71.新八の計画


 戦から半月あまり。

 新選組は、束の間の平穏の中にあった。

 長州藩の人間は完全に京への出入りが禁じられ、見つけ次第捕縛してよい、ということになっていたが、さすがにもう戦意もないようで、残党がちらほら見つかる以外は目立った動きも見られなかった。

 新選組は池田屋や禁門の変での働きぶりが認められ、さらなる体制強化、軍備の強化を命じられた。近く、勇みずから江戸へ戻り、新入隊士を募集することになっている。先行して平助が出発し、目ぼしい人材にあたる予定だ。

 加えて、軍備強化の一環として始まったのが――


「怖がらないでください。落馬したらどうしようと思うから落馬するんです」

 助言したのは、指導係で来ていた神保内蔵助の息子・修理しゅりである。さくらや勇と同い年で、藩主容保からも目をかけられている逸材である。

 新選組には、会津藩から二頭の馬が支給されていた。これまでの活躍に対する報償の意味合いが強いが、緊急を要する事態が発生した時に何かと便利だろうということでいざという時に乗れるよう訓練しておくように、とのお達しがあった。その話を受け、壬生寺の境内では馬術の訓練が行われていた。

「べ、別に怖がってるわけじゃねえけどよ、うわっとっと……!」

 馬上にいた左之助がよろけた瞬間に馬の腹を蹴ってしまった。馬は不機嫌そうにいななくと、前足を上げて走り出した。

「うおおおお、そんなに速く動くなよおお」

「原田殿!落ち着いて!」

 神保は慌てて駆け出した。

「あっはっは!だらしがないなあ、左之助!」

 もう一頭の馬に乗って余裕の表情を浮かべているのは、さくらである。

 やっと左之助の乗る馬をなだめた神保が、息を切らせながらさくらを見た。

「島崎殿は筋がいいですね。馬への恐怖心を払拭するというのは何より肝要ですから。あなたはそこを克服してらっしゃる」

「怖くはないですね。この子、かわいいじゃないですか。なあ虎丸とらまる

 さくらは馬の首筋を撫でた。さくらの乗っている馬は虎丸。左之助の乗っている馬は竜丸たつまるという。


「それにしても、馬に虎とか竜とか名付けるというのはどうなんですかねえ」遠目にその様子を見ていた平助がポツリと言った。

「平助、聞こえるぞ」新八がつっこんだ。二頭の馬の名付け親は、誰あろう島崎朔太郎である。強そうでいいではないかとあっけらかんとして言っていた。ちなみに最初は「鴨丸」と「梅丸」にしようとしたらしいが、歳三の反対に合い却下になったという。

「ぱっつぁーん、平助えー」

 情けない顔をして新八らの元に左之助が戻ってきた。股の辺りを抑えている。

「あー、やっぱ、が痛いんだよなあ」新八は同情するような視線を左之助に向けた。

「さくらちゃんには、この痛みはわかるめえよぉ」左之助が言った。

「でも島崎さんも降りると足が痛いとか腰が痛いとか言ってますよ」

「平助、お前どっちの味方だよ」

「どっちってわけじゃないですけど」

「まあまあ、あまり無理して乗れるようにならなくても大丈夫だぞ。二頭しかいないんだし、左之助たちが実際乗る機会はほとんどないだろうさ」

 三人の会話を隣で聞いていた勇が、にこにこと笑顔を見せながら、割って入った。

「近藤さん……」新八が何か言おうかと口ごもっている間に、勇は言葉を続ける。

「なんにせよ、サクが皆から一目置かれる存在になるのはいいことだ」

 では次は近藤殿、と神保に呼ばれて勇は立ち去っていった。


 馬術の稽古が終わってそれぞれ巡察に出たり空き時間ができたりする中で、新八と左之助の部屋には平助、島田、斎藤が集まっていた。

「近藤さんには、我慢ならん」新八が語気を強めた。

「だよなあ。あの発言、明らかに俺たちを下に見てるよなあ」左之助も同調した。

「あの発言とは」

 島田が眉間に皺を寄せ尋ねるのに、左之助が答えた。

「俺たちは馬に乗る機会もないだろうって。つまりだよ。乗るのは大将だけ。局長と、まあ、二頭いるしせいぜい土方さんくらいしか乗せねえってことだろ。この前の戦のこと思い出してみろよ。馬に乗ったお殿様の周りを家来が囲んで歩いてる図。近藤さんの頭ん中にあるのはそれだ」

「えー、考え過ぎじゃないのか?」島田が首を傾げた。だが、新八がそれだけじゃない、と続けた。

「池田屋の恩賞金。あれだって、近藤さんが一番多く持っていっただろう。あまり金の話はしたくないが、屯所を守った山南さんや、探索に精を出してた山崎が一文たりとももらえないのはどうなんだ」

 新八は「まあ、俺も次いで多くもらってるから説得力に欠けるかもしれんが」と付け加えた。会津から支給された多額の恩賞金は、池田屋に最初に突入した近藤隊、追って入った土方・井上隊の順に金額に序列がつけられ、屯所に待機していた山南らには支払われなかったのである。

「ああ確かに。近藤さん、その金で女を身請けするなんて噂もあるしなあ」

 島田の理解を得たところで、新八がさらに意見を述べる。

「俺たちは同志として上洛したはずだ。確かに、近藤さんの人柄に惹かれて皆が集まったようなところもあるから、近藤さんが局長になったことに異論はない。だが、それはあくまでまとめ役、新選組の顔として役割が与えられているだけで、そこに主従の関係があるわけではない」

