第2話 とあるバッグの付喪神


 ばしん、ばしん。


 ばしん、ばし、ばしん。


「おれゃー、死ねや、この糞がー!」


 ばしこーん。


「巨乳の何がええんや、こらー!」


 軽快な音と、あたしの罵詈雑言が部屋に木霊する。

 嫌なことがあったときは、いつもこうしている。こうしてサンドバックを殴っていると、心が落ち着く。

 変わっているんだろうな、と自分でも思う。


 あたしに殴られ続けたサンドバック。中学二年の頃から使っているから、大分くたびれている。あたしの怒りやストレスを無言で受け続けてくれた、包容力のある体。

 どこかにそんな男、いないだろうか。

 今日の合コン、見た目――特に胸のことにしか興味のない糞男ばっかだから、そんなことを思ってしまう。幹事のあの女にはいづれ然るべき裁きを与えねば。


 決して、あたしはもてない訳ではない。中学生のときも、高校生のときも年に三人くらいからは告白された。試しに、付き合ったこともあった。デートも楽しんでいたと思う。

 だが、家に上げると駄目だった。


『サンドバックを日常的に殴る子はちょっと』


『僕もいつか殴られそうで怖い』


『俺より強い君を守れない』

 

 そんなことを呟いて、みんああたしの前から去っていた。その度に、こいつは、サンドバックは、あたしの思いを受け止めてくれた。


「ありがとうな」

 物に話しかけるなんて、どうかしているとも思う。


『いえ、おかまいなく、むしろもっと殴ってくださいまし』

 サンドバックの表面に大きな『目』のようなものがぎょろりと現れた。

 いや、それ以前になんだ、今の声。おかまの――いや、おねぇのような、男にしては少し高い声。


『ほら、続き続き。お嬢様、もっと拳を私めに』


 目の前のサンドバッグがゆさゆさゆれた。

 まさか、これが噂の付喪神というやつか。丁寧に使い込んだものに魂が宿るという、あの。

 だが、宿った魂がどこか汚れていそうなのは気のせいか。……まぁ、私の憎しみのマイナスエネルギーを一心に受けているから、それも仕方がないのかもしれない。


「本当に、お前がしゃべっているのか?」

 サンドバックを小突く。すると、嬉しそうにまた体(?)をゆらぶる。

『その通りですよ、お嬢様。やっと、私の言葉が伝わるようになりましたね。バグ男感激です―♪』

 複雑な気分だった。

 包容力最大に宿った魂がおねえだなんて。しかも、名前がバグ男って。

 物の心なんて、聞こえないほうが良かった。

「おらっ」

 試しに殴ってみた。

『おうっ♪』

 殴った感触は同じだが、なんだろう。罪悪感というか、単純に気持ち悪いというか。

「……ちょっと、殴りにくいのだけど。黙ってくれない?」

「かしこまりっ!」

 ビシッと体を硬直させるバグ男。

「……………」

 本当に黙っているバグ男。だが、ぎょろっとしている目はかっちりと見開いたままである。これはこれで、殴りにくい。なんだろう、弱い者いじめをしているような感覚。

『あれ? 殴らないんですか?』

「魂が宿っているってわかったら、黙ってても殴りにくいわ!」

『それはいけません! 殴られないサンドバックなんて、存在価値がありません。我殴られる、故に我あり、でございますよ、お嬢様』

 だから、そうやって会話をすると余計に殴りにくいんだって。

 

 そういえば、父はこのことを知っているのだろうか。

 自分の買い与えたサンドバックに魂が宿ってしまったことを。

『旦那様なら、ご存じないですよ。私の声は、お嬢様のみに届きますし、そもそも、私にちゃんとした自我が目覚めたのはつい最近でしたから』

 心を読まれた。

「どうして、私の心を――」

『私の言葉は音声ではなく、お嬢様の意識に直接語りかけているのです。私の声が届くということは、当然お嬢様の心の声も聞こえるというわけです』

 プライバシーなしか。この個人情報が価値を持つ時代に、なんということだ。

『だから、お嬢様が胸の事で悩んでいることも当然知ってますよ』

 うるせぇ。

 ばしんと拳を突き出す。

『ありがとうございますっ!』

 だからうるさいっての。

「この調子だと、お前以外の道具も喋りだしそうだな」

 

『正解です、お嬢様』

 今度は正面のサンドバックからではなく――

 Tシャツにぎょろりと真ん丸な眼が現れた。

 おいおい、どうなってんだよ、私の周り。

 彼氏を作るどころではないと思った。


『お嬢様はまず、もっと外見を磨かないと』

『同意』

 うるせぇ。

 私はベットに倒れこむ。

 もしかして、このベットも――






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