してくれるなんて、考えられない。なんか代償を要求するつもりだろうか。そう思って頷くだけに留めたけれど、その人はいえいえ、と笑った。本心で笑っているんだな、と思うほど優しい笑み。
ちょっと戸惑う。こんな笑みの人見るの、初めて。
「治ってよかった。もう大丈夫? ほかは?」
「いえ、大丈夫です」
本当は殴られて身体中が痛いけれど、これ以上治すよう頼んで見返りを求められても嫌だ。僕も笑って言葉を返した。
レオ、とその人が名前を呼ぶ。もう1人いるのか、と辺りを見渡すと、僕を襲ってきた奴らに馬乗りになっていた人が立ち上がった。
浅黒い肌だ。元の生まれがイグニカロル国だからか、焼けて黒いのか、どちらかは分からないけれどともかく黒い。目は細いし短髪の髪はあちこちに赤いメッシュが入っていて、どことなく威圧感がある。おまけにだぼっとした作業着を着ているから、そこら辺にいる土木作業員のようだ。
「こっちは片づけた」
こちらに歩いてくる彼に、白肌のその人は苦笑いした。
「片づけたって、駄目でしょ。片づけては」
「ほっといて俺らが絡まれたら面倒だろ」
「まあ、そうね」
まあそうね、で片づけるのか、この人。
レオと呼ばれた人は僕を見て眉を潜めた。
「そいつは?」
「治療して、大丈夫よ」
「知らない奴を助けるな」
「いいじゃない、怪我をしてたのだから。減るものでもないし」
「お前、そうやって簡単に……」
そこで言葉を切り、男はため息をついた。諦めたらしい。
白肌の人は僕を見て真面目な顔をする。
「もう身体、本当に大丈夫?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
お礼を言うと、ひらひらと手を振られた。
「いいのいいの。無事でよかった。じゃあ、ここでね」
僕たちここに住む人たちに渡す物があってねー、とその人が何かを言ってるが、いきなり目の前が白くなり始める。
あれ、すごいぼーっとするなぁ……。
そういえば僕、殴られる云々毒云々の前にお腹空いてたなぁ……。
大きく眩暈がしたかと思うと、地面に倒れ込む。そこで僕は意識を失った。
『この子は売れますよ』
うらないで。
『その血を提供してはいただけませんか? 研究費を出しますので……』
おかねになんて、かえないで。
『ああ、初めて見た! どうか愛玩に買わせてくれ、いくらでも出す!』
オモチャになんてしないで。
『内密に。その肉は一生暮らせるほどの金に化けますよ』
たべないで。
「売りません。提供しません。愛玩にさせません。食べさせません。この子は私たちの、大事な家族です」
おかあさん。
ずっといっしょに、くらしたかったのに。
腹が、空いた。
焼けて胃の内側が引っ付きそうだ。慌てて飛び起きると、どこかも分からないままに声を掛けられた。
「ようやく起きた」
目を瞬きそちらを向くと、先ほどの白い肌の人だ。机に食事を並べている。レオと呼ばれていた人は、机近くに置かれているソファに座っている。
……ここはどこだ?
まるで応接室の様な部屋だ。中心には、机とその周りにある2台のソファ。入口は僕が寝ていた場所から対角線上にあって、ドアから1、2歩離れた所から壁際に棚がいくつも並んでいる。僕が寝ていた場所は、窓横にあるさっきのソファとは別のソファで、足先の方にドアがあった。閉まっていて何があるか分からないけれど、プライベートスペースだろうか。
「まずはどう、食べない?」
ぽかんと辺りを見渡している僕に、笑いかけてくれる。
……知らない人だぞ。食べて毒でも入っていたら? 睡眠薬とか入ってたら研究室まっしぐらだぞ。
でも。
どうしようもないほど腹も空いていた。
「……いただきます」
どうせここで食べなくても、金が無い僕は餓死に近づく一方だ。だったら食べてやる。知るか、睡眠薬なんて。考えれば一週間後に死ぬ毒入れられてんだぞ。やってられっか。
やけっぱちになり、立ち上がって机に近づく。銀紙で包まれた魚のムニエル、柔らかそうなパン、かごに山盛りにされた赤い果実。
……ここは楽園ですか?
