66.ながい、ながい夏の日 ―昼
さくらは重い足取りで山南の部屋に向かっていた。同室の源三郎は今巡察に出ているので、部屋には山南一人きりのはずだ。
島原で「桜木天神」として山南たちの前に現れてからというもの、二人きりで何かを話すのは初めてだ。必要事項を話してさっさと退散するだけといえばそうなのだが、やはり気まずいものは気まずい。
「山南さん、いらっしゃいますか」
どうぞという声に反応し、さくらはゆっくりと襖を開けた。
「さくらさん、何かわかりましたか」
山南は書簡に目を通していたが、さくらに視線を向けると、話を聞きたそうに身を乗り出してきた。さくらは、勇に話したこと、また、歳三たちがもたらした情報を一部始終話した。
「局長は、すぐに黒谷に行くとのことです。山南さんにも同行願いたい、と」
「私でよければ喜んで、お供しましょう。……それにしても、まさか彼らがそこまで計画しているとは」
「はい。こんな馬鹿げた計画、絶対に阻止しなければなりません」
「もちろんです。会津公に掛け合って、応援を寄越してもらいましょう」
「よろしくお願いします」
では私はこれで、とさくらが立ち上がろうとすると、山南は「さくらさん」と呼び止めた。
「お手柄でしたね」
「何の件でしょうか……」
「これ」
山南は、先ほどまで目を通していた書簡をさくらに見せた。「亀」と署名がしてある。さくらが島原で目撃した土佐の浪士・望月亀弥太のものと思われる書簡だ。さくら達が、先刻内容を検めていたものである。
「山崎君から聞きましたよ。あの時そうじゃないかと思っていましたが、島原に潜入していたんですね。さくらさんが彼らと長州の関わりを突き止めてくれたからこそ、今回いろいろな点が線で繋がったんでしょう」
「いえ……島原に潜入していたのは確かですが、あの現場を目撃したのはたまたまですし……それに」
さくらは一瞬迷ったが、言葉を続けた。
「明里さんが、協力してくださいました。……今にして思えば、明里さんは、山南さんの役に立ちたかったんだと思います」
「明里が……?」
山南は驚いたような、少し嬉しそうな、そんな様子を見せた。そして次には「しまった」というような顔をした。その変遷が少し可笑しくて、さくらは笑みを零した。
「お馴染みさんなんでしょう」
「ああ、さくらさんに隠し立てしたところで、無駄ですよね……。まあ、恥ずかしながら。……今度会ったら、礼を言っておきますよ」
「では、私からもよろしくお伝えください」
今度は止められないように素早く立ち上がると、では、とさくらは部屋を出た。
さくらは一旦自室に戻った。次の指示が入るまでまだ時間がかかるだろう。少しだけ休んだら、斎藤を追いかけよう。
部屋のど真ん中にべったりと座り込むと、さくらはふう、と息をついた。
「やっぱり……きっついなあー……」
明里のことを話す山南の態度は、まるで妻の話でもしているような様子だった。
「何も、変わらない。今までと、同じだ」
だから、自分の気持ちを無理矢理封じ込めることはやめよう、とさくらは思った。
さくらはふと、部屋の隅に置いてあった鏡に映る自分を見た。総髪を髷に結ってある。しばらくは女装でどこかに潜入することもないだろうから、近々また月代を入れようか、などと思った。
七つ(午後四時)頃、黒谷の会津本陣から戻ってきた勇と山南によって、全隊士が大部屋に集められた。全隊士といっても、せいぜい四十名足らずだ。
まず、勇が今日起きたことを全員に説明した。朝捕縛した男は古高俊太郎といって長州、土佐、肥後などの各藩士、浪士と繋がりがあったということ。連中は御所への火付け、帝の連れ去りといったとんでもない計画を立てていること、武器を奪還しに来た人物がおり、向こうはすぐにでも計画を実行に移す恐れがあるということ。
病がちで寝込んでいたもの以外は、多かれ少なかれこうした情報をすでに知っていたので、少しざわつく声はあったが、部屋はすぐにしんと静まり返った。
