73.さくらの乱入

 廊下に跪き、さくらが深々と頭を下げていた。数歩遅れて、呆れたような顔をした使いの侍がついてきた。どうやら「待たれよー!!」の声の主らしい。

 さらに、追って現れたのは山本覚馬と神保内蔵助であった。

「そなた、ハア、無礼であるぞ、ここがなんたるか……わからぬわけではあるまいな」山本が言った。

あいわかっております。無礼はもとより承知でございます。申し訳ありませんが、どうしても殿にお伝えしたき儀があり参りました」

「お主は……?」

 容保が声をかけた。さくらは頭を下げたまま、名乗った。

「新選組副長助勤、島崎朔太郎と申します」

 ――さくら、何をする気だ……?

 勇がハラハラしながら様子を見守っていると、容保が再び声をかけた。

「島崎。そうか、お主も昨年の試合に出ておったな。面を上げよ。近う寄れ」

「と、殿……!」神保が驚きの声を上げたが、容保が首を縦に振ったので、それ以上は何も言えないとばかりにその場に座り込んだ。

 さくらは、勇と新八らの間まで進み出て、再び頭を下げた。

「此度の騒動、殿のお手を煩わせることになってしまい、大変申し訳ございません。ここは、この不肖、島崎朔太郎の首ひとつでお許しいただきたく存じます」

「なっ……!?」

「おい、サク……島崎、何言って……?」

 新八や勇が驚いて声をかけるのをよそに、さくらはそのまま頭を下げていた。

「なぜ、そなたの首なのだ」

 容保がそう尋ねるのももっともであった。勇は、成り行きに任せるべきか割って入って何かを言うべきかと考えあぐねたが、その間にもさくらは話し始める。

「この者らは皆、新選組から欠けてはならぬ者たちです。永倉たちがこのようなことをするに至るまで、近藤の行いに気づかず、諫められなかったのは」

 勇は、「まさか」と思った。だが、予感は的中した。

「近藤勇の義姉あねである私に責任がございます」

「あね……?」

 容保が面を上げよ、と続けたのでさくらは顔を上げた。山本と神保が急いでさくらの前に回り込んできて、「あっ!」と息を飲んだ。

「お主、やはり女子おなご……!」

「そなたの顔、どこぞで見たような気がしていたが……もしや、あの時の芸妓……!?」

「二人とも、落ち着け」

 容保が諫めたので、山本と神保はすごすごと引き下がり、容保の傍に大人しく座った。

「姉とは、どういうことだ」容保が尋ねた。すっかり話の矛先が変わってしまったことで、勇も新八らも拍子抜けしたような顔でさくらを見るばかりであった。

「はっ。近藤勇は、我が近藤家の跡取りとして養子に参りました。すなわち私の弟ということになります。上洛の際は、同じ苗字というのも何かと不便であろうということで、私の方が島崎朔太郎と改名致しました。本日はどの道この命ないものとして、無礼は承知ながら殿の御前でこの者らに一言二言申したいと存じます」

 そう言うと、さくらは勇に向き直った。勇はなんだかもう心労で胃の腑が奇妙に動くような心地さえした。

「勇!新八たちにここまで言わせるとは情けない!私たちは確かに武士になりたいと志し、公方様の警護、京の治安維持をするべく、ここまできたのではないか!?そこに優も劣もないはずだ。お前を局長としてついてきてくれるのは新八ら含め、隊の皆がお前の人格や剣技に一目おいているからではないか。それを忘れるようでは、お前は局長失格だ!」

 勇はたじろぎ、「は、はい……スミマセン」と答えるしかなかった。さくらはふんっと鼻を鳴らすと真反対に体を向けた。

「新八!左之助に、斎藤、島田、尾関に葛山まで!お前ら何をやっておるのだ!殿を巻き込んでこんなやり方……!勇に不満があるのであれば正面からぶつかればよいではないか!男のくせに情けない!百歩譲って、私に陳情したって構わなかった!私なら勇に物申したところで角も立たぬ!」

