第3話 白の世界

「だから、尻から考えろっていつも言っとるやろうがっ」

「すみません」


上司から飛ぶ怒号。

今日も僕は怒られている。


 昨日は、説明の仕方が悪いと。

 一昨日は、いつになったら成果が出るのかと。

 そして、今日はプロジェクトのスケジュール感の悪さについて。


「すみません」

 僕は謝る。

 一日に何度口にしたか、分からないその言葉。

 だけど、謝ることしか僕にはできない。なぜなら、僕は仕事ができないからだ。

 正確には、望まれた結果を期日までに成し遂げられない。


上司の言葉は、その意味を認識されることもなく、僕の耳を通過していく。


「――すみませんでした」

僕の一日は、こうして過ぎていく。



翌日。


今日も仕事にでかけようと思ったが、なぜか布団から出られない。

頭では理解できるのに、体がいうことを聞かない。脳と体が、分離しているような感覚。

断線した、ゲームのコントローラーのような。ボタンを押しても動かない、そんな感じ。


「行かなきゃ」

 不思議と、口だけは動いた。

 都合の良い金縛りのよう。

 この状態で仕事に行って、どうなると思った。ただでさえ、仕事ができない奴が、今度は自身の体さえ、まともに動かせない。一体、何の役に立つのだろう。

 だが、僕は仕事に行かずにはいられなかった。

 僕がやらなければいけない。

 僕がやらないと、みんなに迷惑をかける。

 ――やったところで、迷惑をかけることには違いないのだけど。


 僕なりの気合と根性で、布団から這い出る。そして、シャワーを浴びて強引に目を覚まさせる。買い置きのエナジードリンクを飲み干し、脳を起こす。


「よし、今日も一日頑張るぞ」


 鏡に映る、死んだ魚のような――覇気どころか生気もない、自身の顔に暗示をかける。

 ふらついた足取りのまま、スーツに着替え、ネクタイを締める。

 

 朝食をとっている時間は、もうなかった。

 これまた買い置きのゼリー飲料を取り出し、10秒チャージをこころみる。


 10

 蓋を開け、ゼリーを口に含む

 9

 空いてる片手に鞄を掴む

 8

 もう一口吸い出す。

 7

 一歩踏み出す

 6

 二歩踏み出す

 5

 靴をはく

 4

 さらに吸い出す

 3

 玄関の扉を開け、外に出る

 2

 最後のを吸い尽くす

 1

 ――ばたりと、体が倒れる

 0

 視界がホワイトアウトする。

 10秒チャージしきる前に、僕の意識は虚無へと溶けていく。


 白に埋め尽くされた視界。ぼんやりと、少女のような笑い声が聞こえる。

 その声は、だんだんと近くなる。


『お疲れ様』


 少女の声で、そんな言葉が聞こえた。


『もう、頑張らなくていいんだよ』


 優しい口調で告げる。


『あなたは、この世界には必要ないの』


 諭すように言う。


『あなたがいなくても、この世界は回っている』


 穏やかに、囁く。


『だから、ゆっくり休んで』


「ありがとう」

 僕は、溶けいく意識の中で、そう口にした。

 すみません、以外の言葉を他者に口にしたのはどれくらいぶりだろうか。

 なんと素晴らしい言葉だろう。


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