75.新体制、始動
元治元年十一月。
会津藩、そして新選組が必要性を説いて回った「将軍上洛」は叶わなかったが、長州征伐の準備は着々と進んでいた。話はすでにまとまっており、幕府軍は十一月に挙兵、戦闘開始という予定だ。
新選組では、深川・伊東道場の主、
「来たる長州征伐に向けて、今までの副長助勤を中心に一個小隊で動いてもらう」
屯所の大部屋に集められた隊士を前に、歳三が粛々と告げた。
「まず、一番隊隊長、沖田総司」
「はいっ」
総司が真剣な面持ちで返事をした。元から緊張感のあったその場の空気がさらに張り詰める。
「二番隊隊長には、伊東甲子太郎殿」
「承知いたしました」
私語ができる雰囲気ではなかったが、隊士たちはそれぞれ隣に座っていた者と怪訝そうに顔を見合わせた。入隊間もない伊東が、いきなり二番隊の隊長に抜擢されるとは――皆、思うことは同じだった。
「三番隊隊長、井上源三郎。四番隊隊長、斎藤一」
五番隊以降も、歳三は淡々と読み上げていく。そして最後に。
「小荷駄隊隊長、原田左之助。行軍世話役隊長、島崎朔太郎」
と読み上げて隊長格の発表が終わった。小荷駄とは、武具の管理や運び出し、戦場では賄いのようなこともやる役目であること、また、行軍世話役というのも、全体の補佐のような役割を担うのだと、歳三が説明した。もっともそれは表向きで、行軍世話役の内実は諸士調役兼監察の面々であり、戦時の諜報活動を行う方が主な仕事だ。
「以下、各編成を貼り出すゆえ自分の所属を確認するように。新編成での隊務の詳細は追って沙汰する。主には、今までの剣術の訓練に加え、鉄砲や大砲の訓練も加わる。心しておくように」
確認できた者から解散、と歳三が告げると、隊士たちは我先にと編成表に群がった。
「おっ。俺三番隊だ」
「俺五番隊」
「お前一緒じゃん!」
そんな風に隊士たちが盛り上がっていることなど露知らぬ幹部が三名いた。そのうちの二人、さくらと新八は、新八の部屋にいた。
「新八ぃ。逆恨みするなよ?直接斬ったりはしていないが、お前のやったことは一応『私闘』なんだからな」
「大丈夫ですよ島崎さん。私だってさすがに自分のしたことはわかっています。何より、容保公に迷惑をかけ、そして命を救われた。殿のためにも、新選組は規律のとれた組織にならねばなりません」
「うん。本心では勇だって歳三だって、お前という戦力を失うのは惜しいと思っているはずだ。今は、耐えてくれ」
新八は、例の建白書騒動の責を問われ、一ヶ月間の謹慎を言い渡されていた。一ヶ月ということは、長州征伐に伴い出兵せよ、とお達しが出ても屯所で留守番をせねばならない立場である。本来、二番隊の隊長には新八が収まるはずだったが、代理として伊東が抜擢された格好になる。
「島崎さんの方こそ、いいんですか、こんなところで油を売ってて。謹慎中の人間においそれと会いに来てはまずいでしょう」
「いいんだ。監察として、謹慎対象者が逃げ出したりしないか見張りに来たってことで」
「……信用ないですね」
「だから、振りだって、そういう」
「……島崎さんが喋りたいだけなんでしょう」
「あ、ばれたか」
さくらは、いたずらっぽい笑顔を見せると、「いやさ、わかってはいたけれども」と話し始めた。
「勇も歳三も、あまり大勢いる場に顔出すなっていうんだ。むろん、私もそうするのがいいのはわかっている。だが、私、新入隊士の間で幻の副長助勤扱いされてやしないだろうかと」
「それを言ったら私も同じですよ。まだロクに伊東さんたちと話したこともないんですから」
「新八の場合は謹慎が解けたら万事解決じゃないか」
さくらははあ、とため息をついた。
もともと諸士調役として屯所を空けることが多かったこともあって、さくらは伊東を含む新入隊士とほとんど顔を合わせてはいなかった。江戸から京へ戻ってきた際も、日野で集めた隊士と行程を共にしており、伊東と顔を合わせたのは最初の挨拶の時くらいだった。
「島崎朔太郎と申します。普段は情報収集などの仕事を主にしておりますので、他の者たちと少々動きが違うこともありますが、よろしくお願いいたします」
「島崎さんですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
伊東にしてみれば、さくらなど大勢いる隊士の中のひとりに過ぎないのだろう。さくらの「男装」に気づく素振りもなく、淡々とした顔合わせとなった。
「今は念のためにもなるべく顔を出さないようにしているが、こんなコソコソした生活、いつまでも続けられないしなあ。何かこう、打開策があればよいのだが」
島崎さんも大変ですねえ、と新八が同情の声をかけた次の瞬間、襖がガラッと開いた。
「だーいじょうぶだって。さくらちゃん、だいぶ男らしい顔つきになってきたし。バレないバレない」
「惣兵衛さんっ!どうしてここに」
惣兵衛は楽しそうな笑みを浮かべ、さくら達の横にどっかりと腰を下ろした。
「だってよお、みんなその体制発表?ってのに行っちまって、暇なんだもんよ」
「私がこんなことを言うのもなんですが、江戸へ帰られたらいかがです。勇や私の無事でしたら身をもって知らせに行きましたしね。お役目は終えられたかと」
