79.最期のつとめ、恋のおわり(後編)


 翌日、屯所に戻ってきた三人は、勇と歳三を前に静かに座っていた。

「馬鹿野郎、なぜ帰ってきた。近藤さんの真意がわからねえわけじゃねえだろう」

「あはは、土方君にそんな風に正面から怒られたのは久しぶりだな。いや、初めてかもしれない」

「冗談言ってる場合か。さくら、総司、てめえらものこのこ連れ帰ってきてんじゃねえ」

「それはあんまりですよ土方君。さくらさんも沖田君も任務を全うしたまで」

 歳三はずいと山南ににじり寄った。

「逃げろ。見ての通り、ここには俺らしかいない。一度は脱走したんだ。もう一度。何度でも脱走すればいい」

「ありがとう。土方君が、そこまで言ってくれるだけで、もう十分です。……覚えていますか。今日は、二月二十三日。二年前の今日、浪士組はここ京の都に到着した。この何か遠からぬ縁のある日に最期の仕事を全うできること、嬉しく思います。隊規に照らして私が腹を切れば、新選組の局中法度は確固たるものになる。これからまだ隊士が増えるのであれば、それは何を置いても必要なことでしょう。さあ、近藤先生。どうぞ、公平なご裁断を」

 勇は、ぎゅっと結んでいた口を重たそうに開いた。

「山南さん。訳を……聞かせてはくださらないのですか」

 山南は、わずかに笑みを浮かべた。

「今の新選組で私にできることは、これしかありませんから」

 勇たち四人の中で、山南の言葉から彼の真意を察することのできる者は、ひとりとしていなかった。勇はやや震える声で、静かに言い放った。

「副長、山南敬助に……切腹を言い渡す」

「謹んで、お受け致します」

 四人は、深々と頭を下げる山南を、ただじっと見つめていた。そして、頭を上げた山南は「ひとつ、最期にわがままを言ってもいいですか」と勇に尋ねた。

「なんでしょう」

 山南は、くるりとさくら達の方を振り向いた。

「介錯は、沖田君にお願いしたい」

 総司は、目を丸くして山南と勇を交互に見た。勇が総司に向けて力強く頷いた。

「わかりました。精一杯、務めさせていただきます」

 ありがとう、と山南は微笑んだ。


 山南たち三人が立ち去り、部屋には勇と歳三だけが残った。

 ドン、と勇は畳に拳をついた。歳三は驚いたように勇を見た。

「勝っちゃん……」

「トシ……これで……いいんだよな……」

「ああ。……サンナンさんは、腹を決めてた。皮肉なもんだよな。最初は、あの人をつなぎとめる為に作った法度なのによ」

「うん……新選組は烏合の衆だ。必要な法度なのは、間違いない。おれ達はもう、後戻りできないところに来てるんだ」


 山南切腹の報は、瞬く間に隊中に知れ渡った。山南は自室ではなく、裏門近くの小部屋に入り、その時を待つのみとなっていた。

 当然、勇、歳三の部屋の前庭には、助命嘆願する隊士らで溢れ返った。

「山南さんを死なせるなんて、反対です!」

 と、先陣切って吠えたのは島田である。新八も集団に加わり、持論を述べた。

「こんなことが罷り通れば、新選組はますます野蛮な狼だと後ろ指を指されます。それに山南さんを失うのは、新選組にとっても大きな損失です。近藤さん、土方さん。考え直してみませんか」

「そうだよ。サンナンさんだぜ?ここにいる誰も、サンナンさんに死んで欲しいなんて思ってねえよ」左之助が同調した。

「おそれながら!納得いきません!」周平や、河合ら古参の平隊士たちも口々に抗議の声を上げる。

「局長、副長!」

 よく通る声で呼びかけ、隊士らをかき分け集団の先頭に伊東が躍り出た。

「このような法度に何の意味があるのです。山南さんという有為の人材を失ってでも、守らねばならない規律なのですか!」

 ここでついに障子ががらりと開き歳三が出てきた。縁側の上に仁王立ちしているから、伊東たちは大仏でも見上げるような目で歳三を見た。

「脱走は法度で禁じられている。法度は絶対だ。文句があるならお前らも全員切腹させるぞ!」

 全員がたじろいで二の句が継げない中、伊東が「し、しかし……」と声を上げた。

「皆志を同じくした仲間ではないですか。このような法度がなくても、きっと……」

「伊東さん。あんたはまだ新選組ここがどんなところかわかってないようだな。新選組は身分も出自も問わない。同じ志。確かにそうだが、その内実は微妙に違う者同士の集まりだ。法度は絶対。俺も、近藤さんだって、士道に背けば切腹しますよ。それが、新選組の法度です」

 伊東は、それ以上は反論しない方がいいと悟ったのか、それきり何も言わなくなった。他の隊士も、伊東が言っても駄目ならもう仕方がないとばかりに、すごすごと解散していった。


