みち

白冬十

みち

 ある日の真夜中、1人の男は靴を脱ぎ、それを縁石の上に揃えて置いた。男の右手側からは2つのまん丸な光が近づいてきている。

 それを男は確認すると、その2つの光の前に飛び出した。



 それからどのくらい経ったのだろうか。

 赤いランプを点滅させる車に乗せられて、僕らの前から主は消えてしまった。

 何時間、何日も待った。夜も朝も何度も来た。

 けれど、主は戻ってこない。

 僕らは縁石の上から降りて、そのままテクテク動き始めた。


 信号を渡り、人々の足を避け、犬猫から距離をとり、僕たちは中身を空っぽのまま、動く。

 やがて左側にコンビニが見えてきた。このコンビニは主が僕らを買った時から通い続けていた場所だ。何度も一緒に来た。

 いつもなら、入り口近くの雑誌コーナーで立ち読みしている集団に混ざっているけれども、今日はそこに姿はない。

 う~んと唸り、コンビニを通りすぎた。

 僕らはテクテク交互に動く。

 次はケーキ屋さん。ここは主が大切な記念日の日にだけ訪れる場所。

 3ヶ月前も主はここに来て、イチゴのムースを2つ買った。その日はいつも以上に軽やかな足取りをとる主に、僕らまで楽しくなってステップに合わせて、歌を歌ったのを覚えている。

 今日は特別な日じゃないから、主はいない。

 僕らはテクテク動く。交互に動く。

 次に見えてきたのは、ショーウィンドウの並ぶ、ちょっと洒落た石畳の通り。

 その中の一つに白や赤、青のキラキラ輝く宝石ばかりがディスプレイされたお店がある。一月前、主はここを訪れ、小さな店内をぐるぐる回り、しばらく止まってはまた回った。僕らの目は回りそうになったけれど、見上げれば、顎に手を添えて真剣な表情で何かを考える主の顔があった。きっと、主を笑顔にするあの子にあげるものを選んでいるのだと思い、我慢した。そして、主は小ぶりなダイヤモンドのついた、線の細い、あの子にぴったりな指輪を購入した。

 来たのはあの一回だけだったな。だから、もうここには用はないんだな。

 僕らは再び動きだした。テクテク動く。交互に動く。

 すると赤い十字マークを掲げた、真っ白で大きな建物が現れた。主は指輪の入ったケースを手にしたままこの建物に駆け込んだ。僕らの体内では主の指先が丸められたり開いたりして、くすぐったかった。そうして時間が流れ、やがてその足は白衣を着た男と話した途端、ずんと重くなった。

 僕らの隣に、指輪のケースが落ちて、その反動でふたの開いたケースから、ころころと指輪が転がり、真っ白な壁にぶつかってこけた。

僕らは主がここに進んで来ることはないと知っているから、横目に通りすぎる。

僕らはテクテク動く。交互に動く。

やがて背の高い、窓がいくつもついた建物が見えた。あそこは主と僕らの住んでいる場所。

昔は笑顔と声がいっぱいの、賑やかな場所だった。ぼくらは毎日鼻唄を歌い、主とあの子の笑い声に耳をすませていた。けれど、主が指輪をあの白い建物に忘れた日から、ここは紙くずと空っぽのビンと缶でいっぱいになった。僕らは毎日虫を追い払うのに必死だった。

部屋を覗いたけれど、そこには誰もいなかった。

僕らは動く。交互に、動いた。

似たような形にカットされた石ばかりがずらりと並ぶ、背筋に寒気を感じる場所に着いた。ここは主が最近よく通っていた場所だ。その中にある一つの石に向かい、可憐な花束を置くと、主は楽しそうに笑ったり、愚痴を漏らしたりして、そして最後にはいつも大粒の雨を数滴僕らに浴びせた。

その石の前に来たけれど、可憐だった花は、今日は茶色に干からびていた。

その代わりに、以前はなかった隣の石の前に主が持って来ていたような、可憐な花束がいくつも置かれていた。


その石に刻まれた名前を見て、僕らは行き場を失った。

ぽつぽつと雨が降り始め、やがて僕らの体の中は水でいっぱいになる。僕らは寄り添った。寒い、冷たい……。そう言うのに、雨は止んでくれない。


青い空に太陽が顔を見せると、キャップ帽に作業着を身に付けた二人の人間が現れた。1人が僕らをつまみ、持ち上げると、大きな口に回転する鉄板を持つ車へ案内した。


僕はその断頭台へ喜んで入った。新しい場所を教えてくれたから。


僕は体を揺らし、まだ乾ききっていない地面に落ちた。そして遠くに転がっている、踵の細く高いボディをした赤色の彼女を抱き起こし、二人であの車を見送った。

僕たちはまた、テクテク動き、交互に動く。どこまでも道に終わりは見えないけれど、動く。ため息も、ケンカも、ダンスもしながら、テクテク動き続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みち 白冬十 @hakutou10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