12 ふたりのマイナーリーガー


 成績まで細かいことがわからない仲は当惑(とうわく)した。思わず、近くに座ってブーイングをしていたでっぷりと肥えた体にアロハを着た白人の中年オヤジに声をかけてみた。


「あいつはムラがありすぎる。たまーに神ピッチをするが、だいたいはクソみたいな投球内容なんだ。だから、ファンはあいつの登板を望んじゃいない。投げないほうがマシなのさ」

「つまり、ガウラが投げることは敗退行為を意味する、と」

「そうともさ。歓声を送ってるのは冷やかしかアンチのたぐいだろう。みんなヤケクソなんだ。監督もなんであんな奴に投げさせるのか不思議だよ。普通ならあいつは降格してもおかしくないのにさ」


 中年オヤジは白いバケツに手を突っ込み、ポップコーンをわしづかみにし、大口を開けて喰らう。それを傍らにあった1リットルサイズの紙コップのコーラを流し込む。


「アンタはここでの観戦は初めてかい?」

「はい」

「イライラしすぎてぶっ倒れないようにな。俺のダチなんてブチ切れて叫んだ途端、頭の血管が切れちまったんだ。ま、命に別状がなかったけどな」


 横目でガウラを観ているが、今のところイライラする要素はない。本人は至って真剣な表情で投げ込んでいる。女優顔負けのぱっちりとした青色(ブルー)の二重に高い鼻に卵形の顔。出るところが出てるナイスバディであるから、投球内容さえよければさぞかし人気が出たんだろうと容易に予想がつく。

 実際元の世界では、メジャーでバリバリ投げ込んでいた時期が何年かあったが、国全体でメディアの取り上げていた。サイ・ヤング賞を3回受賞し、最優秀防御率を2回、最多勝を2回、最多奪三振が4回を獲得。ついたニックネームは「ビッグガール」だった。

 日本のメディアでも取り上げられることが多く、登板した日はスポーツコーナーで必ず取り上げられていたぐらい人気があった。日本人メジャーリーガーも何人かいたが、それより何よりもガウラが優先されていたのだ。

 ブレーブス側のダグアウトに視線を転じてみた。監督がベンチの隅で険しい顔で見守っている。隣にいるコーチが何事かを話しかけて対応してはいるが、顔はガウラに向いたままだった。


「監督もガウラにぞっこんなんだよなぁ。愛人の噂があるぐらいだ。確かに体格的には将来活躍できる要素があるんだが、体格でベースボールがやれんのなら誰でも活躍できるしな」


 中年オヤジが愚痴を吐き出し、口の中のポップコーンを飲み込んだ。

 正論である。結局のところ本人の体の強さ、技術、メンタル、運などが総合的に絡み合って選手が形成される。どれかひとつでも欠けていれば、一線級での活躍が望めない。こうなると、そんな選手を球団が何年も雇っている筋合いはない。降格はもちろん、さっさとトレードの駒にするか、本人が気づくか本人に気づかせるかでプレーヤーとしての人生を終えるのだ。


「出てきたからには2イニングぐらい投げてくれよ」


 だが、中年オヤジの祈りは神様には届いていなかったようである。連続でフォアボールを出し、置きに行った変化球を痛打され、たちまち3点を失った。ブレーブスファンの落胆(らくたん)する声が球場内から一斉に聞こえた。さらに悪夢は続いて、デッドボールにワイルドピッチ、牽制球の暴投にピッチャーゴロの処理を誤るなど、ファンが想像しうる最悪の出来事が目の前で繰り広げられてしまった。ブーイングが何層にも重なって球場内を包み込む。こうなると、相手のチームのファンもガウラの不甲斐なさに呆れ果て、汚いスラングすら飛び交う事態になった。

 中年オヤジも顔を真っ赤にしてファで始まるスラングを連呼している。


――これはひどい。一人相撲スペシャルだ。毎回のようにファンはこれを見せられちゃ、そらブーイングもスラングも飛ばしたくなる。


 冷静にガウラの投球内容を観察していた仲はメモ帳をいったん閉じると、見るともなくブレーブス側ダグアウトに目をやった。すると、ブルペンのキャッチャーがグラウンドを見て立ち尽くしているのが目に入った。


