70.出動・禁門の変
元治元年 七月十九日
約一ヶ月の膠着状態の末、ついに戦端が開かれた。
前年の政変で京を追われていた長州藩は、再びの入京許可を得たい、あの時の汚名を晴らしたい、などの思惑を持って京へ攻め入ろうとしていた。前後して池田屋事件が起き、長州藩の戦意は増すばかり。当初は藩内慎重派の抑えもあったが、いよいよそれも利かなくなった。十九日未明、長州勢はついに京の市中へと進軍を始めたのだった。
新選組は、九条川原から伏見方面に出陣し、長州勢と対峙した。
「新選組、進めーッ!」
勇は檄を飛ばした。池田屋の時は戦というよりも捕り物、急襲という形だったので、今回は初めて本当の「戦」ということになる。今自分たちはここに身を投じているのだと、武者震いがするような心地だった。江戸で道場主をやっていた頃は、およそ想像もしなかった事態である。
夜明けまでは、まだまだ時間がある。提灯や松明の明かりを頼りに、誤って味方を討たぬよう、気をつけながらの戦闘となった。
ここでの戦闘自体はすぐに決着がついた。もともと、より前線に布陣していた大垣・彦根両藩の健闘もあり、敵の兵力は削がれていた。新選組としては、初戦は上々といったところだった。
「ちっきしょ、なんだかパッとしねえなァ」
九条川原に戻る道すがら、歳三がそんなことを言った。他の隊士には聞こえないような小さな声だったが、勇ははっきり聞き取った。
「なんだトシ、急に」
「だってよ。やっぱりなんだかんだ言っても今回は会津の一小隊に過ぎねえ。当たり前だが、池田屋とは違うわな。近藤さんが羨ましいぜ。あの池田屋のただ中にいたんだからよ」
「羨ましい、か。お前の肝の据わりようは若いもんたちに見習わせたいよ。しかし……おれは、この戦もなかなかいい機会だと思う。諸藩の兵がひしめき合う中でおれ達が武功を上げたら、新選組はまた一段と名を上げられるんだ!」
勇が目を輝かせているのを見て、歳三は一瞬驚いたような顔をしたが、その顔は微笑に変わり「そうだな」と応えた。
「それにほら、サクや山南さんの分もがんばらないと」
「そーですよ。島崎先生、とーっても悔しそうにしてましたから」
「総司!勝手に会話に入ってくんなっ!」
「私だって、ちょっとは申し訳ないなとは思ってるんですよ。結果論ですけど」
「何がだよ」
「……土方さんがあの場にいたら、結果は違ってたんじゃないかって。私は途中で倒れてしまいましたから」
勇は目を丸くして総司を見た。
――総司のやつ、そんなことを思っていたのか。
「バカ野郎。こういうのはな、タラレバ言っても仕方ねえんだよ」
「土方さんが最初にタラレバ言ったんじゃないですか!」
「俺のはそういう意味じゃねえ!」
「はいはい、そこまでにしなさい二人とも」
勇が言うと、歳三と総司はバツが悪そうに黙り込んだ。こんな言い合いをしている余裕があるなら、まだまだ安泰だと勇は思った。
十九日の昼間、戦火はついに御所へと移った。
伏見に布陣していた長州勢は撃退できたものの、天王山、嵯峨方面からの勢力は御所へと進軍。そして、仕掛けてきた。
新選組は、会津の兵と共に御所へ駆けつけた。
近づけば近づくほど、音やにおいで、生々しさが伝わってくる。勇は油断するなと皆を鼓舞しながら、奇襲に備えて全方向に注意を払った。
大砲の音に混じって、威勢のいい掛け声が聞こえてきた。
「打てーッ!ひとっりたりとも入れもはん!」
大男だった。いかつい顔をして、周囲の兵にてきぱきと指示を出している。兵たちも「ハッ!」と威勢よく答え、銃や大砲に弾を込め、発射することを繰り返している。
勇は、不思議とその男が気になって仕方なかった。
「神保様、あの方は……」
勇が尋ねると、隣を歩いていた会津藩の
「ああ、あれは薩摩軍で、率いているのは西郷吉之助殿だ。藩内でいろいろあって一時は島流しにも合っていたようだが、手腕を買われて呼び戻されたとか」
「島流しから帰還ですか……!それはまた随分波乱万丈な……」
勇は西郷といわれた男を見た。勇もそれなりに背は高い方だが、さらに頭ひとつ分背が高いように見えた。のちに、直接的にしろ間接的にしろこの西郷によって新選組が苦境に立たされるとはこの時の勇には知る由もなかった。
薩摩軍の奮闘の甲斐あって、長州軍の主力は御所からは駆逐されていた。新選組は、残党狩りに明け暮れた。
「近藤さん!」
駆け寄ってきたのは平助だった。数人の隊士と共に、周辺の探索を頼んであったのだ。
「平助、何かわかったか」
