76.山南の憂い




 新選組の準備もむなしく、長州征伐は「長州藩家老三名の斬首」を条件に和睦という形で決着を見た。

 その和睦を主導したのが、禁門の変の際に勇が見かけた西郷吉之助だというのだから、新選組としてはなんとも面白くない幕引きだ。 


 年が明けて元治二(一八六五)年。

 新年早々、新選組は不逞の浪士取り締まりに手を焼いていた。大坂に逗留していた谷三十郎、万太郎兄弟は、土佐脱藩浪士が大坂城に放火しようと計画していたことを突き止め、石蔵屋というぜんざい屋に潜む浪士を捕縛、密書の差し押さえを行った。もっとも、一味の半数以上は逃げおおせており、歳三は京都の本隊を呼ばなかったことを嗜めたが、「大坂版池田屋事件のようだ」と奉行所などからの評判は上々だった。とにかくも、まだまだ幕府に盾つく不逞浪士はそこここに潜んでいるということが明るみになった一件だった。

 この件を受け、長州征伐に備えて始めていた洋式調練は今後も役に立つだろうからそのまま続けようということになった。一番から八番の小隊編成に、小荷駄隊、行軍世話役(事実上の諸士調役隊)という構造も引き継がれた。二番隊については、新八が隊務に復帰したこともあり、伊東は隊長補佐の役目に回った。


 そして一月中旬、寒さも少し和らいできた頃。新選組では、とある議題が持ち上がった。

 屯所の移転である。

 昨秋の増員で、前川邸・八木邸をめいっぱい使っても屯所は狭苦しかった。苦肉の策として、体よく大坂駐屯の隊士を増やしたりもしたが、限界は近い。

 移転先として候補に挙がったのは、壬生の屯所から半里ほど離れた西本願寺である。池田屋の頃に比べ倍増した隊士が起居するのに広さは十分。それだけでなく、西本願寺を選んだのには別の狙いもあった。


「去年の戦の時、長州のやつらをかくまってたって話だ」

 歳三が淡々と言った。部屋には勇、歳三、山南の他、各小隊の隊長が顔を揃えている(こればかりは出席しないのも不自然ということでさくらも参加していた)。二番隊からは、稽古指導中の新八に代わって伊東が出席している。

 さくらは歳三の発言を聞いて、呟くように言った。

「それについては、面目ない……」

「なんで島崎先生が謝るんですか」総司が尋ねた。

「あの時、町民を逃がすのに精一杯で、そこまで掴み切れていなかった。その場で見つけていれば何かしらできたかもしれないのに」

「気にするな。こんなことは後になってからこそ言えることだ。島崎君たちは、あの時あの人数で精一杯の働きをしてくれた」勇が笑みを浮かべた。

「そこでだ」

 歳三がコホンと咳払いをした。

「あの寺を牽制するという目的も兼ねようと思う」

「何か意見がある者は」

 勇の呼びかけに最初に答えたのは山南だった。

「それは……さすがにどうでしょう。寺の敷地内で……例えば、葛山君のような者が出た場合、切腹をさせるということですよね」

「まあ、そういうことになりますね」

「サンナンさん。俺たちはすでに鬼だの狼だのと呼ばれてるんだ。今更バチやら祟りやら気にしたって仕方ないぜ」

「そうは言っても……」

「これからは洋式調練で鉄砲の訓練や馬術の訓練も増える。隊士の部屋だけじゃない。厩も増やさなきゃならねえんだ」

 意見のある者は、と呼び掛けた割に反対意見や懸念を述べても歳三に一蹴されてしまうではないかと、それ以上は誰も何も言えない雰囲気になってしまった。結果、左之助が「まあいいんじゃねえの」、総司が「近藤先生がそれでいいなら」、他、数名がぽつりぽつりと賛意を示すにとどまった。

「それでは、近く下見ならびに交渉に赴く。伊東さん、一緒に来てもらえますか」

「ええ、構いませんよ」

 歳三は満足げに頷くと、「それではこれにて解散」と告げた。

 三々五々皆が立ち上がって部屋を出ていくのをよそに、さくらは勇、歳三、山南の様子をじっと見ていた。

「山南さん、事前にお耳に入れておらずすみません。体調が芳しくなかったようですから」勇が謝っていた。

「いえ、私は別に……」

「サンナンさん、わかってくれ。新選組がでかくなるためには、西本願寺移転は必要なことなんだ」

 歳三が真剣な眼差しでそう言った。山南は力なく微笑むと、わずかに頷いた。

 それを見ていたさくらは、なんだか胸が締め付けられるような心地がした。

 ――あれでは、山南さんがかわいそうだ。完全に蚊帳の外ではないか。副長二人のうちの一人といっても、最近は前にも増して勇と歳三の二人で何かと決めてしまうことも多い。

 勇と歳三が立ち去った。広い部屋に、さくらと山南だけが残ってしまった。山南が、不思議そうにさくらを見た。

「あ、えーと……山南さん」

 さくらは山南に近づいた。以前に比べて、山南はずいぶん痩せてしまった。「なんでしょう?」と言うその声は、元気がない。

「その、なんだかすみません。あの二人、山南さんに相談もなしにあれこれ話を進めてしまったみたいで」

「なぜ島崎さんが謝るのです」

「いやその……二人とも私の弟みたいなものですから。あの……体調とかいろいろ、大丈夫ですか?きっ、気晴らしに木刀振りたいなあとか、散歩したいなあ、とかあったら、私いつでも付き合いますから!」