「動ける者は、平服で三々五々祇園の会所に集合して欲しい。桝屋が長州藩邸の至近だったことを考えると、連中はやはりあのあたりにいる可能性も高い。会津藩、ならびに見廻組の応援も頼んである。全員集まり次第、市中を虱潰しに捜索する!」
承知!と全員が声を揃えた。いつにない緊張感が場を包んだ。その空気の中、口を開いたのは山南だった。
「体調がすぐれない者、病み上がりの者は私と共に屯所の守りを固めることになります。万が一、屯所に刺客が来た時は応戦することになるので、その心づもりで」
続いて、歳三が屯所に残留する者の名を読み上げていった。呼ばれた者たちはただでさえ悪い顔色がもっと悪くなるようであった。
「山南副長たちが剣を振るわなければならないという状況は、最後の、最悪の状況と捉えてほしい。下手をすれば、八木さんや壬生の人たちにも危害が及ぶ。そうなる前に、奴らを一網打尽にする」歳三が言った。凄みのある声色は、再び広間の雰囲気をぴりりとさせた。
「そうそう。平服で、とは言ったがな」勇が切り出した。
「皆、防具や装備はきちんと忘れずにな――羽織を持ってきてもいいんだぞ」
それが、最近ではほとんど誰も着ていない「浅葱色のだんだら羽織」のことだと、さくらを含む古参の隊士はすぐに気づいた。
――芹沢さんを、連れていこう。
さくらは、ふとそんなことを思った。立ち上がって隊士たちに呼びかける。
「持っていない者は、物置部屋の押し入れを探せ。皆で着ていこう。新選組、ここにありと見せつけようではないか」
視界の端に、総司や源三郎、左之助が楽しそうに微笑んでいるのが見えた。
「よし、それでは、皆一旦解散!」
それから約一刻が経った。
さくらは一人で祇園の会所に到着した。八坂神社の大きな鳥居がすぐ目の前に見える。祇園祭りの宵々山というだけあって、まもなく日が沈むというのに人波が引く気配はなかった。
会所には、すでにほとんどの隊士が集合していた。
「すまぬ、遅くなった」
「島崎先生、大丈夫ですよ、まだ時間はありますから……って、どうしたんですかそれ」
近くにいた総司が出迎えざまに、驚いてさくらを見た。
「はは、少し……気合を入れようと思ってな」
会所の大部屋に入ると、さくらを見て皆総司と同じ反応をした。
「おお、島崎さん、それ久しぶりだなあ!」左之助が陽気に声をかけた。
「なんだか懐かしいくらいですね」新八も言いながら笑顔を見せた。
さくらは、祇園に来る前にタミの髪結処に立ち寄り、月代を入れてきたのであった。
諸士調役としてではなく、今日は新選組・副長助勤として捕り物に出るのだと、さくらは自分を奮い立たせた。
***
その頃、黒谷の会津藩本陣では、容保を前に数名の藩士が喧々諤々、議論を繰り広げていた。
「殿、新選組は祇園の会所にすでに詰めているとのことです。我々も早いところ援軍を派遣した方が……」
「広沢、近藤殿が申していたことは誠なのか。私には、俄かには信じられぬ……」
広沢の意見に疑問を呈したのは、
「お言葉ですが、私には近藤殿が嘘をついているようには見えませんでしたが」同じくあの宴席にいた山浦鉄四郎が口を挟んだ。
「私とて近藤がわざわざ嘘を申しているとは思ってはおらぬ。だが、その話が本当に起こり得ることなのかと聞いている」
「確かに、肩透かしに終われば、長州との無用な争いを助長しかねませんな」山本覚馬が思案顔で呟いた。
「しかし……殿……!」
広沢が助けを求めるように容保を見た。
「広沢、山浦。少し様子を見て参れ。本当に援軍が必要な様子であれば、余の命で派遣しよう」
京都守護職として、藩として責任を背負っている容保の判断としては、それは苦渋の折衷案だった。そのことが皆わかっているので、全員「承知」と返事をすると広沢と山浦は早々に本陣を出た。