「南側はもう、長州勢もまばらで、戦意のない者がほとんどです。心配いらないでしょう。それよりも、火の手が町の方に広がってしまって、このままだと消し止めるのには時間が……」
「なんだって」
勇は嫌な予感がした。江戸での暮らしも長かったし、火事は見慣れている。多少の火事なら半日もあれば鎮火されるだろう。だが、今日は風も強い。火元だって、ロウソクが倒れたとかそんなかわいらしいものではなく砲弾由来のものだ。何より、もし町が火に包まれるようなことがあれば、先月自分たちが必死に守ったものはなんだったのか。町に火を放とうとしていた長州や土佐の過激派浪士を取り締まったのではなかったか。
そこまで考えたところで、神保に呼ばれた。町の様子も気になったが、今の新選組は会津藩下の一小隊。勝手な行動はできない。
「平助……そのまま市中の様子を見に行ってくれ。斎藤くんと、もう二、三人連れていけ。必要なら島崎や山南さんの手も借りて構わん」
「承知しました」
平助と斎藤がてきぱきと数人見繕って去っていく様子を見つつ、勇は神保のもとへ駆け寄った。神保は真剣な面持ちで勇に告げた。
「これから天王山に行くことになった。ここからだと逆戻りになって悪いが、供を頼むぞ」
「はっ!新選組、総出でお供いたします!」
それから勇は新選組の隊士を一箇所に集めると、コホンと咳払いをした。
「これより、我らは天王山に向かう!そこで長州軍を完全に制圧すれば、この戦はこちらの勝利で終わりだ!今一度気を引き締めてほしい!」
承知!と返事をすると、皆浮かんでいた疲労の表情を振り払い、気合を入れ直した。勇はその様子を感慨深い思いで見つめた。
――新選組は、大きくなった。会津藩と共に戦えるくらいに。おれは……この隊をまとめ、育て、より大きくしなければいけないんだ。
軍備を整えて京を出発、伏見を経由して、山崎・天王山に到着したのは翌々日のことだった。
道中、勇の嫌な予感が的中してしまったことが嫌でも耳に入ってきた。錯綜した情報から正確な範囲は掴み切れなかったが、少なくとも御所の南は大規模な火事になっているらしい。
会津・新選組連合軍は火の手を避け、鴨川以東の道を使って伏見方面へと南下していったのだった。
一行は天王山山麓の
潜んでいた敵の奇襲を受けた、などということもなく、順調に歩を進めていたが、少し開けた場所に出ると、木砲が二門置いてあった。
勇たちは神経を研ぎ澄まし、あたりの様子に注意を払った。木砲はあるが、それを操作する人間の姿は見当たらない。
「木砲は、囮やもしれませんな」勇は隣を歩く神保に声をかけた。
「確かに。だが、油断は禁物であるぞ」
さらに少し進むと、簡素な小屋があり、野営の支度もなされている。ここが敵陣の拠点に違いなかった。
その時、ザザザッと足音がした。一人や二人ではない。
物陰から、小屋の裏から、長州藩士たちが出てきた。二、三十人はいるだろう。他にもいるのではないか、と勇は隊列後方の無事が気にはなったが、今は後ろを振り返っている場合ではない。
相手方の中から、一人の男が進み出てきた。他の者たちとは違う色の少し高級そうな陣羽織を身に着けている。この軍の大将であることは明白だった。勇は刀の鯉口に手をやった。
男は待て、と言いたそうに手を上下に振った。その手には乗るか、とばかりに勇は姿勢を変えなかった。
「ここまで来てしまったか。どこの藩か。せっかくだ。武士らしく、名乗り合った上で正々堂々刀で決着をつけようではないか。私は長州藩、
勇は少し拍子抜けしたような心地がしたが、言われてみれば確かにそうだと思った。「先手必勝、とにかく倒さねば」と思っていた自分が、「武士らしく」という言葉を向こうから言われてしまったことが、恥ずかしくさえなった。
「会津藩、神保内蔵助」
神保が先に名乗った。勇も後に続いた。
「新選組、近藤勇」
その言葉を聞いて、真木は「ほう」と笑みを浮かべた。笑みとは裏腹に、その表情には怒りが滲んでいる。
「その方らが新選組か。池田屋での恨み、ここで晴らしてくれようぞ」
真木は、「皆の者、行けーッ!!」と声をかけた。後ろに控えていた長州藩士たちは、うおおおと声を上げて向かってきた。
今日は浅葱色の羽織は着ていなかったが、会津藩士と比べると貧相な装備をしていることもあり、敵もどれが新選組なのか見分けがつくのだろう。池田屋のことがあったせいか、敵は新選組隊士を集中的に狙ってきた。
だが、今回は人数でこちらが有利。それに、この状況は実質敵側の籠城戦。崩してしまえば、流れはこちらに向いてくる。
敵味方入り乱れて、刀と刀がぶつかりあった。