 さくらはその様子を遠目に見守っていた。

 山南が、本当に皆から慕われていたのがよくわかる。まだ引き返せる。否――もう、粛々と「その時」を待つしかない。

 あっという間に誰もいなくなった庭の向こうにいた歳三が、こちらを見た。さくらは歳三に近づいていった。

「嫌な役回りだな。皆の気持ちもよくわかるが……何より山南さんがもう覚悟を決めている。もう、引き返すことはできぬのだな」

「お前は……どうなんだ」

「どうって」

「見たとこ涼しい顔をしてるが、あいつらと同じだろ。俺や勝っちゃんを一発殴りでもしないと気が済まないんじゃねえのか。特にお前はサンナンさんを……」

「実感が湧かぬのだ。なんたって山南さんはまだそこにいるのだから。脱走したから切腹、というのを葛山に科した以上、山南さんも同じようにせねば筋が通らぬ。勇や歳三が間違っているとも思えぬし、山南さんだって並々ならぬ覚悟で今回の行動に出たのだと思う。だから、今はただ現実を受け入れるしかないと思っている」

「そうか。……俺が思ってるより、強いな、お前は」

「当たり前だ」

 歳三はわずかに口角を上げた。


 その後、さくらは屯所を出た。向かう先は、島原だ。

 ――伝えなければ。明里さんに。

 事の顛末と、心からの謝罪を。

 花街特有の賑やかな声と、においがしてきた。もうすぐだ――というところで、さくらは「お初――島崎はん!?」と声をかけられた。

 明里だった。昨日と同じ、質素な着物で息を切らせている。

「あ、明里さん、どうしてここに」

「なあ島崎はん、山南はんに、最期に会わせとおくれやす」

「最期って、まさか……」

 明里は、懐から文を取り出した。

 ――そうだ、山南さん、明里さんに文を出したって……

「自分は、武士として死ぬから、君は故郷で幸せに暮らしてくれって、そう書いてあったんどす」

 明里は声を絞り出すようにそう言った。さくらは明里の両腕をぐっと掴んだ。

「明里さん、本当に申し訳ない。……行きましょう。まだ、間に合いますから……!」

 さくらは明里の手を引いて走り出した。明里も裾を絡げて必死についてきた。傍から見れば駆け落ちの様相にも見えたかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 息を切らせて壬生に到着すると、明里は「山南はん!山南はん!」と何度も名を呼んだ。さくらは山南がいる部屋の前に立つと、「山南さん。窓を、開けてください」と声をかけた。

 しかし、窓は開かない。

「山南さん!」

「島崎さん。帰ってもらってください。もう、私が会う資格はない」

「山南はん、そないなこと言わんといて!」

「明里、すまない……」

「すまない、じゃないですよ!」

 さくらは一喝した。

「好いた人がこれから死ぬのです。最期に一目会いたいという女子のわがままくらい聞いてやってください。私には……明里さんの気持ちが、わかります。私からも、お願いします」

 カラリ、と格子窓の向こうの障子が開いた。山南は力なく微笑んだ。

「山南はん、なんでなん?うちのこと置いていかんといて……!」

 明里は、腕を伸ばして格子の向こうの山南の頬に触れた。

「すまない、明里。武士として、新選組の副長として、最期の仕事を全うすることを許して欲しい。君は、故郷で幸せに……」

「幸せになんかなれへん!山南はんがいなかったら、うち……!」

「明里、頼む。どうか、わかってほしい」

 明里がすうっと流した涙を、さくらは美しいと思った。明里は目を見開いてただただ山南を見つめるばかりであった。

「ありがとう。君の存在は、私の大きな支えだった」

 山南は、明里の手を取ると、そのまま格子の外にそっと出した。そして、静かに障子を閉めた。

「山南はん……山南はん……」

 泣き崩れる明里の背中を、さくらは何も言わず優しく撫でた。かける言葉は、見つからなかった。


 その頃、総司は庭で素振りをしていた。

 山南の切腹は、もう決定事項で。覆せない事実で。

 昨日の夜は、逃げて欲しい、見つからなかったことにして欲しい、と切に願ったが、それはもう叶わないと悟った。

 芹沢たちを襲った時のことを思い出した。あの時は、無我夢中なところもあった。あの底知れぬ強さを持つ芹沢は、立ち向かい、越えなければいけない壁だった。だから、必死だった。

