72.勇の思い
数日後。尾関、葛山の賛同も取り付け、六人分の署名がなされた建白書ができあがった。新八と左之助はすぐさま会津藩本陣へと提出した。すると、さらに数日後、新八らには容保直々の呼び出しがかかった。
と、ここまでの事情を何も知らないのが、馬術で褒められてちょっといい気になっているさくらである。
「島崎さん、少しよろしいですか」
斎藤が、さくらの部屋を訪ねてきた。
「どうした?」
招き入れると、斎藤は正座をして折り目正しくお辞儀をした。
「島崎さんには、きちんとご挨拶しておこうと思いまして」
「な、なんだよ改まって」
「俺たちは、会津公に建白書を出しました。近藤局長の態度を改めてもらうために。建白書の内容が正当な訴えと認められれば、近藤局長には腹を切ってもらいます。反対に、間違っているのがこちらだという判断がくだれば、俺たちは新選組を辞めます。もちろんそれは即ち切腹するつもりです」
さくらはぽかん、と口を開けて斎藤を見つめた。話の内容にそぐわない、のどかな小鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。
「いやいやいやいや待て待て待て待て。なんでそうなる?冗談だよな?」
「本気です」
斎藤の目は真剣だった。さくらはゴクリと唾を飲んだ。
「誰がそんなことを言い出した?それと、理由を聞かせろ。なぜそんなものを出す」
茶化したり流したりしては絶対にいけないことだとさくらは思った。試合を受けて立つ時のような真剣な眼差しで斎藤を見据える。
「言い出したのは永倉さんです。俺は永倉さんに誘われて署名しましたが、強制されたわけではありません。最終的には俺の意志です。近藤局長は……あくまで、俺から見ると、ですが」
と、断ったうえで斎藤は話を続けた。
「近藤局長は、自分が、もしくは、せいぜい局長と土方さんや島崎さんが武士になることが最優先。末端の隊士はそれを達成するための駒にすぎない」
さくらは「そんなことあるはずないだろう」と言い返したくなったが、まずは黙って斎藤の話を聞こうと思った。
「永倉さんは、局長がこのところ天狗になっている、と素行のことを言っていましたが、俺が賛同した理由は少し違います。俺は、土方さんか島崎さんが、新選組の顔となって皆を引っ張っていくほうがよいように思います。少なくともお二人は、ご自分ももちろん『武士になりたい』のでしょうが、同時に隊のこともきちんと見据えている。新選組のためを思って行動している。俺にはそう見えます」
何からどう話していいやら、さくらはわからなかった。斎藤がさくらや歳三のことを買ってくれていたのは嬉しい反面、勇のことをそんな風に言われてはさくらまでもが非難されているような、そんな居心地の悪さも感じる。斎藤が話は終わったとばかりに黙り込むのでさくらは「私は……」と切り出した。
「私は――歳三だって――自分が局長になるべきなんて思っていない。斎藤にはわからぬかもしれないが、私も歳三も勇から『武士になろう』と誘われたのだ。農民の歳三が、女子の私が、武士になるなどと本気で取り合うものなど誰もいないような望みを、共に叶えようと勇は言ってくれたのだ。だから、私も歳三も、勇を追い出して新選組の頭におさまろうなどとは、微塵も考えておらぬ。斎藤、考え直してくれないか。勇がいなくなるのも、お前や新八がいなくなるのも、新選組にとっては痛手でしかないのだぞ」
「……島崎さんのおっしゃることはよくわかりました。ですが、建白書はもう取り消せません。この後黒谷に呼ばれているので、そろそろ失礼します」
「斎藤……!」
立ち上がって部屋を出ようとする斎藤に、さくらは尋ねた。
「なぜ私にこの話を打ち明けたのだ」
斎藤は、わずかに口角をあげた。
「島崎さんには、俺を拾ってくださった恩義があります。切腹の前に、ご挨拶を」
斎藤はそれだけ言うと、さくらが制止する間もなく部屋を出てしまった。
しばらく斎藤が出ていった方を呆然と見つめていたさくらだったが、やがてすっくと立ち上がって、追うように部屋を出た。
向かった先は、
「島崎先生?どうしたんですか血相変えて」
馬の世話をしていた周平が目を丸くして声をかけてきた。一緒にいた木内も不思議そうな顔をしている。
「周平、虎丸借りてくぞ。鞍を出してくれ」
「ええっ?でも、まだ町中を走るのは……」
「いいから。歩くよりは速い」
さくらは周平、木内と共に馬の用意を終えると、さっと跨がり壬生村を出た。
***
勇は、針のむしろに座る思いでいた。
容保から、至急黒谷の会津藩本陣に来るようにとお達しがあったのは、昼時のことであった。
何か、よい知らせだと、漠然と、しかし確信していた。最近の働きを認められて、ついに仕官なのでは……?いやはや、先日報奨金ももらったばかりだし。はたまた、馬に次ぐ何か武器でも支給されるのだろうか。
