第1話 

 一昨日おととい、僕は大学図書館で調べ物をしていた。

 昨日、退学を言い渡された。

 そして今日。


 なんで手首を縛られて、仮面をした奴らに取り囲まれなきゃいけないんだ。


 電灯は目の前のランプしかないけれど、僕は夜目が効くからその灯りで十分辺りが見渡せた。仮面を被った奴らが、見えるだけで5人。今はヨキアンの月だから寒くはないけれど、タイルの床が痛い。あぐらをかいている足も疲れ始めた。

 じゃあこんな場所に居なきゃいいという話だけど、僕も好き好んでいる訳じゃない。当たり前だ、手首縛られて座ってるってどこのマゾだよ。

道を歩いていたらいきなり腹を殴られて、悶絶してる間に連れてこられたんだ。抵抗する暇もなかった。だから腹は今も痛い。痣になったらどうしてくれるんだ。

 なんてまあ、正直に言えるわけでもない状況だと重々承知だけど。

「これはお前だな」

突然目の前に立つガタイの良い男が、紙を目の前に示した。そこにはひとりの青年が、黒一色でも実物がそこにいるかのようなリアルさで描かれている。

 少し濃く書かれた、男性にしては長いもののショートの髪。斜め横を向いた目は真っ黒で、眼鏡をかけている。鼻は高めで、唖然としたように口を開けているのがまるで馬鹿だ。

 そしてなにより、その男の頭には、真っ黒な耳が生えていた。

 人間の耳が黒いんじゃない。猫の耳が生えていた。

 ……クソが。なんでこんな絵があるんだよ。

 一目見て分かった、分かるに決まってる。これは僕だ。顔だけならまだ違うと言い訳も効くが、耳がまずい。描いた絵師を見つけてそいつが夢でも見たと証言しない限り、これは僕だろう。顔がそっくりで耳も生えてる奴が2人もいて堪るか。

「そんなわけないじゃないですか」

それでもまずは否定する。道端で花束を持った少女が「これ、あなた?」と絵を見せたら、そりゃあ笑って肯定するけど、今縛られてるんだよ。更に5人に囲まれているんだ。肯定したらやってくるのは花束じゃなくて拳だ。

 しかし男は僕の襟首を掴み(止めてほしい。路頭に迷っている今、服の替えは少ないのだ)、思いっきり低い声を出す。

「お前、だな」

まるで脅しだ。肯定しないと殴ると言うのだろうか。

 それでも僕はへらりと笑って否定した。

「違いますよ、他人の空似」

「こんなに似ていてか?」

「恐らく絵師は夢を見ていたのでしょう。ほら、夢には願望が現れると言うでしょう? ならば単純明快、絵師はこのような人と付き合いたいのでしょうね。ほら、だいぶ目鼻立ちしっかりしているじゃないですか。猫耳は、趣味ですか?」

「第1に、これを書いたのは男だ」

「それは言い逃れになりませんね。だって同性愛があり得る」

「第2に、これを書いたのはウェーリタヌム大学の関係者だ」

思わず言葉が止まる。ウェーリタヌムだって?

 僕が昨日まで在学していた大学じゃないか。

 そういや、待てよ。図書館で勉強していた時、一度だけ耳を出してしまったことがあった。図書館の棚ひとつが倒れて、地震かと思うほど揺れが起きて驚いた時だ。この世に生まれて18年だが、未だ驚いた時は反射的に耳や尻尾が出てしまう。それを見られたのか。

 クソが。最高峰の大学なら個人のプライバシーを守れよ。誰だよ、情報漏らした奴。

 黙り込んだ僕を見て、男が確信を得たようにひとつ頷いた。

「お前だな」

「……誰のタレコミだ」

「言えんな」

「はっ、僕のプライバシーは漏らしといてそいつは守られるってことですか。ざけんなよ」

思わず舌打ちが漏れる。しかし男は態度を変えず、ただ手に持っていた絵を下ろした。

「どうとでも言えばいい。つまりお前は『猫人間』だな?」

「ふん、絵師の幻覚で無い限りはね」

人間にも猫にもなれる生物、それが猫人間。僕の場合は母が猫人間の血であり、父は普通の人間だからハーフと言える。しかし母の血が濃かったのだろう。自在に猫になることは出来ないが、驚いた時は耳や尻尾が生えるし、時に全身が猫に変わる。

