虹色百物語
虹色
第1話 桜の下の手品師
「先輩、太ったんじゃないっすか? 肩こりも、きっとそれが原因っすよ」
後輩からの心ない言葉。
それをきっかけに私はランニングを始めたのだ。
月明かりの下のランニングは最高である。
夜の澄んだ空気、落ち着いた街道。
そして、薄明かりに照らされた桜。季節は5月。花はとうの昔に散ってしまっているが、葉桜も美しいと思う。
見慣れたはずのランニングコース。だが、そこに見慣れない人影が一つあった。
花見以外のシーズンでは、利用されることが稀なベンチ。夜中であれば、その使用はさらに稀。ランニングをはじめてかれこれ二か月になるが、誰も座っているところを見たことはなかった。
走るペースをおとし、人影のほうを凝視する。
黒髪の女性、狐のような切れ長な眼。この暗さの中、読書中なのか、手元の本らしきものに目をおとしている。
「あの、何か?」
凝視しすぎたのだろうか、彼女のほうから声をかけられる。
夜闇に通る、鈴のような声。
「すみません、こんな夜中に人がいるとは思わなかったので、つい」
「そうね。読書に夢中になっていたら、もうこんな暗くなってしまったわ」
彼女はパタンと本を閉じ、鞄にしまった。
そして、私に向かって手招きする。
「少し、お話しませんか?」
「はぁ」
急な誘いに、気の抜けた声が出る。
彼女に誘われるまま、ベンチに座った。
明らかに怪しいとは思った。だが、断る理由もすぐに思いつかなかった。それに、仮に彼女が新興宗教の教祖様だったとしても、話くらいは聞いてみてもいいかなと思える程度の美貌ではあった。
「ランニング中ですか」
「そうですね。まだはじめて二か月ほどですが」
「二か月も続けるなんてすごいです。私も体力ないから、頑張って挑戦してみようかしら」
ふふっと妖しく微笑む彼女。
自分の顔に熱が上がるのを感じる。
「そ、そういえば何の本を読んでいたんですか?」
恥ずかしさを塗りつぶすために、会話をそらす。
彼女は鞄から先ほどのしまった本を取り出す。本には『カードマジック大全』と記されていた。
「私、マジシャンなんです」
妖艶に笑う彼女。
なるほど、マジシャン。手品師。東急ハンズで実演しているのを見たことがある。だが、いるのはいつも男性ばかりだった。そういった意味で、女性の手品師というのは、私にとって新鮮だった。どちらかというと、彼女は手品師よりもその助手のほうが似合っている気がした。主に、見た目的な意味で。
「昼間からのんびり読んでたら、こんな時間になってしまいました。いやはや、内容を理解しながら読むというのは、思いのほか時間がかかってしまうものですね」
はぁ、と溜め息交じりに呟く彼女。
「あなた、手品に興味あります?」
「やったことはないけど、見るのは好きです」
「なるほどなるほど――っうっ!」
急に、彼女がうずくまった。
不意な出来事に、動揺する。
「――ばぁああ、なんて」
彼女の口から大量のトランプが出てきた。昔、テレビでよく見たアレである。東急ハンズのマジックキットでも見覚えがあった。あの芸人、もとい手品師、今頃何しているのだろう。
「あ、驚いてる驚いてる」
彼女はけらけらと笑う。
「からかわないでくださいよ」
「ごめんごめん。これも職業病で――っうっ!」
またうずくまる彼女。今度は耳を押えている。
この展開はまさか――
「耳が大きくなっちゃった!」
予想通りだった。
大きな耳が現れた。
「びっくりした? びっくりした?」
またけらけらと笑う。夜の闇に彼女の笑い声が響く。
「もういい加減にしてくださいよ。初対面でこんなことされたら寿命縮ますよ」
「初対面だからさ。こうゆうネタは初対面じゃないと受けないからね。キャラが分かってしまえば、面白くもなんともなくなる。手品とはそういうものだ」
言い訳を力説された。
いや、これは手品というよりは宴会芸ではないだろうかと心の中で突っ込みを入れる私である。
「大丈夫、心配しないで。びっくりマジックはこれにて終了――っう!」
終わってなかった。彼女はまたうずくまる。
うずくまる。
……うずくまる。
頭をかかえ、嗚咽をあげながらうずくまっている。
「ごめん、これは本当」
息も絶え絶えに彼女は呻くように続ける。
「とりあえず、10mくらい離れて……ダッシュで……3秒以内に」
彼女の言葉に従い、私は彼女から飛びのいた。
「マジカル……リリカル……センチメンタルッ!」
謎の言葉と共に、眩い閃光が彼女を包む。
数秒後、彼女の姿はファンシーに変化していた。ピンクを基調にした、フリルの多い衣装。右手には、花束のような可愛らしいステッキを持っている。
要約すると、魔法少女のような衣装である。彼女の年齢は最早少女ではないから、『魔女』と呼称するべきか。だが、それより重要なことは――
「これも、マジック?」
「ごめん、これは魔法なんです。そして――」
彼女はステッキを私に向ける。
1秒後、右肩で何かがはじけた。
「あなたの肩に乗っていた悪霊は、ついでに始末しました」
「あなたは一体……」
彼女はくるりと回り、スカートの裾をつまむ。
そして、一礼して告げる。
自身の正体を。
「副業でエクソシスト――悪魔祓いしてます。どうぞよしなに」
魔法少女ですら、なかった。
彼女には、会ってから今まで驚かされっぱなしである。
「どう? びっくりした」
また妖しい笑顔でほほ笑んだ。
なぞの肩こりはとれたが、代わりに腰が抜けた。
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