しかし、呼ばれた理由を聞いて、勇は自分の楽観的思考を恥じた。
内容は、勇に近頃の態度を正してほしいという旨の建白書が提出されたというものだった。寝耳に水だった。しかも、面子を聞いてさらに驚いた。葛山や尾関は、先だっての天王山の一件で恨まれているのは想像できた。後から思えば、確かにあれは少しやりすぎた。
しかし、だ。古参の斎藤や島田が。ましてや江戸からの仲間である新八と左之助が。
容保の前で、勇は動揺の色を隠すのが精一杯だった。
「近藤」
「はっ」
容保に名を呼ばれ、勇は
「今からここへ彼らを呼ぶことになっている。そちは隣の間で控えておれ。仲間の声を聞くがよい」
「はっ」
そうして、勇は隣の部屋に移動した。やがて、複数人の足音が聞こえてきた。
足音が止んで少し経つと、容保が話し始めた。
「面をあげよ。永倉、原田、斎藤、島田、尾関、葛山」
「はっ」
「永倉と斎藤は昨年試合を見せてくれたな。そちらに会うのはあの時以来か。書状を読んだぞ。書いてあることは、まことか」
再び「はっ」と返事をしたのは新八だった。
「申し上げます。我らが新選組局長、近藤勇の近ごろの振る舞いは目に余るものがあります。我々の主君はあくまでも殿、そして公方様、帝でございます。近藤勇ではございません。近藤の態度にはそのような前提をわかっていないような節が随所に感じられます。本件に関し、殿のご裁断を仰ぎたく存じます。近藤に非がある場合は近藤に切腹してもらう所存です。反対に、近藤に非はないと殿がご判断されたならば、我々が隊を抜け、腹を切る覚悟にございます」
襖の向こうで、勇はじっと新八の話を聞いていた。怒りなのか悲しみなのかもはやよくわからなかったが、心の臓がざわざわとかきむしられるような心地だ。容保の前だから当然と言えば当然だが、新八が近藤、近藤と自分の名を呼び捨てにするのも、胸のざわつきに拍車をかけているようだった。
勇は、握っていた拳を開き、自分の膝を叩いた。ひとつ、深呼吸。
――飲まれては駄目だ。
新八も、左之助も、江戸にいた頃から共に切磋琢磨した仲間だ。切腹させるわけにはいかない。たとえ自分が切腹するとしても、それは彼らに許してもらってから――許してもらうのが無理でも、せめて納得してもらってから――でないといけない。
襖の向こうから、再び容保の声が聞こえた。
「そなたらの訴えはよくわかった。しかし、この建白書をそのまま受け入れるとなると、近藤か、そなたらか、どちらかが腹を切らねばならぬな」
「はっ、もとよりその覚悟でございますゆえ」
「その覚悟も見上げたものだ。だがな、余はこの件では誰にも腹を切ってほしくはないのだ」
「しかし……」
「永倉、原田。特にそなたらは近藤とは旧知の仲だったそうではないか。新選組を立ち上げた近藤も、永倉も原田も、そしてその志のもとに集まった斎藤たちも、失うにはあまりに惜しい。それにだ。このような問題が浮かび上がったからには、責任の一端は新選組を預かる余にもあるように思う」
「め、滅相もございません……!」
新八が慌てた様子で否定した。
「どうだ。ここはひとつ、余に免じて和解とはいかぬか。彼の者も、反省しておると思うぞ」
勇は再び深呼吸した。
――来た。ここでおれの誠意を伝えねば、せっかく殿が作ってくださった機会が台無しになる。
勇の傍で控えていた侍が、襖を開いてくれた。
新八たちから見れば、まるで舞台の緞帳が開くような光景だったろう。襖が開いた向こうの部屋には、真っ直ぐに彼らを見据える勇がいたのだから。
「近藤さん……」
「新八、左之助、斎藤君に島田君。尾関君、葛山君。本当にすまなかった。君たちをそこまで追い詰めてしまったのは、おれの責任だ……!」
勇は深々と頭を下げた。
「おれからも、頼む。皆とは、まだまだ新選組で共に戦っていきたいんだ。どうしても許せないというなら、おれは腹を切ろう。だが、その前にわかってほしい。おれは、決して皆のことを踏みにじるつもりはなかったのだということを……!」
沈黙が流れた。勇は頭を下げたまま、新八らの反応を待った。着物と畳が擦れる音がした。皆がこちらに顔を向けているのだろう。
「頭を上げてください、近藤さん」新八の声がした。だが、勇は微動だにしない。
「近藤さん、俺らも、こんなやり方して悪かったよ。顔あげてくれよ」左之助も続いたので、勇はようやくおそるおそる体を起こした。
六人は、困ったような、でも優し気な目をして、勇を見ていた。
「皆……おれ……おれは……」
「お待ちくださーい!!」
「ま、待たれよー!!」
足音がする。二人分。聞き覚えのある声と、ない声。
新八らがいた方の部屋の後ろの襖がガラリと開いた。
視線が集まった先には。
「さっ……サク……!?」
「島崎さん!?」
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