08 この世界のこと 前編


 結局、場所は佐渡が決め、新後駅構内の喫茶店にトキネを誘った。

 カウンター席にそろって座ろうとしたのだが、トキネが迷うことなく奥側のテーブル席に着いてしまった。

 やむなく佐渡はトキネの反対側に座り、メニューを手に取ったところでトキネの手が上がる。


「すみません、とりあえずこれとこれとこれをください」


 メニューのパンケーキとビッグチョコレートパフェとクリームソーダを順に指さす。ウェイトレスが呆気にとられながら、注文票に品名を書きつけていく。


「パンケーキは三段重ねでクリームソーダはジョッキで作ってもらえます?」

「え? 調理担当の者に伺ってみます」

「あ、私はウィンナーコーヒーで」


 あわてて佐渡も注文する。品名を書きつつ、ウェイトレスが訝しげにトキネを一瞥して去っていく。


「あなたねぇ……髪と服装だけでも目立ってんのに、下手したら通報されるわよ」


 トキネは一枚の写真をテーブルの上に置いた。セーラー服を来た女子高生らしきものだ。トキネと同じく前髪が長く、毛先が鼻梁(びりょう)のあたりまで伸びていた。


「この女子高生は誰なの?」

「この世界の人から見た私の姿です」

「意味がわからないわ」


 佐渡は額に手をあててうつむいた。


「ちなみに坂戸さんはこう見えています」


 自分の写真の隣に写真を置いた。佐渡には似ても似つかぬ笑顔の中年女性の写真だ。女性らしさを保つためだけに伸ばしたであろう肩先まで伸びた黒髪。ツヤやコシなんてものはまるでない。化粧っ気が薄く、対策も怠ったせいなのか紫外線に好き放題やられて焼けた肌。目元や口元のシワを隠す気もあまりないらしく、笑みを見せれば表面にくっきり残っている。


「……はは、冗談でしょ? こんな下手したら六十路(アラカン)に突入しそうな人なんて別人でしょ?」


 いくらなんでもひどすぎた。佐渡の乾いた笑いが聞こえているのかいないのか、トキネは厨房のほうに首を伸ばしている。


「ちょっと」


 テーブルを軽くたたいた。


「いいえ、事実です。今年で42歳になる人です。しかも代えがたいものです」

「さっきあなた『この世界の人』って言ったわよね? それじゃ、政やあなたやほかにいるであろう未来人からはどう見えているわけ?」


 トキネが答えようとしたが、佐渡の注文の品が届き、一度話を中断した。

 佐渡がモヤモヤする気持ちを抑え、コーヒーの中のクリームをスプーンで混ぜていると、トキネが注文したパンケーキが届いた。持ってきたウェイトレスの態度はすっかり懐疑的である。


「すみません、食べながら話しますね」

「いいわよ。食べ終わってから話しなさい」

「食べながらのほうが私は話しやすいので」

「行儀が悪いのね」


 佐渡は嫌味でもなんでもなく思ったことが口にした。


「すみません、これが私のやり方なのです」


 トキネがパンケーキをナイフで上から4等分にする。そこへ、ビッグチョコレートパフェとジョッキに入ったクリームソーダがやってきた。


「ちょうどよかった。いただきます」

「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」


 ウェイトレスがおずおずと聞いてきた。


「ひとまずいいです」

「ひとまず? ……そうですか」


 ウェイトレスはやはり懐疑的な態度を崩さず厨房の中へ消えた。


「さあ、邪魔者はいなくなりましたね」


 トキネがパンケーキを頬張り、何回も噛まないうちに飲み込んでから言った。


「大丈夫なの?」

「私の胃袋はマリアナ海溝より深いですから」


 大真面目な顔で、ジョッキに入ったクリームソーダでのどを鳴らす。まるで仕事帰りに居酒屋に寄ったサラリーマンのようだ。


「さて、私や仲さんから見た坂戸さんの顔ですね。こちらです」


 さらにもう一枚写真を並べた。佐渡の目が驚愕で見開く。


「元の世界の私じゃないの!」

「どうやら私は例外として、元の世界に坂戸さんに会っていた人は、この写真のように見えるようです」

「じゃあ、私やトキネさん以外から見た政の顔は、別人に見えるってことなのね?」

「はい」


 トキネはパンケーキの皿をどけて、あらかた融けてしまったビッグチョコレートパフェを手元に引き寄せる。野球のボールほどのチョコアイスにフォークを突き刺し、大口を開けて口内に落とした。


