69.さくらの留守番
元治元年七月
屯所に思わぬ客が訪ねてきた。
応対したさくらは、つい驚いて大きな声を出してしまった。
「そ、
惣兵衛、というのはかつて
「おお、あんたはもしかしてさくらちゃんか!?本当に月代入れてたんだなあ!」
「惣兵衛さん、ここで『さくらちゃん』はよしてください。聞かれたらまずいですから」
声を落として言うさくらに、惣兵衛は「ハッハッ、そいつぁすまなかったな」と笑った。
今は皆出払っている旨を告げてから、さくらは惣兵衛をひとまず自室に案内した。
「惣兵衛さん、どうしてはるばる京まで」
「俺は今多摩のみんなを代表してきてんだ。新選組の噂は江戸にも聞こえてきてる。それで、先月すごい事件があったって聞いたからさ。勇から便りは来たが、実際様子を見てこいって。あと、養子まで勝手に決めちまったんだろ?その辺も、周斉先生から聞いてこいって頼まれてんだ」
これはさくらも初耳だった。どうやら周平のことは事後報告だったらしい。なんとなく自分にも責任の一端があるような気がして、バツが悪くなったさくらは話題をそらした。
「父は息災ですか」
「おお、変わりないけどさ、やっぱりさくらちゃんや勇がいなくなって寂しそうだよ。一回帰ってやったら」
「そうですね……ですが、今はここを離れるわけにはいかないんです」
「まあ忙しいのもわかるけど。それにしても、勇たちはどこにいるんだ?なんでさくらちゃんだけ残ってる?」
「惣兵衛さん……その話、聞きますか……?」
「なんだ、長くなるのか」
長いですけど、と前置きして、さくらは池田屋の話も含めてここ一ヶ月ほどの出来事を話し始めた。
新選組の外にいる惣兵衛にだからこそ、さくらは少々愚痴も交えながら饒舌に語った。
今、大多数の新選組隊士は出払っている。鴨川沿い、九条川原に駐屯し陣を敷いているのだ。池田屋の件で触発された過激な長州藩士たちが、京の周辺に布陣したことに端を発する。
そんな中、さくらはずっと壬生にて留守番である。いろいろと、不運が重なった。
池田屋での大捕り物が終わった後も、無傷の隊士たちは残党狩りに励んでいた。あの時池田屋にいた人間以外にも市中のあちこちに仲間が潜んでいるという話で、探索には会津の藩士も加勢していた。さらにそのうち何人かは、報復・敵襲に備えて壬生の屯所に詰めてくれていた。
「サク、まずいことになった」
と、歳三が白い肌をさらに青白くさせてさくらの部屋に現れたのは、新たな会津藩士が数人新選組に加わった日だった。
「何が」
「今日来た会津藩士の中に、山浦さんがいる」
「山浦さん?」
「覚えてねえのか。お前が遊女に扮してた時にいた二人のうちの一人だ」
「あっ……」
さくらは記憶を辿った。直接会話をすることなくあの場を退場したものの、「天神・桜木」は山浦にばっちり姿を見られている。
「山浦さんは八木さん
「出るなって言っても……」
「とりあえず足の怪我を理由にしとけ。俺はこの後、
それだけ言って、歳三はそそくさと出ていってしまった。
さくらも、まずいことになったと思った。事の重大さは理解しているつもりだ。
浪士組の時はなんとか屁理屈を重ねて正体がバレても乗り切ることができたが、対会津においてはそうはいかない。「ならぬことはならぬ」の掟もあることだし、女と知れたらよくて離隊、悪ければ切腹だろう。
今歳三が口にした「柴さん」というのも、会津武士の士道を体現したような人間だった。
数日前、清水寺にほど近い料亭・
だが、実際には不逞の浪士や長州の残党が集まっていたというわけではなく、土佐藩士らが会合を開いていただけであった。池田屋で討たれた北添や望月のような反幕派の浪士ではなく、れっきとした藩士たち、味方である。
というのはあとでわかった話で、その時は一人の藩士が現場から逃げるような素振りをしたため、怪しいと判断した柴が槍で突いたのだ。
怪我をした藩士は
この顛末を受け、柴は「土佐藩とはこれからも協力していかなければいけない以上、謝って終了、というわけにはいかなくなってしまった。責任を取って自分も腹を切る」と言って本当に切腹してしまったのだ。