「近藤先生、大丈夫ですか!」
気がつくと、総司と左之助が戦闘に加わっていた。
「総司!左之助!後ろは平気か」
「ええ、何人か山道に潜んでいましたが、制圧できたのでこちらの加勢に」
「そうか。頼もしい限りだな」
勇がニッと笑うと、総司も照れ臭そうにはにかんだ。左之助は「よっしゃ!」と声を上げると、持っていた槍をぐっと握りなおした。
「あとはこっちで暴れていいよな?近藤さん!」
「おう、頼んだぞ!」
しばらくは、混戦が続いた。刀と刀がぶつかり合う音、時々銃声。長州側の敗色は濃い。主戦場である御所では大方の志士が敗れており、たとえここで彼らが勝ったとしても、もうどうしようもない。
だからなのであろうか。彼らは、最期まで武士たらんと、刀で正々堂々向かってきた。勇は、こちらも本気を出さねば相手に失礼だという思いでもって戦うようになっていた。総司も、歳三も、新八も左之助も、源三郎も、道場での稽古をする時のような、疲れの中にも楽し気な色を浮かべた
敵の人数は半分ほどになった。真木の「いったん退け!」という言葉が響き渡った。
退くといっても、退くような場所はない。生き残った者たちが、真木の後ろに控えただけだ。
「ここまでだ。敵は討てなかったが、我らの同志が、お前たちに一泡吹かせる時も必ず来よう。あの世から見ておるぞ」
そう言うと、真木は地面に正座し、脇差を自身の腹に突き立てた。
それを合図に、残った志士の一人が、木砲を自陣に向けて撃ちかけた。たちまち火の手があがり、勇たちは後ずさりした。
他の十数名の志士たちも、真木を囲うように座り込み、次々と腹を切った。
勇たちは、呆気にとられてその様子を見守っていた。だが、彼らには彼らなりの士道があったのだと、勇は感じた。
勇は片手で合掌の形をとり、目を閉じた。
「敵ながら……見事なご最期」
***
少し時を遡る。
さくらと山南は、炎に飲まれていく京の町をただ見つめることしかできなかった。着の身着のままで逃げてきた人たちが、錯綜する情報を頼りに右往左往している。さくら達がせいぜいできることと言えば、彼らを安全な場所へ誘導することくらいだ。
火は御所近辺を起点に、鴨川を東端として南に、西に、徐々に広がっているようだった。今のところ、屯所のある壬生の方は無事だ。後先のことは考えず、さくらと山南は声を張り上げた。
「こちらはまだ安全です!」
「壬生にお救い小屋が設けられています!右から行けば近い!」
聞いているのかいないのか、藁にもすがりたいと言った表情の人たちが、さくら達の指し示す方向に逃げていった。
だが、火の手もそのうち壬生に迫るのではないかという勢いになってきた。さくらと山南は、屯所の方面にいったん戻ろうとした。
その時、逃げている人々のこんな会話が聞こえた。
「壬生なんて大丈夫なんか。あそこは壬生浪の根城やろ」
「背に腹は代えられへん。壬生浪かてさすがに、無抵抗なもんを斬り捨てたりはせえへんやろ」
「それもそれや。壬生浪に優しゅうされるのもなんや癪やないか。もともとはあいつらが長人さんら斬りまくって恨みでも買ったんやろ。この大火事も壬生浪のせいや」
さくらと山南は黙って顔を見合わせた。やがて彼らの姿が見えなくなると、今まで止めていたかのように息をふう、と吐いた。
「嫌われてますね、私たち」さくらは苦笑いした。
「まあ、今に始まったことではないですから」山南も吹っ切れたような笑顔を返す。
「あーっ!島崎さんに山南さん!」
声のする方を見やると、平助と斎藤が数名の平隊士を引き連れて現れた。
「平助!どうした?皆は?」
「残党を追って南下の軍に加わりました。僕たちは町の様子を見てこいって近藤さんが」
「近藤さん……ちゃんとこちらのことも気にされてたんですね」
山南の言葉に、さくらは誇らしげに頷いた。
どれだけ嫌われようと、自分たちは京の民を守るため、治安を守るためにいるのだ。
「よし。それじゃあ、山南副長。ご采配を」
さくらはニッと山南に笑いかけた。山南は照れくさそうな笑みを浮かべると「では」と少し胸を張った。
「二手に分かれましょう。西側と南側からそれぞれ様子を見て回って。くれぐれも、まずは自分の無事を最優先に」
さくら達は「承知」と声を揃えた。
のちに禁門の変と呼ばれるこの戦は、幕府軍の勝利に終わり、長州は帝に弓引いた朝敵となった。
大勢の民間人を巻き込みながら、三日間にわたる戦闘はここに終結したのである。
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