67.ながい、ながい夏の日 ―夜(前編)



 夜になって少しは涼しい風も吹いてきているが、防具を身に着け浅葱色の羽織まで着ているのだから、暑い。早いところ見つけてお縄にしたいところだ。

 さくら達「近藤隊」は早々に鴨川を渡り、旅籠はもちろん商家に至るまで虱潰しに探して歩いた。もちろん闇雲に当たっていたわけではなく、普段から長州贔屓とされる店を中心に探していたが、何しろこのあたり一帯長州贔屓ばかりで、結局は地道に探すしかなかった。

「主人はいるか!御用改めである!」

 先陣を切って旅籠の戸を開けるのは奥沢である。

「なんやこないな時間に!寝てる客もいてんのやで、起こしてまうやろ!」

 どちらの声が寝た人を起こすのだと反論したくなるような声で主人に怒鳴られ、「帰った帰った!」とピシャリと戸を閉められる。

 奥沢が小さく「失礼致しました……」と引き下がるのを、さくら達は背後から見守っていた。これで十回目。いや、まだ八回目くらいだったかもしれない。とにかく、入るところ皆こんな調子で、連中の居場所を突き止めるのは到底不可能にも思えてきていた。

「奥沢くん、少しやり方を変えようか」勇が苦笑いして言った。

「しかし局長……!」

「君の覚悟と心意気は十分伝わった。だが、これでは見つかるものも見つからない」

 そこで、一行は明かりが点いている店を優先的に当たり、いきなり喧嘩腰で入るのではなくまずは穏便に検めていこうということになった。

 それでも、なかなか見つからない。遠くから鐘の音が聞こえた。祇園の会所を出発してから、一刻が経っていた。

 段々と、「どうせ次もまたハズレ」という空気が漂う中、さくら達はとある旅籠の前に立ち止まった。

 表の看板には池田屋、と書いてあった。二階から明かりが漏れている。詳しく調べようということになり、隣の旅籠との細い隙間にさくらと総司が入った。

 芝居の舞台よろしく、暗い方から明るい方はよく見えるものだ。涼を取ろうとしているのか、窓が開け放されている。その窓からのぞく顔に、さくらは見覚えがあった。土佐の浪士・望月亀弥太である。

「総司、当たりだ」さくらは小声で言った。総司は「いよいよですね」と答えた。

 さくらは心の臓がドクドクと脈打っているのを感じた。芹沢を襲撃した時のことを、ふと思い出した。

 勇に報告すると、突入の前に配置を決めようということになった。手分けして両隣の旅籠から池田屋の間取りを聞き出し、ついでに「少々騒がしくなるかもしれませんので、今のうちにどこかへ逃げておいた方がいいですよ」と勧めた。


 結果、武田ら二名が表玄関、奥沢ら三名が裏口に回りそれぞれ出入口を固めることになった。そして勇、総司、新八が先陣を切って突入し、さくら、平助、周平が第二陣として追うことに決まった。

「主人はいるか。御用改めである」

 勇の低い声が響いた。

 奥からドタバタと足音がして、主人と思しき中年の男が現れた。男は「新選組!?」と驚いた顔を見せたが、すぐに商売用の笑顔を取り繕った。

「へえ。こんな時間になんでっしゃろ。お泊りのお客さんにも迷惑になりますさかい。明日の朝出直していただくわけにはいきまへんやろうか?」

「ご主人、こんな時間に来ているのには意味があるのですよ」勇は口角を上げて笑みを見せたが、その目は笑っていない。

 勇はずかずかと中へ入っていった。総司と新八も後に続く。

 主人は狼狽した様子を見せたが、やけっぱち気味に階段に向かって走ると

「お二階の皆様!新選組でございます!」

 と呼び掛けた。

 黒だ。勇は目の前の階段を上っていった。


 さくら、平助、周平はその様子を入り口の外から見ていた。

「よし、我々も行くぞ」

 さくらの声掛けに、二人は頷いた。すでに物音が聞こえてきている。三人は中へ入った。

 勇たちは正面の階段を上がっていったが、さくら達は一目散に奥の階段へと向かった。ウナギの寝床と呼ばれる細長い構造の建物には、二つの階段があったのだ。

 くそっ!と声がして階段を下りてきた男とかち合った。すかさず平助が対峙し、刀と刀のぶつかり合う音が響いた。続いてその背後からもう一人現れ、こちらはさくらが請け負った。

 廊下が狭く、思うように刀が振れない。さくらは比較的広い炊事場まで後ずさりし、敵と対峙した。

「くそっ!壬生浪め!」

 さくらは向かってくる男を下段から斬り上げ、脚に深手を負わせた。男はバタリとその場に倒れた。さくらは男を放置し、奥の階段へと向かった。敵の総人数がわからない以上、いちいちトドメを刺すのではなく、なるべく大勢の動きを封じて制圧した方が得策である。