自分の命ひとつで藩同士の軋轢が回避できるなら、という柴の行動に勇や歳三はいたく感服し、隊士たちに「士道とはああいうものだ。皆、柴さんの心意気を見習うように」と説いて回るほどであった。
とにかくも、武士というのは時にあっけないともいえる切っ掛けで切腹に追い込まれることもあるのだ。島崎朔太郎が女と知れたら、会津藩は黙ってはいないだろうというのは容易に想像できた。
かくして、さくらは表向きは足の怪我を理由に、事実上の軟禁生活に突入した。
それから数日後に情勢は変わった。
長州藩の軍勢が、京を囲むように陣を敷き始めた、という情報が入った。主な場所は嵯峨、伏見、天王山の三か所だ。
新選組は会津藩と共に伏見の長州勢に対峙するべく、九条川原に布陣することになった。
この頃さくらは、池田屋で負った足のケガもほとんどよくなり、出陣するには支障もなかった。くだんの山浦も屯所を離れていたのだから、気兼ねする必要もない。
だが、さくらには皆と一緒に出陣できないもう一つの事情があった。
ここからは惣兵衛に話す際は割愛したが、さくらにとってはこの「もう一つの事情」のおかげで出陣できない苛立ちが増すことになる。
さくらは数日間、屯所を出ないどころか自分の部屋すらもろくに出ない日があった。
「島崎先生、食事お持ちしましたけど、どうします?」
さくらが部屋で瓦版を読んでいると、襖の向こうから総司の声がした。総司も、大事をとってもう少し屯所にいろと勇や歳三に命じられ、留守番組のひとりとなっていた。
「そこ置いといてくれ」
「月のものって、いつ終わるんですか?」
「お前、そんな明け透けな……まあ、明日には終わる」
「そうしたら、一緒に出陣しましょうねっ!」
嬉しそうな声がしたかと思うと、パタパタと足音が去っていくのが聞こえた。
さくらは総司がいなくなったことを確認して、襖を開けた。ぽつん、と膳が一つ置かれている。
新選組に出動命令が下ったまさにその日、さくらは嫌な予感がしていた。近いうちに、来るのではないかと。
表向き怪我を理由に「後から追いかける」と言ったが、まさに皆が出動してしまった二日後に、来た。
こればかりは、江戸にいた頃からキチの教えを守っていた。穢れているので、なるべく人目に触れてはいけない。特に男子と同じ空間にいるべきでない、というものである。
なんとなく一定の周期でさくらが表に出てこない期間がある、という事実は「島崎朔太郎は女子説」を裏付けるものだと察しのいい隊士らは気づいていただろうが、公に口にする者はいなかった。もちろん、勇、歳三、源三郎、総司だけは事情を知っていて、こういう日は歳三が上手い具合に「書簡の検め」とか「名簿の複写作業」「非番」あたりをさくらに振っていたのである。
今回も総司に口裏を合わせてもらい、さくらはほとんど誰とも顔を合わせず過ごしていた。
「はあ、よりによって……」
さくらはお椀の蓋を開けて味噌汁をすすった。出来立てを持ってきてくれたようで、じんわりと温かいものが喉を通っていく。
こんな時、女子の体というのはなんと不便なのかと思う。子を産むつもりもないのだから、本当にただただ無駄な血を流しているだけである。
いよいよ合流を翌日に控えたさくらと総司は、山南の部屋で知らせを待っていた。新選組が今どこでどうしているか、敵味方の情勢はどうなっているか。早く知りたくて、三人ともそわそわと落ち着かない様子だった。
「山南さんー。そも、なんで怪我してた平助や永倉さんは出陣できて私は留守番だったんですかー」
総司はことあるごとにそんなことを言っていた。私はもうぴんぴんしているのに、と。
「平助や永倉くんは、わかりやすく怪我がよくなれば大丈夫、となるだろう。だが沖田くんは、結局どうして倒れたのかわからないのだから、安静にしておくに越したことはないということじゃないかな」
「だからあ、それは暑気あたりだって言ってるじゃないですか」
「『恐らく暑気あたりだろう』と医者は言ったんだ。総司、あんまり屁理屈こねると餓鬼くさいぞ」
「屁理屈はどっちですか!自分の体のことは一番よくわかってるんですー」
「まあまあ、さくらさんも沖田くんも明日には出陣なんだからいいじゃないか」
