見るな
九良川文蔵
見るな
何か居るな、とは薄々気づいていた。
私の住んでいる家は築ウン十年の古びた一軒家で、小さな庭を突っ切った先にやや時代遅れな磨りガラスの引き戸の玄関があり、入ってすぐ左手に二階へ続く階段、右手に茶の間へ続く襖、真っ直ぐに廊下を進むと突き当りに風呂場でその隣にトイレ。台所は茶の間に入って左の襖の向こうにある。そんな構造だ。
今日の分の仕事を終えすっかり暗くなった帰路につく。鍵を開けて玄関の引き戸を開くと、ギシギシと錆びた音がした。
茶の間へ入って鞄を放る。
ちり、とうなじに感じる違和感。何かがこちらを見ている。
何か居るな、とは薄々気づいていた。住み始めてすぐの頃から。
背後でいつも何かが見ている。この物件がいわく付きだとか事故物件だとかいう話は聞いたことがないが、何かが居ることはどうやら確かであるらしいのだ。
ぱっと振り返ってみる。すると気配は消える。またしばらくするとやって来る。その繰り返し。
別に害はないからと放っておくことにしていたが、やはりあまり良い気分にはならない。
私はその『何か』が居そうなところをじっと睨んでみた。半開きになった襖から半分顔を出して、何も言わずにただ私を見ている……ような、気が、する。
やがて私は視線を逸らし、部屋着に着替えてテレビをつけ、深夜のバラエティ番組を見ながらカップ麺をすすった。
ちり、と『何か』の視線が刺さる。彼なのか彼女なのか分からないが……目的は何なのだろう。繰り返すように今のところ害はないが、見守ってくれている、というふうにも思えない。
私は食べ終えたカップ麺の容器を捨て、風呂に入ることにした。湯を沸かして浴室の前で服を脱ぎ、脱いだ服を洗濯カゴに放り込んで中に入る。
風呂場も玄関同様、扉は磨りガラスだ。暗い中に薄ぼんやりと向こう側のシルエットが見える。
髪を洗い、シャワーで泡を流していると、また例の視線がやって来た。ちらりと扉の方を見る。
……誰か、居る。
磨りガラスの向こうに居る。べったりと扉に張り付いて、こちらを見ている。
思わず声を上げると、その人影はすっと消えた。やはり『何か』、あるいは『誰か』が居る。
私はそのまま入浴を終え、服を着て茶の間に戻った。
テレビをつけて深夜番組を眺めながら、どうしたものかと考える。私は俗に言う霊感の類いというものは一切なかったが、人あらざる者と同居していると、そういった感覚が研ぎ澄まされていくこともあるのだろうか。
……いや、もしかしたら人あらざる者ではなく人なのかもしれない。先ほどの『誰か』はいつもこちらを見ている『何か』とは無関係で、泥棒や不審者が家に入ってきた可能性だってある。
私は他の部屋を見て回るため立ち上がり、テレビを消した。真っ黒になった画面に電球の光が反射して、部屋の風景と突っ立っている自分の姿が映る。
そして私の肩口の向こうで『誰か』が佇んでいる姿も映り込んでいた。
ばっと背後に顔を向けると、誰も居ない。気のせいと言うにははっきりと見すぎてしまった。
やはり、あの『誰か』は『何か』であるらしい。
私はそのまま茶の間の電気を消し、二階の寝室へ向かった。布団にもぐり込みじっと目を閉じる。恐怖心より体の疲れが勝ったようで、私はそう時間を置かず眠った。
……。
ふと目を覚ます。朝か、と思ったが目を開けると真っ暗だ。夜中に目が覚めることは今までにも時々あったものの、さっきの今ではどうにも不気味である。
手探りで枕元に置いておいた携帯端末を見つけ、時間を確認しようと起動させた。真っ黒な視界に端末の光が加わって、部屋の中がぼんやり見えるようになる。
その瞬間に、私は息を飲んだ。
そいつは私のすぐ目の前に居た。裂けるほどに口角を上げ、目を見開いてこちらを見ていた。
翌月、私は別の家へ引っ越した。
前の家と同じくらい古いが、駅が少し近くなったので良しとしよう。
ここの玄関も時代遅れな磨りガラスの引き戸だ。あらかた荷物を運び入れ、引越し屋に礼を言って家の中へ戻ろうとしたとき。
そいつは玄関の引き戸にべったりと張り付いて、家の内側からこちらを見ていた。
私は、もうこの『何か』から逃れることはできないと悟った。
見るな 九良川文蔵 @bunzou
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