「冷てえなあ。って、勇から聞いてねえのか?明後日には江戸に帰るぜ」
「ええっ!?それはまた急な……」
「京で見るものは見たし。皆が元気そうにしてるのもわかったし」
「多摩の皆さんによろしく伝えてくださいね」
「おうよ」
その時、俄かに外が騒がしくなってきた。おそらく、編成発表が終わったのだろう。
「惣兵衛さん、早くずらからないと!謹慎中の新八の部屋でふらふらしてたのがバレたら示しがつきません!」
「おう、そうだな」
「じゃあ、新八、達者でなっ」
「でなっ」
「島崎さんはすぐそこでしょう」
新八の突っ込みに笑顔で返し、さくらと惣兵衛は急いで解散した。
さくらは、新八の部屋の隣の隣にある、自室へ戻った。
隊士が増えたのを機に、さくらは部屋を引っ越していた。以前は勇の部屋と歳三の部屋に挟まれた一人部屋だったが、屯所を空けがちないち副長助勤が一人部屋なのはおかしい。と、勘ぐられないために、源三郎と同室になっていた。代わりに、山南がさくらの部屋に移動していた。
「あっ、源兄ぃ、終わった?」
「どこ行ってたんだ」
「えっ、別に、ちょっとそこまで」
「まったく……」
さくらは部屋のど真ん中に置いてある衝立を背に座り込んだ。源三郎から巻物のように長い紙を受け取ると、目を通していく。編成表の写しだ。
「はあ、露骨だねえ。新八は謹慎で代わりに伊東さん、左之助は小荷駄の隊長なんてさ」
「まあ、仕方ないだろう」
「それと……」
さくらは紙の端から端までもう一度確認した。
「山南さんが、いない」
源三郎が寂しそうに頷いた。
編成発表の場にいなかった三人の幹部のうちの一人・山南は、移動してきて間もない自室で臥せっていた。
腕が使えなくなって一年が経った。
一年間、大した戦力にもならないというのに、仲間として置いてもらえていることに、ありがたさと歯がゆさが混在する。
季節の変わり目でさらに体調を崩してからは、寝付くことも多くなった。よくも悪くも、新しい部屋はひっそりと在隊するにはちょうどいい部屋だ。
――明里のところにも、最近行けていないなあ。
バチが当たったのだろう。ロクに働きもしないのに一丁前に女のところには通うなんて。
それでも、そうでもしなければ、もしかしたらもっと前に寝込んでしまったかもしれないのだ。
水を飲もうと、山南は体を起こした。ふと目に入ったのは、今まさに発表されている長州征伐に向けた編成表である。
そこに、自分の名前はない。
「一番隊、沖田総司、二番隊、伊東甲子太郎……か」
平助は、本当に伊東甲子太郎を呼んできてしまった。それについてとやかく言う資格などないとはわかっていたが、「文武両道」の呼び声高い伊東の登場は、なんだか一層自分の立場を危うくしてしまうような気がした。事実、いくら新八の代理とはいえ、総司に次ぐ二番隊の隊長に任命されている。むろん、自分が行軍の一員に入らないことも、伊東が二番隊隊長になることも、事前に勇・歳三と協議のうえ納得ずくのことである。相談を受けただけでも御の字だと思う。むしろそれだけが、自分の存在意義のような気がした。
数日前、勇と歳三は編成表の素案を見せにきた。
「一番隊から四番隊を山南さんが、五番隊から八番隊を土方君が束ねるのが筋だとおれは思っています。その方が、各隊に副長の目が届きやすい。一番隊は沖田の隊にする予定ですし、二番隊は永倉君の代わりに伊東さんに任せる予定です。伊東さんも、同門の山南さんの下についた方が何かと気安いでしょう」
編成表には、一番端に勇の名前があり、そこから線が二本に分かれて「副長 土方歳三」「副長 山南敬助」と書いてある。さらにそこから線が引いてあり、それぞれの小隊の面々が書かれている。
「近藤さん、大変ありがたい話ですが、私は……」
「もちろん、腕の怪我のことはわかっています。こんなことを言うのも情けないですが、我々は幕府軍の小隊のひとつにすぎません。実際長州と剣を交えることはないかもしれません。山南さんには、前線で戦ってもらうというよりは、総司たちの士気を上げる役目を果たしてもらえると思うんです。それに、刀は振るえなくても、鉄砲ならなんとかなると思いませんか?これから新選組は洋式調練も取り入れていきたいと思っていますし」
勇が、最大限に役割を与えてくれようとしているのがわかって、山南は胸が熱くなった。一年も前線から退いている自分に、ここまで言ってくれるとは。
だが、山南の心は決まっていた。
「近藤さん。ありがとうございます。しかし、私は屯所の守りをさせてもらいますよ。可能性が低いといっても、
「山南さん……」
「近藤さん。あなたについて来てよかった。土方君。皆を頼みます」
自分は今どんな顔をしているのだろう。勇と歳三の目にどう映っているのだろう。少なくとも、勇と歳三がそれ以上食い下がらなかったので、山南はわかってもらえたのだと安堵の笑みを漏らした。
「そうそう、水水」
山南は編成表を折りたたむと、土瓶を手に部屋を出た。遠くに聞こえる隊士たちの声を聞きながら、山南は思った。
――私は新選組のために、何ができるのだろう。
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