03 望んでいない世界
赤山駅前のバス停で降り、少し坂を登って徒歩10分ほどの所に倉本の自宅はある。佐渡にとって何十年も通い慣れた道だ。そして、つい最近通った道でもある。
ふたりで連れ立って歩く。だが、塞ぎ込んでしまった佐渡のひどく足取りが重い。自然と歩みが遅くなってしまう。
最初はペースを合わせていた女だったが、それでもだんだん遅れていく佐渡にイライラしてきた。
50メートルほど引き離した所できびすを返して戻った。
「子どもじゃないんだから……。ちょっと掴みますよ」
うつろな表情の佐渡の腰あたりを掴み、腕を自分の肩に回す。ちらりと顔色をうかがえば、血の気が引いていて真っ青になっていた。
「間に合わなくなりますからね。少し早足になりますよ」
お互い律儀にヒールを履いているせいか、走ることはできない。女は苦戦を強いられると思ったが、佐渡の体は思いのほかちゃんと動くらしく、あまり苦労することなく倉本宅に到着した。
「ったく、ちゃんと歩けるならさっさと歩いてくださいよ」
佐渡は息切れを起こして手を膝に置いてぜえぜえ喘いでいる。女の小声の抗議など頭に残るわけがない。
玄関でのあいさつもそこそこに、意識が現実に戻ってきた佐渡は仏間へ急いだ。心臓の速すぎる鼓動と頭を支配されるような閉塞感で、遺族の出迎える声などは右から左だ。
仏間に入ってすぐ目に入った遺影に、佐渡は愕然とした。
「そ、そんな……」
祭壇に飾られた遺影は、しわや白髪が少なく健康そのものの倉本が写っていた。元の世界と同じく屈託のない笑みはまるっきりいっしょである。
佐渡は膝から崩れ落ちた。その場にぽっかり穴が開いて、暗闇の世界に落ちていくような気がした。
「佐渡。ちょっとこっちに来い」
男の声がしたと思うと、引っ張り上げられて立たされた。何気なく視線を横にやる。またも驚いた。見知った顔であるからだ。
「政、アンタ何してんの?」
「しっ」
金谷(かなや)政(まさ)は人差し指を口の前に立てた。動きがそわそわしている。明らかに焦っている様子だ。
「手短な説明をするから、ちょっと外に出るぞ」
「え? ちょっと……」
政に引っ張られ、廊下に隣接する庭に出た。周囲には誰もおらず、ふたりで話すにはちょうどいい場所だった。
「どこから説明したらいいものか……」
タバコに火を点(つ)け、難しい顔をしながら煙を吐き出す。勧められてパッケージをまじまじと見る。20代のころ一時期吸っていたグレイトスターだ。懐かしさと頭をスッキリさせたかった佐渡は、躊躇いもなく1本拝借し、味わうようにゆっくり紫煙(しえん)を吐き出した。
「もしかしてこの時代って――過去よね? それも結構昔の」
「ああ。さっきコンビニで新聞を買ったんだが……」
胸の内ポケットから新聞を取り出して広げてみせた。日付は1993年11月27日と印字されている。
「な? 1993年だろ。他紙もそうだったし、近くの店に入ったカレンダーも1993年の11月だった」
「それじゃ、やっぱり……壮大なドッキリってわけじゃないわけね」
「そういうことになる。なあ、名前が変わっていなかったか? 自分の名前とは違う名前で呼ばれただろ?」
「ええ、私は過去の自分になぜか坂戸監督と呼ばれたわ」
「俺も仲(なか)さんと倉本さんの奥さんに呼ばれたし、財布の中に入っていた免許証は金谷政ではじゃなく、仲正弥(まさや)だった」
ふたりの会話が途切れた。複雑な色の混ざった視線を交わす。お互いどうしたらいいのかわからない状況だ。何も答えが出ないまま時間が経った。
「あのー、坂戸監督に仲副部長。そろそろお坊さんが到着するらしいです。仏間に戻って来てくださいって奥さんが」
佐渡を引っ張って連れてきた女が呼びかけてきた。お互い3本目のタバコを慌てて携帯灰皿に押しつける。金谷――仲が確認のため質問した。
「オッケー佐渡由加里22歳ちゃん。今行くよ」
「なんでフルネームで呼ぶんですか。しかもなんで歳まで言いますかね。何年の付き合いだと思ってるんです」
「アハハハ、冗談だよ冗談」
若い佐渡――由加里が首を傾げて去っていく。小刻みに震えてうつむいている佐渡に仲は言った。
「これで確定だな。俺たちは過去にタイムスリップしてしまったようだ。しかも倉本さんが20年も早く死ぬ過去に」
無言の佐渡の顔から色が失われていく。
「確かに、この世界はお前が望んだ過去じゃない。だが、立ち止まってても何も起こらないんじゃないか」
門から黒塗りの高級車が滑り込んでくる。どうやら住職が到着したようだ。
「続きは終わってからふたりで話そう」
仲は佐渡の腕を強引に引っ張った。
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