「でも、最近の近藤さんはそこを履き違えちゃってんだよなあ」左之助も新八の言説に加わる。

「そこでだ」

 新八はコホンと咳払いをすると、皆の顔を見回した。

「容保公に、建白書を出そうと思う」

「建白書?」島田が尋ねた。

「裁いてもらうんだ。もちろん、命懸けでな」

「命懸け……」平助がごくりと唾をのんだ。

「近藤さんがいかに俺たちを家来扱いしているか、というのを書き出すから、近藤さんが非を認めれば近藤さんには腹を斬ってもらう。逆に、容保公が『このくらいは許してやれ』などと言った場合、近藤さんの態度が改まらない場合にはもうそんな新選組ではやっていけん。脱走する。もちろん切腹になるだろうが構わん」

「俺と新八っつぁんだけだと説得力がねえからよ。お前らを集めたってわけだ」

「なぜ俺を……」斎藤が呟いた。

「そりゃあもちろん、この前の戦の時のことだよ」

 斎藤の問いに答えたのは、新八でも左之助でもなく、平助であった。

「近藤さんが天王山に連れてく方じゃなくて、市中の見廻りを頼んだのは僕とはじめだろ?意識してるかどうかわかんないけど、僕たちが年少者だから大一番の方には連れてってくれなかったんじゃないかな。って考えると、やっぱり永倉さんの言うとおり僕たちのこと同志とは思ってなさそうじゃん」

「だが、藤堂さんは池田屋で近藤隊だった」

 斎藤の指摘に、平助は「うっ」と言葉を詰まらせた。

「でも、やっぱり僕はあの馬発言も聞き捨てならないし、新八さんに賛成する。なんだけど……」

 平助は申し訳なさそうに新八を見た。

「新八さん、ごめんなさい。僕、明後日には出発なんです……建白書に名前だけ書いといて不在っていうのも恰好がつかないから、僕は署名はしないでおきます。でも!新八さんたちが切腹するようなことがあったら、僕も必ず後を追いますから!」

「わかった。ありがとう、平助」

 ここからは部外者なので外しますね、と平助は部屋を出ていった。

 平助が出て行ったのを見送ると、島田がポツリと言った。

「で、なんで俺は呼ばれたんだ?」

「俺とお前の仲だろう」新八がケロリとして言った。

「それだけかよ。まあ確かに言われてみれば新八の意見は的を射てると思うし……わかった、俺も書こう」

「恩に着るよ。斎藤は、どうする?」

「俺は……」

 斎藤はしばらく考え込んだ。

「少し、考えさせてください」

「うん。構わん。大事なことだからな。さて、斎藤が入っても四人か……少し心もとないな」

「新八っつぁん、尾関と葛山は?」

「確かに、あの二人なら今回の趣旨に賛同してくれるかもしれない」

 斎藤がなぜその二人なのかと尋ねた。

「そうか、斎藤は知らないんだったな」

 新八はそう言うと、「実は」と話し始めた。

「この前の出陣の時にあの二人、局長とひと悶着あってな。俺たちはみんな天王山の中に入ってったんだが、尾関と葛山は見張りってことでふもとに残ったんだ。ほら、尾関は旗持ちだし。そしたら長州の残党が飛び出してきたみたいでな。人数に不利もあったことだし、乱闘の末、敵が小屋へ逃げ込んだところに火をつけたらしいんだ。それを見つけた近藤さん、怒って二人を斬り捨てようとしたんだ」

 斎藤が驚いたように目を少し見開いた。新八は話を続ける。

「さすがに土方さんが止めたけどな。今ここで二人も人数を失っても仕方ないし、斬られるに足る理由があるなら戻ってから切腹だって」

「そんなことが……土方さんならともかく、局長は温厚な方だと思ってましたが」 

「まあ間違っちゃいねえけどよ。あの人あれで自分が正しいと思ったら突き進んじまうところあるから。それが最近は裏目に出てんだ」

 左之助の言葉が決定打になったのか、斎藤は「わかりました」と言った。

「俺も署名しましょう」


 その頃、平助は山南の部屋に立ち寄っていた。

「ねえ山南さん、どう思います?」

 平助は、江戸で試衛館に出入りする前に通っていた伊東道場の話をしていた。新入隊士をそこから何人か連れてこられればと思っている。

「伊東先生か……。私は数回お会いしただけだからなぁ。私は平助の目を信じるよ。新選組の今後にいい影響を与えてくれそうだと思うなら、迷わず声をかけなさい。どちらにせよ最後に決めるのは向こうなんだしな」

「そうですね。伊東先生ご本人は、道場もあるから厳しいだろうけどお弟子さんたちの中から文武に秀でた人がいたら、誘ってみようと思います」

 それがいいよ、と山南は微笑んだ。平助はなんだか安心して、なんでも話せるような気がして、山南に質問をぶつけてみることにした。

「山南さんは、近藤さんのこと、どう思います?」

「どうって?」

「いや、なんていうかその、江戸にいた頃と少し変わったかなあって僕は思うから」

「そりゃあ変わるさ。道場主の時は稽古さえつけていればよかったが、今はそれだけというわけにはいかない。ご公儀のために、やらなくちゃいけないことがたくさんあるんだ」

「それは、そうですけど」

 納得いかないと言わんばかりの平助に、山南は微笑んだ。

「大丈夫。近藤さんは根のところでは大きく、筋の通った人だよ。少なくとも私は、近藤局長率いる新選組が好きだよ」

「そっか。僕は……山南さんが、みんながいる新選組が好きですよ」

「なんだか照れるな」

「あははっ」

 平助は「ありがとうございました」と言って立ち上がった。

「気を付けて行っておいで。江戸の皆さんによろしく」

「はいっ。精鋭連れて帰ってきますから、楽しみにしててくださいね」

 二人がゆっくりと言葉を交わしたのはこれで最後となった。むろん、二人ともこの時はそんなことは想像もしていなかった。

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