「どうぞ、座って」
手で指示され、レオの隣に座る。レオは僕を見て(というか睨んで)、そっぽを向いた。
「ちょっと、レオ!」
「勝手に食えよ」
ぼそっと言ってレオは果実に手を伸ばす。齧った音を聞くだけで分かる、とても新鮮そうだ。
「愛想がなくてごめんね、どうぞ、自由に食べてね」
「……いただきます」
パンに手を伸ばす。一口食べるまでは毒が、とか思っていたけれど、一口食べたらどうでもよくなった。
それほどに腹が空いていた。
考えれば、2日ぶりの食事だ。2日ぶりで新鮮な果実に魚にパン! なんて美味しいんだ。自分が今までどれだけ元気が無かったのか分かる。一口食べるごとに気力が湧いてくる。
気付けばすごい勢いで食べていた。
魚も食べ果実も2個食べパン3つ目に突入した時になってようやく周りを見る余裕が生まれた。白肌の人はにこにこ笑っていたが、レオは面白くなさそうに顔をしかめていた。
「食べ過ぎ」
「自由にどうぞって言われましたけど?」
「だとしても食べ過ぎだろ」
「いいよー、どうぞたくさん食べて」
「ほら、いいと言われました!」
「いきなり目ぇ見開くんじゃねえぞ、ガキ」
「ガキじゃねえ!」
「怒鳴るとこがガキだな」
「……魚いただき」
「おいこら、勝手に取るな!」
「いいねー少年、レオの分も食べちゃってよ」
「おい、フユ!」
フユ、というのか、ようやく名前が分かった。
レオに頬を引っ張られながら咀嚼する。うん、魚美味い。あっさりしてて、けど油がどろどろ零れるほど乗ってるから、美味い。新鮮な魚なんだろうな。
そういえばここはどの地域だろう? 魚が美味しいってことは川沿いか。外を見ると日が暮れて朝日は昇ってないから、そんなに僕は寝ていないと思うんだけど。ウィアートラ国の中心部辺りだろうか。
ほぼ食卓が空になったあたりで、フユが自己紹介を始めた。
「僕は、フユ。それで、こっちの男は、レオ」
僕、ってことは、フユは男性なのか? なんとなく動きとか女性っぽいけど。よく分からないな。
「君は?」
フユにそう言われ、はた、と言葉が止まる。なんて名乗ろう。
知らない人に正直に名前を名乗っていいことはなかった。別に名字で種族がばれるわけではないけれど、僕の名前は既にどこかの捕獲リストに載っているらしい。大学の退学もその辺が原因だ。
売られたくないのなら、本名は教えるべきではない。
「僕は、……カプリス」
「カプリス君ね、お腹、落ち着いた?」
僕の偽名をフユはいとも簡単に信じて、そう聞いてくる。とても純粋そうな人だ。僕の周りに、今までこんな人はいなかったのに。
「ごちそうさまでした。おかげさまで」
「これだけ食べて落ち着いてなかったら、フユが何言っても俺は追い出してたぞ」
レオは不機嫌そうに言い、僕の持っていたパンを奪い取った。
「おい!」
「食べ過ぎ、俺が食う」
「じゃあ、あんたの食べかけの果実もらいまーす」
「勝手に食べるな!」
言っても遅い。残っていたそれを豪快に齧った。レオは僕を睨みつけ、パンを食べる。お前もパン食べてるじゃん。
ふと前を向くと、まるで親の様な顔でフユが微笑んでいた。
恥ずかしい……。
思わず頬が熱くなって下を向く。小さく咀嚼した。
「カプリス君、なんであんなに殴られてたの?」
フユにそう聞かれても返答に困る。ただ絡まれただけだ。
「別に僕は何もしてないんですけどね。見てたら絡まれましたよ」
「なんかムカつかせることでも言ったんじゃねえの?」
さっきからやけにレオは僕への当たりが強い。僕もケッと舌を出した。
「別に。わざわざ喧嘩なんて下等なことするかよ」
「ケンカと言うより一方的にやられてたけどな、おぼっちゃん」
「2人相手に本気で喧嘩したら余計ひどくなるだろ」
「2人くらいぱぱっと倒せねーのか」
「あんたみたいな体力バカじゃないんでね」
「よわっちーな」
「僕には頭があるんでね」
睨みあってると、前から笑い声が起きる。レオとばっと前を向くと、フユが涙目になりながら笑っていた。
「おかしい、レオが初対面の人と言い合うの初めて見た」
「なあフユ、こいつムカつくから追い出そうぜ」
レオがため息をつきながらそう言う。僕は「追い出す」という言葉にはたと躓いた。
ここにいられなくなったら、僕は路頭に迷う。家なんて借りる金も無い。路地裏に住むしかなくなる。というかどうせ1週間後に死ぬ命だった。「人魚」でも見つけない限り……。
追い出すのは可哀そうよ、など言ってるフユをちらりと見る。
追い出すのは可哀そう、なんてありがとう。どの道、僕は死ぬ運命だけどな。
馬鹿馬鹿しくて大笑いしたくなったけど、そっと我慢してフユとレオが言い合っているのを見る。それにしてもレオの肌は黒いし、フユの肌は白い。比較のせいかな、まるでフユが「人魚」のようだ……。
……、
「人魚」のようだ?
改めてフユを見る。白い肌に、黒い髪。そして青い目。
確かに髪は黒いから、「人魚」の外見と合わない。けれどそんなもの染められる。瞳が青い人種はいたか? 確か、いたな……。うん、南の方の人種で、確かいた。だから「人魚」だと断言は出来ないか。でも、肌が白い。それに、そうだ、さっき助けられた時、フユは上着に長ズボン、しかも帽子を被っていた。「人魚」は日差しが苦手と言われる。だからあの格好だったんじゃんないか?
確証は無い。無いけれど、もしフユが「人魚」だったら? しかもこんなに青い目だ。純血の可能性がある。
だから、フユをあの「人狼」に連れていけば。
僕は、死なずにすむんじゃないか?
「ねえ、フユさん。僕、行く宛てがないんです。どうかここに置いてくれませんか?」
深々と頭を下げる。けれど内心、笑いが止まらない。
「いいよ、別に。部屋空いてるから、そこ貸してあげる」
やった。
一緒に住めたら、もうどうにでもなる。
こいつを売れば、僕は助かるんだ!
「ありがとうございます!」
笑いが止まらない。今まで僕を売ってきた人間たちも、こんな気持ちだったのか。
それはなんだか結構、晴れやかな気分じゃないか!
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