「す、すいません……」

 六人は小さくなってぼそぼそと謝罪の言葉を口にした。容保も、山本も神保もぽかんとしてただただその様子を見守るだけだった。

 やがてさくらは正面上座――容保の方に向き直ると、再び深々と頭を下げた。

「ご無礼を失礼致しました。再度のお願いになりますが、此度のことは私の首ひとつで収めていただき、今後とも新選組の方をどうぞよろしくお願い申し上げます」

 沈黙が流れた。勇はたまらず、さくらの隣に躍り出て頭を下げた。

「いいえ、殿!此度のことはすべて私の身から出た錆でございます!切腹はこの近藤勇ひとりにお申し付けくださいませ!」

 勇の耳に、さくらの囁くような声が聞こえてきた。「バカ者、人がせっかく」と。

 沈黙が流れた。もうあとは容保の言葉を待つしかない。そんな思いで勇は畳に額をこすりつけんばかりに平身低頭していた。

「はっ……はっはっは!」

「と、殿?」

 山本が驚いて容保に声をかけた。容保が「二人とも面を上げよ」というので、勇とさくらはおそるおそる顔を上げた。そこには、楽しそうな笑みを浮かべる容保の姿があった。

「島崎。そちが来る前にすでに余の心は決まっておった。近藤も、永倉たちも、ここで失うには惜しい。余に免じて、双方和解してはどうかと、ちょうど提案しておったところだったのだ」

「へ……?」

 勇がちらと横を見ると、さくらの顔から血の気が引いていくのがわかった。無理もない。正体バラし損、命懸け損である。

「そ、それはなおのこと、ご無礼つかまつりました!お詫びのしようもございません」

 再び頭を下げるさくらに、容保は「よいのだ」と声をかけた。

「余の決定は変わらぬ。どうじゃ。簡単だが、酒肴を用意してある。せっかくの機会である。島崎、そちも招かれるがよい。無礼講だ。気にする必要はない」

「し、しかし殿、この者は女子だと……!」

 山本が割って入った。神保も「そうですよ、殿!近藤の姉だと!」と加わった。容保は涼しい顔をして二人を見た。

「余が今日知ったことは、近藤が島崎の弟であるということだけだ。はて、兄であったか姉であったか」

「殿……!」

「聞いていたであろう。近藤にはっきり物が申せるのは新選組の中でもこの島崎だけらしいではないか。すなわち、新選組にはなくてはならない人物ということになる。のう、近藤?」

「はっ……!殿のおっしゃる通りにございます!」

 山本と神保はぐぬぬと口を結んで黙り込んでしまった。

「さあ、そうと決まれば酒をもて」

 笑顔で言う容保に、山本も神保も「御意に」と答えるしかなかった。やがて、新選組の八人を残し、容保たちは席を外してしまった。全員、緊張の糸が途切れ「はああ」と大きく息をついた。

「サクっ!なんてことを……!」勇が開口一番そう言った。

「島崎さん……まったく無茶をする!」新八も続いた。

「まあまあ、結果的に全員首の皮一枚で繋がったんだ。細かいことは言いっこなし!」

 さくらがあっはっは、と笑って見せるのに、「細かくねーよ!」と左之助が突っ込んだ。

「だが確かに、こうして全員命拾いしたわけですから、これからはますます殿のためにも隊務に精を出さねばなりませんね」

 斎藤の言葉に、全員がうむ、と口を結んだ。

「容保公は、素晴らしいお方だ」新八が言った。

「ああ。みんな、改めて、すまなかった。これからも、同志として殿や公方様のために、共に京の治安のために戦ってくれるか」勇はひとりひとりの顔を見回した。皆、柔らかい笑みを浮かべていたことに、勇は心底ほっとした。

「はい。近藤さん、こちらこそ、申し訳ありませんでした。島崎さんも、ありがとうございました」新八も頭を下げた。

 こうして、この建白書騒動は九割は容保の執り成し、一割はさくらの乱入もあり、一件落着となった。

 その日は容保の言葉に甘え、八人は用意された酒の席を楽しんだのだった。


 ***


 この建白書騒動には、続きがあった。

 勇たちが全員無事に黒谷から帰営して、やきもきと待っていた歳三や源三郎が胸をなでおろしてからわずか数日後のことである。日が沈んでからしばらく経った頃、山崎からの報告を聞き、歳三は斎藤、島田と連れ立って屯所を飛び出した。