それを聞いて、総司はハッとしたような顔をして気まずそうに俯いた。
「まあ、そうですけどね……」
池田屋に続き今回も参加できる見込みのない山南を前に、さくらも総司もぶつくさ言っている場合ではないと悟った。
するとその時、待ちわびた人物が来た。
「島崎はん、沖田はん、いてはりますか」
さくらが「いるぞ。入れ」と答えると、障子が開いて山崎が現れた。
山崎は三人にここまでの戦況などを報告した。まだ戦らしい戦は始まっておらず、引き続き新選組は九条川原で待機をしているらしい。一通り話し終えると、山崎はこう言った。
「明日は沖田はんだけ、局長たちの隊に合流してください」
さくらは驚いて、すぐに「なぜだ?私は留守番してろというのか!?」とくってかかった。山崎は黙って頷いた。
「土方副長の命です。新選組と行動を共にしている会津の小隊長が神保はんという方で、島崎はんはおなごの顔が割れているからと」
それを聞いて、さくらはたちまち勢いを失った。山崎につかみかからんばかりの体勢を立て直し、小さくなって咳払いをひとつ。
「……それなら、仕方ないな」
「今回は、”おなご”が完全に裏目に出ましたなあ」山崎がニヤリと笑った。
「うるさい。どの道屯所の警護に多少は人数を割かねばならんだろう。それを引き受けるまでだ。総司、明日は一人で行ってこい」
総司は若干寂しそうな表情を浮かべ、「わかりましたあ」と少し気のない返事をした。
山崎の言う通り、今回ばかりは「おなごであること」が完全に不利に働いた。つくづく、「桜木天神」は失敗だったと思い知る。
さくらは出陣を潔く諦め、屯所での留守番延長を決め込んだ。
――待てよ。ということは……?
屯所には、山南とほぼ二人きりである。
嬉しいような気まずいような。こんなことでもやっぱり自分はおなごだと痛感するさくらなのであった。
もっとも、惣兵衛の来訪によって「ほぼ二人きり」の生活はあっけなく終了したのだが。
「……と、いうわけで、私は女の姿を会津の方に一度見られてるので念のため出陣せず待機することになったんです」
「へええ、さくらちゃん、女の身でよくやってるなあ。それにしても、とりあえずみんな元気そうでよかったよ」
惣兵衛は感嘆の息を漏らしてさくらを見た。さくらも、出陣できないもどかしさを吐露することができてなんだかすっきりした。
ひとまず、勇の顔を見ずには帰れないということで、惣兵衛はしばらく屯所に滞在することになった。
そして数日後、ついに事態が動き出した。
もはや山崎もわざわざ屯所に状況報告をしに来ている場合ではないようで、全容は掴めなかったが戦の火蓋が切られたのは明白だった。壬生村から直接何かが見えるわけではないが、かすかにドン、ドン、と砲弾が飛ぶような音がする。
さくら、山南、惣兵衛は急いで表通りへ出た。遠くの方で、煙が上がっているようだ。
近隣住民から漏れ聞こえる話で、御所の方から火が出て、風に乗って広がっているという情報をさくら達は掴んだ。
「まさか、御所で戦が……?」山南は青白い顔で空を見つめた。
「山南さん、行きましょう!」
「さくらさん!?行くって、どこへ?」
「町に火の手が上がってるんです。隊に合流はできないかもしれませんが、せめて様子を見るだけでも!」
「……そうですね。私たちにできることをしましょう。新選組の仕事は、京の治安維持ですからね」
「というわけで、惣兵衛さん、留守番お願いしますね!」
「ええ!?俺がいたって何の役にも立たねえぞ?天然理心流だって目録止まりだし!」
「なんとかなりますって!もし無事に屯所を守り切っていただけたら目録の次までいけるように勇に掛け合ってみますから」
調子いいこと言って、と文句を垂れている惣兵衛を残し、さくらと山南は町へと駆け出した。
「なんだか、こんな風に外を走るのは久しぶりだ」
そう言った山南の顔を見ると、清々しさすら感じられた。さくらもなんだか嬉しくなって「がんばりましょうね」と声をかけて山南と並走した。
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