13 一致しない記憶


「長いっ!」

「ごめん」

「ったく、私もおばさんになったら、話が長くなっちまうのかなー? あーあ、やだねったらやだね」


 寝起きの由加里は非常に機嫌が悪い。起きがけに坂戸の重い荷物の一部を2階に空室まで運ばされ、不機嫌メーターが限界を超えそうだった。

 そんな若い自分を知っている坂戸は、先ほどからひたすら平身(へいしん)低頭(ていとう)だった

 8畳ほどの部屋である。机とイスと本棚とテレビがあり、押入れもあった。客間なのだがあまり使っていないらしく、少しホコリっぽい。何分か滞在しただけで鼻がむずむずしてきた。

 由加里が窓を開け放ち、押入れの中から座布団をふたつ取り出して敷いた。坂戸は礼を言いつつその上に座った。


「どこから話せばいいかしらね」

「母さんのことから話して」


 由加里は真剣な表情を近づけてくる。


「アンタのいた未来では、母さんはその……死んだんでしょ?」


 言い終わると途端に、眉が八の字になる。坂戸はうなずくしかなかった。


「ちょうど20年後。大腸ガンでね。発見が少し早ければよかったんだけど、気づいたときには取り返しのつかないところまで進行してた。今は太めの体型だけど、亡くなる間際は見る影もなく痩(や)せちゃってね……」

「そっか……今が45だから、65か……まだ少し若いなぁ」


 由加里は涙こそ少し浮かべたものの、悲しみの度合いが薄いようだ。どうやら、20年も先だということにひとまず安心したらしい。


「由加里もつらかったでしょ。昔からの恩師の倉本監督が亡くなって」

「昔からの恩師? 高校を卒業してからチームに入ったし、実質4年ほどの付き合いなんだけど」

「え?」


 当惑する坂戸を尻目に、由加里は続ける。


「そりゃ、悲しいよ。企業チームを撃破するほどの采配をする人だしさ。厳しい中にも優しさもあったし。ただその……バスの中のアンタと違って、心をえぐられるようなショックまでは受けなかったよ。正直言って」


 言葉を切って坂戸の反応をうかがう。だが、口を開く様子がない。取り繕(つくろ)うように由加里は聞いた。


「昔からの付き合いなんでしょ? どれぐらい昔?」

「中学時代のリトルシニアからよ」

「じゃあ、アンタにとっちゃ30年近くの付き合いの人だったのか。親みたいな人じゃん。父さんを早くに亡くしたうちにとっちゃ」


 父親の佐渡博康(ひろやす)は、1983年に由加里が中学校に入ってすぐに事故で死んでいた。享年38歳。まだまだ働き盛りの年代である。


「そうよ。だから、混乱してるのよ……」


 天井に顔を向け、息を吐く。一瞬の間隙(かんげき)を突いたものか、頭の中にある質問が差し込まれてきて、背筋が急に寒くなった。聞かないほうがよさそうな質問だが、聞かなきゃならない質問だった。


「ねえ、仲――じゃなかった金谷政って知ってる? 中学の同級生でリトルシニアでもいっしょだった」


 知っていてほしい――坂戸は強く願う。だが、由加里は顔をしかめた。


「誰それ?」


 鈍器で後頭部を殴られたようなショックが襲う。体が小刻みに震えだす。


「冗談、よね?」


 由加里は即座に否定の言葉を出そうとしたが、言えば発狂でもしかねなそうな雰囲気である。静かに首を横に振った。


「記憶が……一致しない?」


 坂戸の中にある何かが音を立てて崩れ去っていく。衝撃が強すぎて涙も流れやしない。


「アルバム持ってきて」

「卒業アルバム? いつの?」

「あるのを全部!」


 ただならぬ気配に、由加里は急いで自室に戻ってアルバムを引っ張ってきた。


「アイツとはずっといっしょのクラスだったのよ。だから、知らないなんてことはないはずよ!」


 アルバムをめくってクラスメイトの顔と名前を見ていく。だが、金谷政という名前の生徒は存在すらしなかった。

 なんて声をかけていいのかわからず、坂戸の行動を見守ることしかできない由加里。


「嘘でしょ……?」


 沈黙が流れる。坂戸の両手が由加里の肩を掴む。反射的に振りほどこうとしたが、振りほどけない。力があまりにもこもりすぎていたからだ。やむなく、なすがままにさせてやることにした。


