02 もうひとりの自分
行き先を告げる機械音声が佐渡由加里の頭に響いてきた。最初は遠くて、だんだんと近づいてくるにつれて意識がゆっくり覚醒していく。
やけに重たいまぶたを持ち上げる。いくつもの座席が見えてくる。予想外の光景だった。向こう側に料金表、精算機があり、右手には運転手がいた。
――死んでない……? 私は路線バスに乗っているのか? というより、隣にいる人間は誰だろう?
佐渡と見知らぬ女が、一番後ろの座席の真ん中に隣り合って座っていた。女は窓から流れる景色を見ていて顔はわからない。意識を失う前の佐渡と同じブラックフォーマルの喪服姿である。
声をかけようか迷っていたとき、佐渡の目覚めた気配に気がついたらしく、首をこちらに向けてきた。
「坂戸(さかど)監督、目が覚めまし――」
目が合った途端に女は絶句し、佐渡もあっと言ったきり目を白黒させた。
クールな雰囲気の黒髪と耳を出したショート。襟足も短く刈り上げている。右目の下に泣きぼくろがあって猫目気味な双眸(そうぼう)は、男受けというよりも同性受けしそうな顔立ちである。
一方の佐渡は茶髪のショートボブ。目の前の若い女とは違い、目元や口元にはしわがやや目立ってきた。だが、それ以外はまるっきりいっしょなのである。
「私がもうひとりいる……?」
ふたりの声が重なる。もちろん年老いたほうの佐渡の声は若干低い。どうしたらいいのか。なんとも言えない空気が流れる。
――確か、昔観たSF映画では過去の自分に遭うと、タイムパラドックスが起きて宇宙が壊れるって情報だけど……。そんな気配はなさそうだし、何をどう切り出せばいいのやら……。
「次はー、赤――」
――まさか私は過去にタイムスリップした?
女の腕が俊敏に動く。アナウンスが流れ出した瞬間、降車のチャイムのボタンを押した。視線はバッチリ合わせたままだ。
「あのー……あなたは、次の赤山(あかやま)駅前で降りてどこへ?」
先に沈黙に耐え切れなくなったのは佐渡のほうだった。女が眉をひそめた。何を言ってんだコイツはとでも言いたげに。
「どこへ? って二七日(になのか)に行くんですよ」
「二七日? 誰か親しい人でも亡くなったの?」
二七日は一般的に遺族だけで供養するものである。しかし、故人に生前恩義を感じた人の中には来てくれる人もいる。
「まだ寝ぼけてるんですか。坂戸監督。私たちは新後アイリス代表として、倉本元監督の二七日に行くんですよ!」
女の怒気が含まれた口調である。そして、女は自分と瓜ふたつの存在の出現に、気のせいで済ませようとしているらしい。佐渡ではなく坂戸監督と、聞いたこともない名前で佐渡のことを呼んだ。
「もう心ここにあらずですか……」
女の悔しげなつぶやきは佐渡に耳には入らなかった。
「倉本元監督の……?」
「そうですよ。だから降りる準備をしておいてくださいね」
佐渡の頭が真っ白になった。ショックが強すぎて返事も返せない。どうしてもうひとりの自分が坂戸監督と呼ぶのか問いただすこともできない。
――倉本監督が死んだ? どうして、なんで?
夢で倉本が自ら言っていたように、ここでも死んでいた。パニックになるのを防ぐように、両手の指で頭を締めつけた。隣の女が憐れむような蔑むような微妙な表情で息をつき、窓の外に目をやった。
――今は一体いつで、どんな状況なの……!?
そうこうしているうちにバス停に停まり、運転士のアナウンスが流れた。
「赤山駅前に到着しました。ご乗車ありがとうございました。お忘れ物ございませんよう、ご注意願います」
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