07 「見守り人」

 

 薄っぺらいカーテンの隙間から差し込んでくる陽の光が、佐渡の顔面を直撃している。眩しさに耐えかねて浅い眠りから目を覚ました佐渡は、見慣れぬ部屋の光景に一瞬混乱したが、頬と頭を叩いて現状を認識させた。

 昨日はバスの乗降場でつぼみとなつめと出会ったあと、モヤモヤする気持ちを殺し、近くの百貨店の婦人服売り場で必要なものを買い込んだ。大好物の鉄板焼きをたらふく食べ、コンビニでアイスをいくつか買い、アパートで一気に平らげた。精神的にやられていた佐渡は、締めに酒を飲んで何もかも忘れて泥のように眠りたかった。しかし、元の世界のことが頭をチラついて飲めなかった。


――この世界に飛ばされたのも、元の世界で記憶が飛ぶほど飲んだことも関係している……?


 もし、暴飲すれば今度こそ誰も知り合いがいない世界に飛ばされてしまうんじゃないか? 今の精神状態で頼る人間がいない世界に飛ばされれば、間違いなく精神崩壊を起こしてしまうだろう。そんなありえもするかもどうかわからない極論が、脳内で警鐘を鳴らし続けるほどに、精神は不安定な状態に陥っていた。

 孤独は人を破壊する。

 これは倉本の言葉ではないが、どこかの精神科医が言っていた言葉が今、身にしみて理解できた。


――今何時よ……?


 頭を掻きながらベッドを降りようとする。散らばった紙を踏みつけた途端、佐渡は後ろに飛び跳ねた。


――あっぶなあ……命の次に大事な資料たちを無残にも引き裂いてしまうところだった。


 ベッドの上から資料をかき集め、ベッドの端に仮置きする。

 不安を頭の隅に追いやりたくて押入れをあさっていたら、押入れの奥の引き出しケースから大量にメモ紙やらノートなどが出てきたのだ。直感的に有益な情報があると判断した佐渡は、眠気も不安感もぶっ飛ばし、貪るように読みあさった。おかげで今の新後アイリスのチーム状態が把握できた。そして、いつの間にか目と頭が疲れて眠ってしまったのだ。

 不意に乾いたノックの音が部屋にこだまする。佐渡の背中に冷たいものが走った。


――誰……?


 佐渡は物音を立てないように中腰の姿勢でドアへ近づいた。覗き穴からは訪問者が何かで塞いでいるのか何も見えない。どうしたものかと逡巡(しゅんじゅん)していると、再度ドアをノックされた。


――まさか借金取りとか黒い関係じゃないでしょうね。


 丸いドアノブについた鍵を解錠(かいじょう)する手が未知の恐怖と不安で震える。この薄っぺらい木製のドアを隔てた向こうに、どんな人間がいるかなんて想像できやしない。


――ええい、ままよ!


 ドアを引き、訪問者の姿が露わになる。ロウのように白い顔、黒のパンツスーツに白髪のロングヘアー。そしてなぜか白い手袋をつけている。昨日駅で見かけた死神のような女だった。

 佐渡は驚きと恐怖で尻もちをついた。


「ひっ。しし、しし死神!?」


 佐渡の素(す)っ頓狂(とんきょう)な声に動じる様子もなく、女は静かに何者であるか語った。


「……死神じゃありません。私は『見守り人』です」

「……はい?」

 

 意味のわからない服装に言動。やる気のない音読のような棒読みに近い物の言い方。これは絶対宗教かセミナー絡みの危険人物だと察知した佐渡は、


「あのね、私はまだ見守りを頼むほど介護されるような歳でもないの」


 素っ気ない口調でドアを閉めようとするが、女はすかさず足をドアに挟めた。


「……知っています。ただ、私と佐渡さんの見守りという言葉の捉え方が違うだけです」

「なんなのそれ」


 佐渡が眉をひそめた瞬間だった。女の腹が聞いたこともないような音量で盛大に鳴った。後を引く長さで10秒以上は鳴り続けただろうか。


「……胃の中にウシガエルでも飼ってるの?」

「……いえ、純粋にお腹が減った音です……」


 女はうつむいて腹をさすりながらやや恥ずかしげに言った。


「若い人間がごはん食べなかったらダメよ。15分ぐらい待てる? ちょっぱやで準備してくるから」


 さすがに腹を空かせている若者(?)を放ってはおけなかった。


「……わかりました。お待ちします」


 薄く化粧をし、セーターとジーパンを組み合わせ、コートをまとった佐渡が再びドアを開けたのは、宣言通り15分後のことだった。


「お待たせ。何か食べたい物があったら言っていいわよ」

「えっ、それじゃ」


 女の声音が明るく揺れた。だが、表情はひとつも変わらなかったが。先を歩く佐渡は階段を降りながら肩越しににらんだ。


「ただし、そこで私たちはまた他人になる。金輪際(こんりんざい)近寄らないでもらいたいわ」


 冷たく突き放された女は黙り込んだ。うつむき加減でどんな反応を受けたのかはわからないが、正の感情ではないだろう。

 やがてふたりは住宅街を抜けて国道に出た。佐渡は手を上げてタクシーを停め、ふたりは後部座席に身を滑らせた。佐渡が行き先を告げてタクシーが発進する。女は鼻梁(びりょう)までつかんばかりの白いカーテンのような前髪をかき分け、黒曜石(こくようせき)にも似た瞳を初めて見せてきた。


――色は綺麗なのに、死んだ魚のように生気がない目ね。

「近寄らないでというのはムリな話です。これは必然の出来事なのですから」

「必然の出来事ですって?」


 思わず聞き返して佐渡はほぞを噛んだ。興味を持てば関わり合いになってしまうのに。しかし、女はかき分けた前髪を戻して背もたれに身を預けた。


「どうしたのよ」

「すみません、お腹が減りすぎて話す気力がほぼゼロなんです……」


 佐渡は呆れ返ってため息を吐くと、車外の風景に目をやった。

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