 数名の隊士も使いに出し、夜巡察に出ている者に連絡をとって加勢するように伝えてある。

 要件は、脱走隊士・葛山武八郎の追跡、捕縛である。

「葛山のやつ、どうして……!」

 島田がそう言うのを、歳三は苦々し気に聞いていた。

 例の騒ぎについては、歳三は完全に蚊帳の外だった。もちろん、蚊帳の中に入って建白書を書きたかったわけではないが、自分のあずかり知らぬところで発生し、解決していたのがなんとなく癪だった。今回ばかりはさくらに一本取られた、という思いであると同時に、さくらが容保に正体をばらすという諸刃の刃を繰り出したことに、驚いたやら肝が冷えたやら。

 とにかく、これ以上の面倒ごとは御免だと思っていたところに、建白書に名を連ねていたうちの一人、葛山が脱走したという報が入ったのだった。

 ――よりによって勝っちゃんがいねえ時によ……

 歳三は走って切れた息を整えるふりをして、溜息をついた。

 もともとの予定であったこともあり、すでに勇と新八は江戸へ旅立ってしまっていた。急遽ではあったがさくらも同行している。二人のかすがい役として歳三が差し向けたことになっているが、裏事情としては、勇が「さすがにちょっと気まずい」と泣き言を言ったことに端を発する。

 すなわち今、葛山をどうするか、という判断は歳三の手にゆだねられているのだった。

 葛山は、存外あっさり見つかった。東海道だか中山道だか知らないが、人混みに紛れ、あえて王道の行程を辿って江戸方面まで逃げるつもりだったらしい。もちろん、新選組としてもそこは抑えてある。三条大橋のたもとで発見した。

「見つけたぞ、脱走は隊規で禁じられている。話は屯所で聞こう」

 歳三が言うと、葛山は「くそっ」と言って踵を返した。しかし、この状況から逃げられる程甘くはない。斎藤が一足飛びに葛山に近づき、背後から手刀を食らわせた。急所を叩かれた葛山はうっと呻き声をあげてその場に崩れ落ちた。島田が堪りかねたように尋ねた。

「葛山、なんで逃げた。あの建白書のことは容保公の執り成しで手打ちになったはずだ」

「うう、うるさい!みんなうまい事絆されやがって!俺はな、近藤局長を許したわけじゃねえ!」

 歳三は憐れむような目で葛山を見た。確かに、天王山での一件があった時、勇が葛山たちを斬り捨てようとしたのを歳三は止めたが、こんなことならあの時斬られてしまってもよかったのではないかと思った。歳三も、葛山の行為を肯定しているわけではないのだ。

 あの日下山した時、燃え盛る小屋を見て勇は絶句していた。その顔が、歳三の印象に残っている。

『お前たち、何をしておるのだ!』

 勇が血相を変え、葛山の胸倉を掴んだ。

『きょ、局長……!仕方がなかったんです。人数で言ったらこちらが不利だったもんで』

 葛山は、しどろもどろになってそんな風に弁解していた。

『お前は、市中で何が起こっているのか見ていなかったのか!少しの火種が、風に乗って多くの罪なき民を苦しめるんだぞ』

 地面にたたきつけるように、勇は葛山から手を離した。そして、つい先ほど長州藩士を斬ったその刀を抜き、葛山に向けた。

 近藤さん、それ以上はやめろ!と歳三が飛び出して、その場は事なきを得たが――


「残念だ、葛山」歳三は、ポツリと言った。

「か、構うもんか!元より俺はもう新選組こんなところにはいたくねえ!局長だけじゃない、あの女も気にくわん!女のくせに威張り散らしてあんなところまでのこのこ現れて、偉そうな口利きやがって!」

「ほう。島崎がここにいなくてよかったな。顔の形が変わっていたかもしれん」歳三はにやりと笑った。

「な、なんだよ……斎藤さんも島田さんも悔しくねえのかよ!女なんかにあの場を収められたみたいになっててよお!」

「あの人は」

 斎藤は、手早く葛山の両手を縛りながら言った。

「ただの”女”で括れるような人ではない」

「そうだ。島崎さんは、女である前に新選組の副長助勤だ」

 島田も続いた。葛山は悔しそうに口を結んで、それきり何も言わなくなった。


 翌日、葛山武八郎は脱走の咎で切腹した。

 局中法度「隊を脱するを許さず」に違反して切腹を言い渡された、最初の隊士だった。

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