 上階からはドタバタと激しい物音がする。勇たちの様子が気にはなったが、今は目の前の状況に冷静に、迅速に向き合うしかない――


 二階では、勇と総司が迫りくる敵を斬り伏せていた。

 明かりは消され、真っ暗である。開け放たれた窓から入ってくるわずかな町明かりだけが頼り。後は自分の目を慣らしていくしかない。

「総司、大丈夫か!」

「ええ、羽織を着てきてよかったです。夜目にもわかりやすいですから」

 確かにな、と言って勇は顔の汗を拭った。明るい浅葱色の羽織は暗闇の中でも見分けがついた。同士討ちを避けるのにもってこいだ。

「新八は?」

「一階に逃げた奴を追っていきました」

「そうか。ではここは二人で乗り切るぞ」

「はいっ」

 二人はそれぞれ建物の端を目指して駆けた。向かってくる者よりも、逃げようとする者が多い。勇は裏庭に逃げようとする男を追いかけ、背中から一太刀浴びせた。

 すぐに他の敵はどこかと当たりを見回す。段々と、目が慣れてきた。

 目の前の部屋から、人の気配がした。一人ではなさそうだ。

 思い切って、襖を開けた。中には、抜刀した男が四人いた。

「お前たちの計画は知れている!大人しくお縄につけば命までは取らぬ!だが、手向かいするなら容赦なく斬り捨てるぞ!」

「死ね!壬生浪!」

 男たちは、手向かいを選んだようだ。だが、部屋の間口は狭く、四人いっぺんには出てこられない。二人、先に踊り出た。勇は一人目の太刀を受け流すと、隙を見せている二人目の腹に突き技を食らわせる。すぐに抜いて一人目の肩に一太刀浴びせ、その動きを封じた。

 残りは二人。部屋の中に入り、壁に背を向けながら三人目を下から切り上げ、返す刀で四人目の腕を斬った。

「ハア、一体、何人いるんだ――」

 勇は一旦懐紙で刀を拭い、続いてごしごしと顔の汗も袂でふき取った。


 さくらは階段奥の八畳間に向かった。八間(天井照明のこと)が点いているようで、明るい光りが漏れている。敵の姿も見やすいが、自分の姿も見られてしまう。気をつけなければいけない。

 刀を構えて部屋に入った。すでに何人かが倒れている。虫の息の者、息絶えている者――。そして、目の端に浅葱色がちらついた。平助だ。押されている。顔中に汗をかいていたのもあり、乱闘の末か鉢金がずれている。

「平助ッッ!!」

 さくらが叫んだ。敵が振り下ろした刀が平助の額を捉えたのだ。

「さ……島崎……さん……」

 平助はその場に崩れ落ち、はあはあと苦しそうな息をしている。すぐに死ぬようなことはないだろうが、助けに行かねばならない。だが、目の前には敵が立ちはだかっている。

 平助を斬った男は、ゆらりと体の向きを変え、さくらの方に向けて歩いてきた。男も無傷ではなく、平助とほぼ互角に戦っていたようだ。

「お前は……」さくらはつぶやいた。北添佶摩であった。

「なんじゃ。わしのことを知っちゅうがかえ」

 息を切らせながら不思議そうな顔をしていた北添の表情は、あっと何かを閃いたような顔をした。

「前に島原で飲んだ時、桂さんが言うちょったきに。普通じゃなか手をした女中がおったけ、気ぃつけやって」

「手……?」

「相当剣術の稽古をせんとああいう手にはならんという意味じゃ。まさかおなごのふりして潜入しちょったいうん、おまんか」

 さくらは刀を握る自分の手のひらを一瞬見やった。無数のタコができては消え、またできては消えていった跡がくっきりと残っている。桂小五郎の洞察力、侮りがたし。

 さくらは北添の目をじっと見た。一撃で決める。そう決めたから、平晴眼に構えた。そして「残念」とつぶやいた。

「おなごのふりをしていたのではない。私は女だ」

 一歩、二歩、三歩目でがっと踏み込んだ。あっという間に間合いに入ったさくらは刀を握った両手を真っすぐ前に突き出した。

 うっと、声にならない呻きが聞こえた。北添はやや左後ろに避け急所は外れたが、腰に刀が突き刺さっていた。

 さくらは頬に生暖かい返り血が飛んでくるのを感じつつ、刀を抜いた。北添はぜいぜい、と息をしながら崩れるようにその場に座り込んだ。

「はっ、わしゃあ、お前にやられたわけやないきに。残念じゃったのう」

 北添はそう言って座りながらも刀を掲げた。さくらは身構えたが、その刃は北添本人に向かった。討ち死により切腹を選んだ彼の最期を、さくらは複雑な思いに駆られながら見つめた。

 北添がついにドサリと畳にその体を横たえると、さくらは平助のもとへと駆け寄った。

「平助、平助!大丈夫か?生きてるか!」

「島崎さん……大丈夫です。そんなに深くないみたいで」

 口ではそう言うものの、目がうつろになっており、これ以上戦うのは無理だろうとさくらは思った。どこか安全な場所で休ませたかったが、今この池田屋の中に安全な場所などないに等しかった。

