12 おふくろの味


 午後4時15分になろうとしたとき、テレビの画面がドラマから報道フロアのキャスターに切り替わった。


「番組の途中ですが、事件があった中継先に繋ぎます。現場の贄(にえ)さん」


 映像が切り替わる。カメラが火の手が上がっている建物を遠くに映していた。どうやら現場から離れた所にいるらしい。


「はい、現場の贄です。目撃者の話によると、今日の午後3時40分ごろ、西野瀬市のハイツ越水(こしみず)の一階から出火しました。空気が乾燥していたこともあり、瞬く間に火の手が広がった模様です!」


 ショートカットにそばかす顔の若い女子アナが早口気味で報告する。その後ろでは7、8人の警察官が、犯人らしきひとりの男を取り囲んでいた。


――やっぱりそうだ。


 坂戸は自分の記憶が正しかったことに安心した。テレビの画面に映る柄シャツを着た男は、まぎれもなく元の世界では連続放火魔として捕まる男だった。


「犯人は徒歩で逃走し、住宅街をのらりくらりと逃げ回っていました! しかし、駆けつけた警察から逃げられるわけもなく、行き止まりまで追い詰められてしまいました!」

「抵抗しても無駄だ。ナイフを捨てて、ひざまずきなさい」


 警察官の注意勧告が飛ぶ。じりじりと詰め寄って重圧をかけていく。


「クソッ」


 観念した犯人がナイフを警察官のほうへ転がし、ひざまずいて両手を頭の後ろで組んだ。瞬間、一斉に警察官たちが取り付き、そのうちのひとりが手錠をかけた。


「まるで生放送のドラマみたいねぇー!」


 良枝は年甲斐もなくはしゃいでいる。由加里は興奮を押し隠してお茶をすすった。


「そうだなー、よかったよかった」

「改めましてよろしくお願いします」


 坂戸が頭を下げる。良枝が心得たとばかりに微笑んだ。


「はいはい。これじゃ、全焼間違いなしですからね。どうぞ、いつまでもいてくださいな」

「ありがとうございます」

「さてと、お茶請け代わりといっちゃ変ですけど、のっぺでも食べられますか?」


 坂戸は大好物がありつける喜びに打ち震えた。


「はい、食べたいです!」


 のっぺとはのっぺい汁とも言われ、主に里芋、ニンジン、シイタケ、コンニャク、かまぼこ、鮭、銀杏などが入ったしょうゆ味のダシで煮た煮物である。全国では汁物とされているが、なぜか新後県では煮物とされている。


「隙あらばのっぺばっかり……いい加減にしてほしいな」


 うんざりした顔の由加里。対して坂戸は心から嬉しそうな表情だ。


「この味がたまらなく懐かしくなるときが来るのよ」

「え? まさか……」


 何かを察した由加里と、良枝がお盆にのっぺと漬物を乗せて戻ってきたのは同時だった。


「はーい、お好みでいくらをのせて召し上がれ」


 目の前に置かれたのっぺに、坂戸は涙が出るほど嬉しかった。ちょうど由加里ぐらいの年ごろまでは悪態をついていたものだ。だが、母が死に、もう二度と食べられる機会ないと思っていた。


「いただきます」


 いくらをスプーン一杯分のせてひと口食べた。ゆっくりじっくり噛みしめる。優しいおふくろの味が口内を祝福する。


「ああ……最高です」


 うっとりしている坂戸を見て、良枝は素直に嬉しかった。


「あら、ありがとうございます。でも、監督さんは毎日いいものを食べてるんじゃないですか?」

「全然そんなことないですよ。最近は面倒くさくてコンビニやスーパーを利用するばかりで」

「あらあら、よくないわね。これから毎日のごはんは、この私に任せてくださいよ。料理のレパートリーと味には同年代の主婦には負けませんよ!」

「おお、頼もしいです」


 和気あいあいとしているふたりのそばでは、由加里が何か言いたげにしていた。しかし、おばさん同士の口はよく回るものだ。しょうがなく寝転んで天井をぼうっと眺めていると、眠気が不意にやってきた。ふたりの会話に口を挟む余地もなさそうである。目を閉じて眠気に身をゆだねた。

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