――ずいぶんと小柄のキャッチャーがいるな。いや、ピッチャーがデカいだけか。

「おい、リトル……リトルウォール!」


 ブーイングの嵐の中で、仲はなぜかハッキリ聞き取れた。ピッチャーが肩を作りたいのに、リトルウォールと呼ばれたキャッチャーがよそ見をしていて投げることができない。


「リトルウォールだと? まさか……」


 キャッチャーを注視する。マスクを付けているせいで顔までは見えず、性別が判断できない。しかし、記憶が正しければそんなあだ名で呼ばれている選手は一人しかいない。

 かつてメジャーリーグでは小柄な名捕手がいた。選手時代はグラウンドの要、攻撃の要。監督時代はいかなるときも冷静沈着で的確な采配を振れる名将――それがネリネ・ハートネットである。ゴールドグラブ賞を5回、シルバースラッガー賞を2回、首位打者を2回、打点王を2回獲得するなど、チャンスの場面を逃さないことから「ザ・クリーナー」。後年は敬意と畏怖(いふ)を込めて「リトルクイーン」と呼ばれた。

 後年のインタビューで「若いころは打てなくて壁役に回ることが多かった」という話が本当ならば、リトルウォールとあだ名をつけられていてもおかしくはない。


――リトルクイーンがどうしてこんなところにいるんだ? 記憶が正しければ別のチームのマイナーにいたはずだが……。


 仲の頭の中で様々な疑念が膨らむ。だが、すぐに疑念は吹き飛んだ。


――倉本監督が死んでいる世界だ。ネリネが偶然ガウラと同じチームでもなんらおかしくはないのか……?


 思考を途切らせるのに充分な鋭い打球音が鼓膜に響いた。白球が高々と舞い上がり、バックスクリーンに突き刺さる。相手チームのバッターが逆転満塁ホームランを放ったのだ。歓喜の声はわずかにしか上がらず、怒りが頂点に達したファンたちが、スタンドから紙コップや食べかけのホットドッグやビールの空き瓶などがグラウンドに容赦なく投げ入れられる。

 監督はヘルメットを被り、小脇にヘルメットを抱え、ボールボーイや球団職員たちがゴミや物を拾っている横を通り抜け、交代を告げにマウンドへ走っていく。マウンドには独りうなだれたガウラしかいない。捕手や内野陣は知らんぷりを決め込んで、ガムを噛みながらそっぽを向いている。


――嫌われ具合がよっぽどだな。せめて女房のキャッチャーぐらい行ったらいいものの。


 監督が小脇に抱えていたヘルメットを被り、監督の後に次いでダグアウトへ帰るガウラ。さすがのファンたちもガウラ自身には硬い物を投げようとしなかった。


「強豪ブレーブスの恥晒し!」

「さっさと下に落ちやがれ!」

「ルーキーリーグからやり直せ!」


 しかし、ファンのからは情け容赦ない罵声が飛び、ジュースや食べ物や挙句の果てには生卵さえ投げつけられた。濡れに汚れたガウラはそのまま裏へと引っ込んだ。

 その様子の一部始終をネリネが、ブルペンの隅(すみ)で射殺せんばかりの表情で周囲を観察していた。おかげであまりにも言うことを聞かないからか、ブルペンキャッチャーを交代させられたようだ。

 内野陣も狼藉(ろうぜき)を働いたファンたちも絶対に許さない――そんな風に仲は読み取った。


――ひどい有様だった。こんな試合の後に本当に監督は取り合ってくれるかな。


 仲の興味は代わった投手には向かなかった。あくまでもガウラの獲得しか頭に入っていない。昔熱狂的なガウラのファンだった仲なら、コントロールが壊滅的でも、直す術(すべ)を明確に知っているし、過程やエピソードも知り得ている。一応、短期間でどうにかなりそうなものだった。もしもほかの選手であるなら、1からその選手を理解するところから始まる。何ヶ月、何年かかるかわからない七面倒くさいことをやっている暇などなかった。

 仲の使命はチームの保有権が切れているであろうガウラ・ジェファーソンの獲得。これにプラスしてネリネ・ハートネットも獲得したかった。


――二兎追う者は二兎を得たいところだ。問題は得られるかどうかと社長の説得だな……。


 先のことを考えると暗い気持ちになるが、獲得しなければ元の世界の2013年に帰れないに等しい。ある意味忌(い)まわしい史実をなぞる形になるが、四の五言ってられなかった。

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