11 仲はフロリダへ

 

 仲の行動は早かった。

 東京の成田国際空港からアメリカン航空のダラスで乗り継ぎ、タンパへ行く便に搭乗。約17時間のフライトを終えて空港の外へ出ると、早速電話で予約していたタクシーに滑り込んだ。

 顔をしかめざるをえなかった。容赦なく降り注ぐ日差しは夏そのもので、堪らず上着を脱いでネクタイを緩める。なおかつ明らかに湿度が高い。蒸しに蒸した空気に、吹き出た汗が体のあちこちでまとわりつく。今の時期の日本とはまるで真逆な気候に、早くも体が悲鳴を上げているようだ。


――あっちいなぁ……。さすが亜熱帯気候、フロリダ。まるで夏の日差しじゃねーか。華氏84度って……。


 空港内で移動する際に見た電光掲示板にはそう表示されていた。ちなみに華氏84度は日本で馴染みのある摂氏で言うと、約29度もあるのだった。

 冬のフロリダは比較的過ごしやすいと、離陸前に本屋で寄って買った雑誌には書いてあった。だがこうも書いてあった。


「冬の時期のフロリダは猫の目のような気候である」


 と。そして今日は比較的過ごしづらいほうに当たってしまったらしい。


――えらい蒸してやがんな。半年は体感することはないと思ったが、予想外もいいところだ。


 さらにワイシャツの袖もまくり上げる。ズボンの裾(すそ)もまくり上げたい衝動に駆られそうになったが、見栄えが悪くなってしまうことに気づいてやめた。ハンカチで顔に浮いた汗を拭きながら心の中で悪態をつく。


「お客さん、バーニーランドに行くのかい?」


 ラテン系の肉厚で人懐こい笑顔がこちらを向いていた。当然日本語ではなく、明るい調子の淀みのない流暢(りゅうちょう)な英語である。


「冗談はよしてくれ。アンタ、今日だけでいくら稼ぐ気だ。バーニーランドに行くんなら、オーランドの空港で降りてるよ」


 仲も流暢な英語で返す。金谷政という人間は英語が得意だった。仲正弥という人間も、履歴書に書いて恥ずかしくないほどの能力の持ち主だった。話すほうも書くほうも本場のアメリカ人には負けていない。元の世界の由加里と同じく、もとの人物の能力は引き継げるらしい。


「ハーッハッハッハ! こりゃ、騙せそうにないお客さんだ。オーケーオーケー、ちゃんとクリアウォーターに向かうよ」


 クリアウォーター――フロリダ州西海岸に位置する約10万人の都市である。1年を通して温暖ではあるが、先述した通り猫の目のように気温がガクッと落ちることもある。そこを本拠地とするマイナーリーグのAAA(トリプルエー)級チーム――クリアウォーター・ブレーブス――にお目当ての選手がいるはずだった。

 アクセルを踏み込み、エンジンを盛大に吹かす。今まで緩やかに流れていた景色は急激に加速していく。


――とんでもない奴だ。


 そう思いつつも観光客をカモにするタクシードライバーは、いつどこの世界にもいることを実感した。


「おいおい、安全運転で頼むよ」

「なあに、俺はいつでも安全運転だぜ! 平均時速75マイル、轢いた動物は数知れず!」

「75マイル……ってことは120キロくらいか……って、全然安全じゃねぇよ」

「人は轢いてないからセーフだ!」

「法を守ってないだろうからアウトだろ!」

「ハーッハッハッハ! アンタおもしろい客だね。気に入った、気に入ったぞ! 今日は出血ウルトラサービスだッ。100マイル(約160キロ)の壁を打ち破ってやるぞ――ッ!」


 運転手のアドレナリンは一気に全快となり、アクセルがさらにベタ踏みされる。ちょうどメモリアル・ハイウェイに差し掛かることもあってか、スピードメーターの針がどんどん右に振れていき、とうとう100を指した。針が右に振れ続ける中、車全体がエンジンの爆音を包まれる。車もせっかくの街並みも風景も何もかも置き去りだ。ちなみに、昭和の年代に製造された日本車と違ってキンコン、キンコンと速度警告音が聞こえてくることもない。なぜなら、その音を廃止するように働きかけたのはアメリカなのだから。