***
そんな話がされているとは夢にも思わない新選組の面々。会津藩の援軍を、今か今かと待っている。時刻は、宵五つ(午後八時)になろうとしていた。
「遅い……いくらなんでも……」勇がいら立ちを隠せない様子を見せ始めた。皆も、そわそわと落ち着かない様子でいる。
「もう来ねえんじゃねえか」歳三がぶっきらぼうに言った。
「土方副長、それは冗談ですかねえ?」さくらが皮肉交じりに言った。
「ばかやろう。こんな時に冗談なんか言うかよ」
歳三は、溜息をつくと持論を展開した。
「会津のお偉いさんは怖えのさ。大勢で出動したのに何もなかった、なんていう展開になるのがよ」
「そんなこと……!」
あるわけがない、と言おうとしてさくらは口をつぐんだ。ほんの一瞬、そうかもしれない、と思ってしまった。
「まあ、会津の皆さんにも面子というものがありますからね。わからないでもないですが」源三郎が言った。
「どうします?近藤先生」総司がニッと笑った。
勇は、うーむと考えた。全員が、固唾を飲んで勇を見つめた。
「行こう!我々だけで!」
「よーっしゃ!そう来なくっちゃな!局長!」左之助が拳を突き上げた。
「行きましょう!我々のような少人数の方が小回りが利くという利点もあるし」新八も同意した。
そうと決まれば早速行きましょう!と平助が意気込んだのを、歳三が「待て」と止めた。
「二手に分かれないか。ここから鴨川沿いに川のこちら側と向こう側を探しながら、長州藩邸近辺で落ち合うってのはどうだ。落ち合った段階でどちらも成果なしだったらその時また考える」
「うむ、そうしよう。人選は……おれに決めさせてくれ」
勇の発言に、歳三は満足げに頷いた。
「まず、おれと土方副長が一隊を率いる。源さん、土方隊の方を支えてやってください」
「承知」
「それと、おれの方には……」
勇の方は人数が少ないものの、総司や新八といった精鋭が選ばれた。さくらも勇の隊に入れられた。順番に名前を読み上げていく勇に「局長!失礼ながら!」と声がした。全員が声のした方を見ると、奥沢と木内が神妙な面持ちで勇を見ていた。
「我ら二人は別の隊に分けていただきたくお願いします」奥沢が言った。確かに、奥沢も木内も歳三の隊に振り分けられている。歳三が「なんだ、不服か」とぶっきらぼうに言うと、木内が続いた。
「昼間、私たちは賊を取り逃がしました。その罪滅ぼしと言ってはなんですが、それぞれの隊で先鋒となり命をかけて敵と相対する覚悟でございます」
「お前たち、そのことは気にせずとも構わんと……!」さくらが割って入ったが奥沢が「いいえ島崎先生」と遮った。
「どの道誰かがやらねばならないのです。ぜひやらせてください」
一瞬の沈黙。奥沢と木内の頑とした目に、勇が「わかった」と微笑んだ。
「では奥沢くんは、おれの隊に。代わりに、周平、土方副長の隊にいきなさい」
「いや」
否定したのはさくらだった。
「局長。周平はこちらで戦うべきだ」さくらはじっと勇を見つめた。勇は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて「ああ」と納得したような顔を見せた。近藤家跡取りのお手並みを拝見したいというさくらの思いが、伝わったようだ。
「では原田くん、土方くんの隊へ」
「ええ?俺!?」
「左之助さん、賭けましょうよ。どっちが当たりクジ引くか。負けたら飯おごりってことで」
平助の提案に左之助は「乗った!」とたちまち顔を綻ばせた。
「勝手な金策は切腹だぞ」歳三が睨みをきかせた。
「勝手じゃねえだろー。今こうやって皆の前で宣言してんだからよお」
左之助のもっともな反論に、その場にはどっと笑いが起きた。
「では、決まりだな。それでは、新選組、出動だ!」
勇の声に、全員が「おうっ!」と勢いよく声を上げた。新選組総員三十五名は、夜の闇へと飛び出していった。
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