11 居候監督


 坂戸は古びた木造二階建ての一軒家の前に立っていた。

 表札には佐渡と書いてある。元の世界では生家(せいけ)でもあり、築40年の長年住んでいた家だ。

 元の世界では、2008年に建て替えていた。足が悪くなってきた母親のために、全面バリアフリーにしたのだった。今はまだ建て替える前でだいぶガタがきている。外壁も長年の雨風に汚れと傷があちこちにある。そんな古びた我が家を懐かしく眺めていると、遠くのほうから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。




「どこか火事なのかしら?」


 佐渡由加里の母・良枝(よしえ)が、台所で鍋をお玉でかき回しながら娘に聞いた。


「バブルが弾けて物騒な世の中だからねー。借金をたくさん作った奴がヤケクソになって、火でも点(つ)けたんじゃないの」


 由加里がぶっきらぼうに答えた。台所と繋がる畳の居間に、こたつに腰まで突っ込み、寝転んでテレビを観ている。

 ピンポーン♪

 インターホンが鳴る音がした。


「はーい」


 良枝は反射的に返事をしたものの、手が離せるような状況ではない。仕方なく、由加里がノロノロと立ち上がり、玄関へ行ってみる。そこには両手と背中が荷物で塞がった坂戸が立っていた。が、今はどう見ても老いた未来の自分にしか見えない。警戒するより何よりもまず言葉が出ていた。


「うわっ、どうしたんですか? その荷物」


 坂戸は嘘をついた。考えるでもなく、自然について出てきたのだ。


「家で着替えてたら、何かが燃えてる臭いがしてね。どうやら、下の階の住人がタバコの不始末で出かけたみたい。それで、必要な荷物を詰め込んで逃げてきたのよ」

「消防に電話する暇もなかったんですね」

「うん、なかったのよ。誰かが呼んだんじゃないかな。一応アパートの人たちには呼びかけて逃げてきたんだけど……」

「無事だといいですね」

「だといいわね。それとね」


 急に坂戸がウィンクして見せる。


「気持ち悪い。……あっ、すいません!」


「そうよね。正しい反応だわ。私も私にされたら、気持ち悪いって言うに違いないもの」


 由加里は思わず目を瞠(みは)った。少しの間があって何か言おうとしたとき、台所の茶色い珠のれんの向こうから人が現れた。


「あらあら、坂戸さんじゃない! どうしたの? そんなたくさん荷物を背負って」

「母さん……」


 聞き取れないような小声だったが、確かに坂戸は良枝に向かって言った。由加里にはそう見えた。


――やっぱり、この人は歳を取った私……?


 由加里の胸中に複雑な思いが渦巻いた。未来の自分だと確信が持てた以上、接し方がわからない。昔の映画の知識だが下手なことをすれば、自分のせいで宇宙が崩壊してしまうなんてこともありえるわけである。


「あらあら、監督とあろうお人が家賃が払えなくて追い出されたの?」

「住んでいたアパートが焼けちゃったんですよ」

「んまあ、それは大変ね。もしかして、サイレンが鳴ってたのって坂戸さんの所だったの?」

「どうなんでしょう。地区が違いますからね。まあ、お恥ずかしながらこういう事情なので、一番近い由加里さんのお宅に一時的に避難させてもらえればなと思って来ました」


 坂戸――老いた由加里――と若い由加里の母親である良枝はどう見えているのか。近所のおばさんといつもしている井戸端会議と一緒で、気さくに接している。坂戸も気持ちがほぐれたのか、悲しげな顔から笑顔になっていた。


「いいわよいいわよ。いつも娘がお世話になってる監督さんの危機だもの。ちょうど、二階のひと部屋が空いてるし、好きに使ってくださいな」

「ありがとうございます。ご厚意に感謝します」

「そんな~、硬い硬い。ほら、こんなところで立ち話もなんですから、上がってお茶でも飲んでください」


 良枝が廊下を鳴らして珠のれんをくぐった。

 由加里は詰め寄って声を潜めた。


「なんなん? わけがわからん。アンタがいる未来ではタイムマシンが開発されたの?」

「母さんのいないところで話す。母さんには、私が見えてないみたいだから」

「見えてない? なんなんそれ?」


 トキネからもらった写真を見せる。


「由加里以外の人たちは、このおばさんが坂戸悠里に見えるみたい。でもね過去の――今の由加里には、未来から来た佐渡由加里の顔が坂戸悠里の顔とイコールになっている」


 本来ならトキネや仲からも本来の姿で見えるのだが、坂戸はそれを伏せた。これ以上混乱を招かないようにしているらしい。


「はあ? つまり……何が言いたいのっ?」


 由加里の怒りと混乱の混ざった表情である。


「坂戸さーん、お茶が入りましたよー!」


 自分の性格を熟知している坂戸は由加里をなだめた。


「はーい、今行きまーす! ……今はとりあえず、お茶を飲もう。母さんがいるところでは話さないほうがいいと思うから」


 由加里は渋々うなずき、


「重っ、いったい何が入ってんだか」


 悪態をつきつつ、置かれていたボストンバッグとスーツケースを持って踵を返した。


「悪いわね。機密資料よ♡」

「ハァ? 機密資料ってなんなん?」


 その後を残りの荷物を持って坂戸がついていった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る