「ありがとうございます」

 山南はふわりと微笑んだ。さくらは、どきっと心の臓が跳ねるのを感じた。

 山南に、元気になって欲しいと思った。今でも変わらず、さくらにとってとても大切で、とても好きな人なのだから。


 翌日。

 壬生寺の境内では、物々しく土嚢が並べられ、時折耳をつんざくような銃声が響いていた。近所の人からは、「お寺の境内で鉄砲撃つなんて、やっぱり壬生浪は何考えてるかわからん」と呆れられていた。

 その意見は、外の人間だけのものではなかった。新選組隊内にも「さすがに、いかがなものか」と眉をひそめる人物はいた。

「戦でも、寺を拠点に陣を敷くことはあります。ですから、境内で稽古をすることに異論はありません。西本願寺移転も、僕はそこまで声高に反対を叫ぶつもりもないんです。ただ、”洋式調練”というのがいささか気がかりで」

「なるほど。確かに……攘夷という本懐を考えると、毒をもって毒を制すとでもいいましょうか……」

 こう話しているのは、伊東と山南である。外の空気を吸いがてら壬生寺を訪れた山南は、苦々し気な顔をして三番隊・四番隊の訓練の様子を見ている伊東と鉢合わせたのだった。

「僕は……」

 伊東はコホン、と咳払いをした。

「山南さん、少し飲みにいきませんか。あなたとは一度ゆっくり話がしたいと思っていたんです」

 突然の提案に戸惑ったが、何かここでは話せないことでもあるのかと思い、山南は首を縦に振った。


***


 島原に来るのは久しぶりだった。明里にも、もう数か月程会っていない。せっかくだから、そのまま泊まれるようにと外泊を届け出てきた。

「まあ山南はん、お久しぶりやないの。もう来てくれへんのかと思うて他の方に落籍ひかれるところでしたえ」

「そ、そうなのか?どこの誰に……」

「もう、冗談どす。うちはいつでもここで山南はんをお待ちしておりますえ」

「ああ。うん、ありがとう」

「ほう。山南さんも隅に置けませんな」

「え、あ、いや……」

 伊東の前で若干恥ずかしい会話を繰り広げてしまったことに山南は少し狼狽した。とは言え、そういう会話に持っていったのは明里なのだから、なるほど自分はこの娘の掌の上にいるのだなあとも思う。

 山南が伊東を紹介すると、明里は「ほな、粗相はできしませんな」と言って酒肴の用意を始めた。

 山南と伊東は、最初は主にこれまでの境遇についてなど、他愛もない会話を交わした。伊東は学問知識にも明るく、山南は「こんな話まで通じるのか」と半ば嬉しささえ感じる程だった。

 酒も入ったせいか、伊東はやや饒舌になっていった。しかし、かつての芹沢のような危なっかしさはない。この人、強い……と山南は内心舌を巻いた。やがて伊東は、酌をしていた女たち全員に席を外すよう指示した。

「おいしい酒のおかげで、あなた方の前では少々ふさわしくないことも話してしまいそうなのでね」

 伊東がそう言ってにこりと微笑むと、女たちは「へえ。ほな、失礼いたします」と若干顔を赤らめながら部屋を出ていった。最後に出ていく明里に、山南は小さく「また後で」と声をかけた。

 部屋は急速に静かになると同時に、他の部屋から聞こえる喧騒が大きくなった。すると、伊東はこれを一番話したかったのであろう、声を落として「山南さん」と語りかけた。

「僕はですね。昔水戸にいたものですから、水戸学というのも一通り学んだのですよ。ご存知かと思いますが、その思想の第一は勤皇敬幕。僕だって、決して幕府をないがしろにしたいわけじゃない。ですがね、最近、幕府のやることに少々疑問があるのも正直なところ。この国の頂点に立つのは帝です。その帝を、少し軽んじているのではないかと思うのですよ。近藤さんや容保公が説得したというのに、先の長州征伐で将軍様が上洛しなかったのも腑に落ちない」

「ええ。まあ、そうですね」

「僕は、新選組で尊王の重要性を説いていきたいのです。新選組は、少々佐幕の色が濃いように思います。洋式調練だってそうです。山南さん。あなたも尊王の志は同じはず。きっとご理解いただけると思い、僕はこの考えを打ち明けました」

 ええ、よくわかります、と山南は頷いた。しかし、伊東の野望が一筋縄ではいかないことはひしひしと感じていた。そもそも、かつて清川八郎が尊王攘夷を訴えて浪士組を解散しようとした時に「将軍を守るため」に残ったことから新選組は誕生したのだ。もっとも、勇や歳三だって帝を敬う気持ちは当然持っているし、あの時は清川のやり方が強引すぎた。

 伊東は、上手くやれるのだろうか。清川の二の舞を演じやしないだろうか。それを見極められる程、山南にはまだ伊東という人物がわからなかった。

 ふと、芹沢の顔が浮かんだ。もう、派閥争いなどは御免こうむりたい。

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