「小さいころからケンカばっかで、憎まれ口を叩き合って、それでもお互い年齢とともにバッテリーとしても人間としても成長して、好きになって恋人としての関係になったけど一週間で終わって、でもそのあとは後腐れもなくいっしょにチームを盛り立てて、野球のことに対しては一心同体といってもよかったアイツよ!」


 興奮で息を切らす坂戸。唾がかかった顔を拭こうともせず、由加里は申し訳なさそうに声を絞った。


「……ごめん、なんにもわからないんだ」

「なんてひどいことをするのよ……神様って奴は!」


 倉本元監督と金谷政の思い出や記憶を共有できないことが猛烈(もうれつ)に悲しかった。しかし、嘆いて見せても存在の定かじゃないものに届いているのかすら不明である。

 坂戸の目から涙が流れ、目を赤くしていく。嗚咽(おえつ)はしばらく続いた。


「あのな、私よ。今の世界は若い私がいる。母さんだっている。それだけでも充分と思えないのか」


 坂戸はハッとして由加里を穴が開くほど見つめた。確かに由加里の言う通りだった。元の世界で母の良枝は死んでいるのだ。この世界は若いころの自分だっている。悪いことばかりじゃない。ほかにもいいことがあるはずだ。いちいちこの世界のことを嘆いていても何も始まらない。

 都合の悪いことに目を向け、嘆いているだけでは人間は進歩しない。


「『常に前進あるのみ』。知ってるだろ、この言葉を。いつも練習前に倉本監督が言ってた」

「うん……」

「私が言えたことじゃないけど、今はこの世界を受け入れるしかないんじゃないのか? その様子じゃどうにもならなそうだしさ」


 由加里は坂戸の背中を乱暴にたたいた。


「つーかさ、いつまでもメソメソメソメソしてんじゃないよ! 歳取って泣き虫にもなったんかい。なっさけねーな! おしゃべりだ泣き虫だって……はあ、ますます歳を取りたくなくなったわ」


 胸を張り豪語する。


「最強のエースである私がいるんだ。なんの文句がある。どんな相手だろうと、私がぶっ倒してやる! 任せとけって!!」


 新後アイリスが全国大会まで出れたのは倉本の采配もあるが、何よりも絶対的なエースの由加里の活躍があったからだ。連投につぐ連投に耐え、これまで腕のどこも故障や手術をしたことのない。まさに鉄腕である。その鉄腕が自信に満ちたいいツラ構えをしている。坂戸の涙も止まり、頼もし気な若い自分を誇りに思った。


「……とは言ったものの、敵なんているのか?」

「東京にいるよ。厄介を極めたような企業チームが」

「どこだろう……もしや、拝藤組じゃないだろうね」

「正解よ。アンタはまだ知らないでしょうけど、あそこの社長はとことん執念深いジジイでね――」


 坂戸は自分が辿った歴史を話し始めた。

 元の世界の1993年秋の「社会人野球日本選手権大会」後に、新後アイリスが拝藤組の引き抜き工作でボロボロにされたこと。その心労で倉本が病気になり、チームを去ってしまうこと。代わりに監督になった人物が心労で自殺してしまい、チームがバラバラになってしまうこと……。

 とにかく、洗いざらい話した。タイムパラドックスもクソも関係なかった。ただ、過去の自分にはすべてを知ってほしかったのだ。拝藤組の卑劣(ひれつ)さを、社会的強者である驕り高ぶった行動を。


「許せない奴。汚ねぇクソッタレだな」


 話を聞き終えた由加里の怒りが、今にも爆発しそうだった。反面、坂戸が正直に話してくれたことが嬉しかった。


「でも、よく話してくれた。感謝するよ」

「拝藤組の汚い工作からチームを守るためには、由加里の力が必要不可欠だからね。アンタの正義感に、私の知恵と経験が加われば百人力よ」


 由加里は苦笑した。


「自分で言うかな」

「おかしいかしら?」


 ふたりは笑い合った。ひとしきり笑い、坂戸は顔を引き締めて断言した。


「私はね、大事なチームを壊そうとする奴は何人(なんぴと)たりとも許せない」


 坂戸は由加里に手を差し出した。


「よろしく頼むわね」

「こちらこそ。拝藤組のクソッタレを改めてぶっ倒そう!」


 ガッチリ握り返す由加里。20代前半の若々しい力を、今でこそこれほど頼もしく思ったことはなかった。

 そして、坂戸の肚(はら)は決まったのだ。

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