 運転手がカーラジオに合わせて陽気に歌いながら運転する後ろで、仲はシートベルトをして腕を組み、きつく目をつむった。


――どうか無事に目的地につきますように。


 本当にいるのかわからないが、今は神にも祈る気持ちだった。




 心臓に悪い地獄のドライブは運転手がかっ飛ばしたおかげか、予定よりも半分以下の時間で到着した。


「おっ、まだ試合が始まってすぐなんじゃねーの。お客さん、滑り込みセーフだね」

「ああ」


 仲は言葉少なに支払いを済ませて車外に出る。顔面蒼白で体が震えていた。そんな仲の横で運転手が、鼻歌を口ずさみながら荷物をテキパキと降ろす。


「んじゃ、また頼むよ」


 運転手は仲の背中を軽く2、3回叩き、車に乗り込む。エンジンを盛大に吹かし、颯爽(さっそう)とどこかへ爆走していった。


――馬鹿野郎、2度と乗るかよ。


 排気ガスにむせながら、リュックを背負ってトランクを持つ。最初に向かう先は、カーキ色の外壁に赤い屋根のクラブハウス内にある監督室である。日本にいるときから話を進め、アポを取っていたのだ。しかし飛行機の乗り継ぎも、タクシーでの移動もあまり時間がかからず済んだため、約束の時間まで暇を持て余してしまった。しかも試合となれば監督が指揮を執っているはずだから、監督室にいるはずもない。こうなると答えはひとつである。


――せっかくだし、試合を観に行くか。ホテルで休んでるのももったいないし、何よりガウラが投げているかもしれないしな。


 早速、道を渡って球場へ行き、チケットを買い求めた。適当な席に腰を下ろし、プレーよりも球場全体をゆっくり眺める。すると、ホーム側のダグアウトの近くのブルペンで肩を作っている選手がいた。ひときわ背の高い金髪のポニーテールと豊かな胸が、投球のたびに躍動している。


――ガウラだ! あそこで投げているってことは、登板の機会があるんだな。


 興奮が止まらない。当然である。金の卵がそこにはいるのだから。

 今すぐにでも連れて帰りたい気持ちを押し殺し、興奮を沈めるべく改めて全体を見渡す。スタンドは一層の屋根付きで、晴れ渡る空の陽光が芝を照らしていてまぶしいほどだ。バックスクリーンの木々の向こうには家々がちらほら見え、近くの空き地からは子どもたちの元気な声がこだまし、叙情(じょじょう)的な想いが呼び起こされる。


――さすがは住宅街のど真ん中にある球場だな。


 収容人数は約6900人であるが、客の入りはそれほどなく、理由はスコアボードの表記を見てすぐにわかった。


――なるほど、どうやら親善試合らしい。しかし、地元の高校の選抜とオフに対戦するとは、サービス精神が旺盛だな。


 試合は初回からブレーブス打線が繋がり、3点を先制していた。


――さすがはアメリカだな。男女混成も先駆けてやってるし、何より男女ともに体がデカい。それでいてパワーとスピードを兼ね備えているってんだから凄いわ。


 試合はテンポよく進み、5回の裏が終わった時点で3対ゼロでブレーブスがリードしていた。お目当てのガウラは、4回途中で一旦ダグアウトに下がっている。

 グラウンド整備と並行し、狂気とユーモアが混在した形容しがたいぬいぐるみのパフォーマンスが行われる。フェンスに近づくたびに子どもの本気の泣き声が響き、球場のBGMと混ざってある種カオスな空間と化している。


――いかにもアメリカらしいデザインだよなぁ。日本に輸入したパターンもあるけど、基本的に目がイッちゃってるもんな。そりゃ、子どもは泣くわ。


 しかし、周りの大人たちは微笑ましく見守っている。これが当たり前の光景なのだろう。そのとき、ピッチャーの交代を告げるアナウンスが鳴る。ガウラがマウンドへ一歩踏み出した瞬間、立ちどころにブーイングと歓声が同時に沸き起こった。もっとも、ブーイングのほうが歓声をかき消し気味であったが。

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