 山南も、総司にとっては憧れであり、永遠に越えられない存在である。

 あの時と違うのは、今度は、自分がたった一回刀を振り下ろせば、山南はいなくなるということだ。

 その瞬間を、任された。光栄なことだと、そうして前に進めなければ、自分は武士になれない。そう思った。

 トン、と音がした。いつの間にか、縁側に斎藤が立っていた。

「お疲れ様です」

 斎藤は、昨日も一昨日もそうしていたかのような調子で声をかけてきた。手を止めた総司は、「斎藤さん」と名を呼ぶと荒れた息を整えた。

「斎藤さんも、助命嘆願して土方さんに怒られたクチですか」

「いや、俺は……土方さんのやり方に従うだけだと思っていますから」

「斎藤さんは大人だなァ。とても私より二つも下には見えませんよ」

「山南さんには世話になりました。惜しいと思う気持ちは、皆さんと一緒です」

 総司は、僅かに微笑んだ。思えばこんな風に斎藤と話すのは、珍しいことだと気づいた。

「ご武運を、というのも変ですが、お勤め頑張ってください」

「ふふ、ありがとうございます」

 斎藤は、軽く頷くと立ち去っていった。総司は「よし」と小さく声を出し、再び素振りを始めた。


 山南の切腹の刻限が近づいてきていた。

 さくらは、山南を呼びに控えの小部屋に向かった。見張りの隊士にもうよいと告げ、中に入る。

 浅葱色の切腹裃に着替えた山南は、すっと背筋を伸ばしてただそこに正座していた。

「山南さん。そろそろ……時間です」

「わかりました」

「最後にもう一度言います。今、見張りの隊士は帰しました。ここには、私しかいません。今なら……」

「さくらさん。もう、よいのです」

 その言葉を聞いて、さくらは涙を見せるまいと、笑顔を見せた。

「山南さん。ありがとうございました」

「こちらこそ、さくらさんには感謝しています。あなたが一番、私のことを気にかけて、見ていてくれていたように思います。その……お気持ちも、嬉しかった」

「いえ、私など……あのような場で、突拍子もないことを申しました……」

 さくらは俄かに顔を赤らめた。昨日の発言を激しく後悔しているというわけでもないが、やはりあのまま墓場まで持っていくべきだったかとも思う。

「さくらさん。これからの新選組を、頼みます。あなたにこそ、私の好きな新選組を、託したいのです」

 山南にそう言われることは、数年越しの恋が成就するよりも、光栄で喜ばしいことであった。さくらは飛び切りの笑顔で、力強く言った。

「はい。私にお任せください」


 その後、大部屋に移動し、上座に腰を下ろした山南の前には、短刀が置かれていた。

 それを見守るのは、幹部以上の隊士である。皆神妙な面持ちで、じっと山南を見つめていた。誰一人、言葉を発しなかった。

 山南の後ろには、襷をかけた総司が立っていた。抜き身の刀が、わずかな行燈の光を反射して、きらりと光った。

「近藤先生、皆さま。お世話になりました。沖田君、声をかけるまで、待ってくれないか」

 総司の表情に一瞬驚きの色が浮かんだが、すぐに微笑むような表情で、「承知しました」と応えた。

 さくらは、決して、瞬きのひとつもすまいと決めた。

 ――山南さんの姿を、この目に焼き付けなければ。

 山南は、丁寧な所作で短刀を手に取った。それを、真っ直ぐに自身に突き立てた。

「沖田君」

 

 それは、まさに武士の最期だった。


 ***


 さくらは一人になりたくて、提灯を片手に壬生寺の境内に入った。

 だが、石段の上には、先客がいた。

「歳三……」

 なんだよ、とさくらを睨む歳三に、「少し……外の空気を吸いたかっただけだ」と答えた。歳三が何も言わないので、石段を数段上って、隣に腰を下ろした。

 互いに、何も話さずに時が流れた。もうすぐ春本番とはいえ、夜の風はツンと冷たい。

「……サンナンさんとは、話せたのか」

「何を」

「大津で。何かこう、いろいろと」

 さくらは「ああ」と鼻で笑った。

「お慕い申しておりました、と告げてしまった。まあ、それでどうというわけでもない」

「そっか……まあ、よかったんじゃねえか。最期に言えて」

「うん、後悔はしていない。はなから山南さんとどうこうなることなんて考えてなかったし……ただ、やはり考えてしまうのだ。どうすればよかったのだろうと。今は、悔しさしかない。こういうことになってしまったのが……ただ、悔しいのだ。悔しい……山南さん……山南さん……やっ……」

 さくらは息を呑んだ。温かいものに覆われる感覚がした。

「歳三……?」

「すまねえ……すまねえ……」

 歳三は、さくらを抱きしめる腕に力を込めた。

「俺のせいだ……法度のせいだ……」

「……違う。お前は、新選組のために、立派にやっている」

 歳三は、震えていた。さくらは首筋が濡れるのを感じた。歳三が、泣いている。

「……ふふ、鬼副長の目にも涙か……ならば私も遠慮なく泣いてやる」

 歳三はもう、何も言わなかった。さくらも、歳三の胸に顔を埋めて、堰を切ったようにただひたすら泣いた。






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