「僕はここで大丈夫ですから、島崎さんは行ってください。他の皆も心配ですし」

 確かに平助の言う通り、他の面々も心配だ。特に、一緒に突入した周平はどうしただろうと思い、さくらは「すまぬ、平助」と言って戦線に戻っていった。


 さくらが土間の方へ戻ると、周平が敵と対峙しているところだった。前の敵に気を取られて背後から来ている男に気づいていない。さくらは「周平!」と叫んで一足飛びに男の背後に駆け寄り、一太刀浴びせた。男は呻いてさくらの方を振り返った。普通ならとても立っていられる状態ではないはずだが、男は目をぎらぎらとさせてさくらに向かって刀を構えた。

 ――迂闊には動けぬな……

 さくらは男の気迫に気圧されないように、平晴眼に構えてしばらく指一つ動かさなかった。が、視界の端では周平の姿も捉える。

 さくらに気づいた周平は「島崎先生!」と声を上げると一瞬気が抜けたのか相手に間合いを詰められた。鍔迫り合いに持ち込んだが、力負けしそうである。周平はあえて横に飛び退き、しゃがみこんで下から相手の足を斬った。さくらはその様子を見届けると、目の前の敵に集中した。

「おのれ……壬生浪……」男が一瞬ぴくりと動いた。来る!と踏んださくらは相手よりも早く間合いに入ろうと動く。しかし、あろうことか先ほど背中を斬った時の血だまりに足をすべらせ、尻餅をついてしまった。その拍子に刀も手放してしまった。

 急いで刀を掴もうとするが、もちろん男もその好機を逃す程馬鹿ではない。刀を思い切り振り下ろしてくる。さくらはなんとか体をよじらせて避けようとしたが、今までで一番、死を近くに感じた。

 だが、男は目の前で体勢を崩し、その場に倒れた。背後には周平がハアハアと息を切らせて立っていた。

「周平、お前……」

「大丈夫ですか、島崎先生」

 周平が背中にトドメの一撃を与えたらしい。さくらは安堵のあまり立ち上がれなくなってしまった。

「はあ、助かった。恩に着る……」

「お、お怪我は……」さくらを助け起そうと周平が数歩駆け寄ってきた。「大丈夫だ」と答えつつ、さくらも周平の様子を確認した。かすり傷は負っているようだが、まだ無事のようだ。

「周平……土方隊に知らせに行け……たぶんまだ誰もあちらに行く余裕はなかったはずだ……」

「そんな……!敵はまだ大勢います!私だけ先生たちを置いてはいけません!戦います!」

「よく考えろ!」

 さくらの一喝に、周平は驚いたように表情をこわばらせた。

近藤隊私たちだけでは限界がある。状況をよく見ろ。今は、新選組として勝たねばならんのだ。お前が歳三たちを連れ戻ってくるまで、必ずこの場は死守するから……!行ってくれ!」

 周平は唇をぎゅっと結ぶと、こくりと頷いた。

「ご武運を!」

 そう言って、周平は表口に向かっていった。

 さくらは息を整えると、次なる敵を探しに駆けた。


 総司は、一人きりで二階を守っていた。

 勇も新八も下に逃げる敵を追っていってしまった。これ以上敵を下に行かせぬよう、総司は階段近くに陣取っていた。すると、すぐ隣の部屋から物音がした。総司はすぐさま部屋に入る。だが、誰もいなかった。なんとなく嫌な予感がして、押し入れの襖に手をかける。中には、男が一人潜んでいた。

 総司はバッと後ろに飛び退いた。押し入れの中から出てきた男は、すっと刀を構えた。総司も、平晴眼の構えを取る。

「お前、名をなんと言う」男は静かに尋ねた。

「そんなこと聞いてどうするんです」

「名も知らん者に同志がやられたと報告するわけにはいかん」

「……沖田総司」

「吉田稔麿」

 来る、と総司は思った。だが、次の瞬間、体に違和感が走った。足に力が入らない。その場にドサっと膝をついてしまった。

 ――なんだ……?これは……?

 視界がぼやけてくる。暗闇のせいだけではなさそうだった。煌めく白刃だけが目の端に留まった。ああ、私はここで死ぬのだ、と思った。

 だが、キン!という鋭い音で総司の意識はハッと戻った。目の前には浅葱色の羽織がはためいていた。吉田の手首からは血が流れている。

 吉田はチッと悔しそうに舌打ちすると、部屋を出て建物の真反対に向かって駆けていった。

「あっ、くそ、逃げやがって!」

 その声で、総司の窮地を救ってくれたのは新八だとわかった。永倉さん?と声をかけると、新八は総司の前にかがみこんだ。

「大丈夫か?」

「ええ、傷は負ってないのですが……いかんせん頭がぼうっとして、立てないみたいです……永倉さん、どうしてここに?」

「近藤局長が裏庭で奮戦している。ってことは二階は総司一人かと思ってな。助太刀に来た」

「さすが、武士の勘ってやつですかね。間一髪でしたよ」

「お前はここにいろ。周平が土方さんたちを呼びに行ったらしいから、まもなく到着するだろう」

 総司は「すみません、面目ないです」と言うとその場にばたりと倒れた。

「そうだ、死んだふりしとけ。その方がむしろ安全だ」

 新八はニッと笑うと部屋を出た。

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