「どうしてなの?」

「私の憶測ですが、この世界の人が混乱しないようにでしょうね。それと、会う人会う人もいちいち説明してならないじゃないですか」

「この世界の私――由加里はどう見えるの? 私のことが未来から来た私だってわかったみたいだけど」

「接触されたんですね。ええ、このいかにも老け顔のおばさんではなく、2013年のアンチエイジングに気を遣った佐渡さんです」

「だからあのとき、あんな反応をしたのね……」

「何かありました?」

「ううん、べつに何もないのよ」


 佐渡はコーヒーを口にした。あえて今詳細を話すことないと思った。


「ほかに未来人はいるの?」

「ほかにいないと思いますが……正直に言うとわかりません。確認してみます。なぜそんなことを聞くんですか?」


 佐渡は言ってもいいのか逡巡したが、結局は仲と会ったことを説明した。


「なるほど。だから聞いたんですね。未来人を特定するにしても、うまい具合にこの世界と馴染まれてるとわかりづらいものなのですよ」


 なんの感嘆もなく、トキネは手と口を動かし続ける。


「そうなの。そちらの事情がよくわからないし、仕方ないわね」


 トキネがパフェの容器を持ち上げ、融けた中身を流し込む。クリームソーダがまだ半分残っていたが気にせずウェイトレスを呼び、フルーツポンチ3人前とフレンチトースト2人前を注文した。


「まだ食べるの?」

「話が続く限り、私は食べ続けます。さもないと餓死寸前までの状態になってしまいますので」


 どこまでも大真面目に語るトキネに、佐渡は不信感を募らせた。


「失礼を承知で聞くけど、あなた本当に人間なの?」

「人間ではありませんね。死の概念がない、人間と天使と悪魔を混ぜた存在――半端人(はんぱにん)と呼ばれています。私が言えることといえば、未来からこの世界に来た人間の見守り人という役割を与えられたことだけです」

「見守り人? ……何をするの」

「ただ、見守るだけです。極端な話ですが、『ああ、生きてるな』、『ああ、ここで死んでしまうのか』って感じで物事の経過を観て、記録してるだけです」

「極端かつ淡泊過ぎやしない?」

「お待たせしました。ナタデココ入りフルーツポンチとフレンチトーストです」


 ドン引きして厨房へ帰っていくウェイトレスを尻目に、トキネの声がやや弾んだ。


「やっとこの世界について説明できます」

「どういうこと?」


 佐渡の言葉を無視してフレンチトーストを一気にかき込み、残ったクリームソーダで胃に落とし込んだ。


「それでは説明します」


 この世界の出来事は、元いた世界に反映されることはないとのこと。この世界はこの世界の出来事でしかなく、ゲームみたいなもの。ただ、感じられる五感は現実そのものであり、死ねばそこで終わりであること。また、佐渡と金谷政の場合は、未来の記憶を持ってスタートするわけだから、有利な存在ではあること。しかし、元いた世界と違うことが多々あるため、記憶が通用しないこともあること。


「例えば、倉本さんが早く亡くなってしまうこともそのひとつです」


 そして、ふたりが行動することによって、これから起こることも大なり小なり反映されるということ。まったく想像のつかない出来事が起きる可能性だって大いにあること。


「待って待って、いきなり情報量が多すぎて、頭が痛くなってきた」


 佐渡は眉間を強く指で押さえた。


「つまり私たちは、ゲームの中のバグみたいな存在だって言うの?」

「そうですね。少なくとも、なんでも思い通りになるようなチートキャラではありませんから、その表現が正しいかと思います」

「ちなみに、元の2013年に帰ることはできるの?」

「できます。できますが、坂戸さんの場合は――ムリです」

「どういうことなのよ?」

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