 この男は、「猫人間だな」と聞いてきた。つまり僕が猫人間だから攫ったようだ。

 そう気づき、またかよ、と唾を吐き捨てた。何度目だよ、こんなの。本当に勝手に生えるこの耳が忌々しい。

 周りの連中は、僕が猫人間だと肯定したから、なんだか喜んでいるようだ。興奮した言葉が飛び交っている。

 ……ちょっと待て。猫人間だと分かって、喜ぶ理由はなんだ。

 そもそも猫人間は未だに謎の多い生物で、研究対象になりやすい。だからそれである僕らは自分の出生を出来る限り隠す。わざわざモルモットになりたい人間はいないだろ。

 だったらこいつらは研究組織に関係してるのか? しかし研究者には見えない。どちらかというと、暗い室内に仮面、まるで怪しい儀式をするカルト集団だ。

 そこで、はたと思い立った。

 待てよ、猫人間は研究対象となるだけではない、食したらその肉は珍味と言う。更に今は、ヨキアンの月第1週。

 まさか、

「お前ら、『人狼』か……!」

噛みつくように言うと、男は否定をしなかった。

「賢い奴だな」

賢い奴だな、じゃねえんだよ、褒められても何も嬉しくないんだっつの。

 『人狼』と言えばこの国、ウィアートラ国を拠点に活動している超危険カルト集団だ。その歴史は長いらしいが、警備組織がザルのウィアートラで捕まるわけもなく、活動を続けている。正直、都市伝説だと思ってたが実在するのか。

 己の不運に舌打ちが漏れる。

 ただの人間ならまだしも、若い娘や特殊な人種の生物は、絶対にこいつらに見つかってはいけないと言われている。

 なぜか。こいつらの活動は「人食」だからだ。

 乾の月の初め、ドラレットの月が始まる前のヨキアンの月に活動を始めるこいつらは、主にウィアートラを中心に十数人の人を攫う。その先は会員でもない(なりたくもない)ので知らないが、ともかく人を食うらしい。

 その「人狼」に捕まっていうのか。どれだけツイてないんだ。

「『人狼』の名を知るなら、自分の身に何が起こるのか分かるだろ」

「分かりますね。食うんでしょ?」

「野蛮な言い方をしないでほしい。これは大切な儀式だ」

人の命、勝手に食って「儀式」かよ。大層ご立派な趣味ですね、クソが。

 しかし悪態を付いている暇もない。「人狼」ならば、遅かれ早かれ僕は食われる。だから何が何でも逃げ出さないといけないんだが、後ろ手の紐は恐ろしいほどに硬く、解ける気がしない。こんな時に猫に変わることが出来ればいいのに、自分で猫になることも出来ないし……。

 じゃあここで食われるって? 冗談じゃない。どうにかして逃げなければ。

 「人狼」と言えばなんだ? 考えろ、考えろ。そうだ、食人だ、人を食う。だから僕を捕まえた。

 それなら、僕よりも貴重な種を差し出せば逃げられないか?

 猫人間は貴種だが、まだ人数は多いしなによりだ。美味である人種を取引きに使えば、どうにかならないだろうか。

 美味な人種と言えばなんだ。ほら、思い出せ僕。あの最高峰の大学にも受かった頭の良さをフル活用しろ。

 そこでようやく一種、思い出す。

 自分がそれを捕まえられるかなんてどうでもいい。今、この場から逃げられればいいんだ。

 僕はニヒルに笑って提案をした。

「僕は『人魚』の居場所を知っているぞ。食っていいのか?」

室内が僕の発言にざわめいた。

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