58.適材適所

 山南は、人知れずため息をついた。

 大人気ない態度を取ってしまった。勇にも、歳三にも、さくらにも。それは自分でもわかっていた。だが、なんだか妙な意地が邪魔をして、撤回することも謝ることも、まだできないと思った。そんな自分が、心底嫌になった。以前は、こんなことはなかったのに。

 山南が部屋に戻ると、源三郎が「ああお帰りなさい」と朗らかに笑った。

「井上さん、私はまだまだ未熟ですね」山南はポツリと言った。

「何ですか?山南さんまで弱気なことを……」

「まで、とは……?」

「ああ、さっきまでさくらが……いや、あれは弱音というよりは、愚痴か」源三郎はクスリと笑みを漏らした。

「それは失礼。みんなの負の感情を井上さんが受け止めることになってしまう……」

「いやいや、私は全く構いませんよ」

 年の功だろうか。源三郎にはなんでもさらけ出せるような気がしてしまうから不思議だ。さて、何をどう話したものか、否、話さないべきかと山南が考えあぐねていると、

「サンナンさんっ!!」

 大声と共に障子が開いた。縁側には左之助が仁王立ちしていた。その左右では息を切らせた新八と平助が必死で左之助の着物の袖を引っ張って制止している。

「水くせえじゃねえか!腕のこと、黙ってるなんてよお!」

 山南は「言ってしまったのか」と新八を見たが新八が首をぶんぶんと振ったのでそうではないらしいと悟った。

「左之助、山南さんは俺たちに心配かけないようにだな」

「それが水くせえって言ってんだよ、なあ平助?」

「それは、僕も思わないでもないですけど、こんな殴り込みみたいなことしなくたって……」

「みんな、気づいてしまったのか」山南は落胆の色を浮かべた。

「僕を甘く見ないでくださいよ。なんたって同門ですからね。山南さんの太刀筋が変わったなーっていうのには気づいてましたよ」

「そうか。それは却って余計な気を使わせてしまって申し訳なかった。まったく隊務ができないわけではないから、これからもよろしく頼むよ」

「そういうわけだ、サンナンさん!今から島原行くぞ!」

「は、原田くん、今の話の流れでどうしてそうなる……?」

「左之助さんは、最初からこれが目的だったんですよ」平助がけろりとして言った。

「こいつなりに、山南さんを励まそうとしてるんですよ。よろしければ、一軒だけ。私たちでおごりますから」新八が援護射撃を打った。

 山南はちらりと源三郎を見た。

「行っておいでなさいな。私はまだ少しやることがあるから、遠慮しておきます」

「なんだよ源さん、付き合い悪いな」

「あまり大勢で屯所を空けるわけにもいかないだろう」

 結局源三郎も背中を押す形で、山南は新八、左之助、平助と連れ立って島原へと向かった。


 四人は小規模な揚屋に入った。山南は固辞したが、左之助がさっさと馴染みの置屋に言づけて芸妓たちを呼び寄せてしまった。

「随分慣れているな……」頻繁には出入りしない山南は、左之助のてきぱきとした采配に目を丸くした。

「山南さんと左之助さんを足して二で割ればちょうどいいでしょうね。僕も最近ようやく馴染みができてきたところですけど、左之助さんはもうニ、三人」平助が楽しそうに言った。

「そ、そんなにか……」

「山南さんも、少しは羽を伸ばした方がいいですよ」

 山南の脳裏に、昼間のさくらの顔がよぎった。唖然とした、絶望したような顔だった。

 ――さくらさんは、どうやって”羽を伸ばして”いるのだろう。

 そんなことを思ったが、まもなく女たちがやってきて、山南はそちらに気を取られた。

「初めまして。あんまり見いひん顔どすなぁ。明里あけさと、いいます。どうぞよろしゅうご贔屓に」

 明里と名乗った女は半ば強引に山南に杯を勧め、とくとくと軽快な音を立てて酒を注ぎ始めた。

 今はこちらに集中しよう、と、山南は杯に視線を向けた。揚屋で酒を飲もうというのに「集中」というのもおかしな話だと気づき、わずかに笑みがこぼれた。

「どないしはったん……?」

「え、ああ、いや、今夜は愉しい酒宴になりそうだと思いましてね」

「うふふ、それならうちもうれしゅうおすわ」

 明里は柔らかい笑みを浮かべた。山南はつられるように微笑み、礼を言ってから杯に口をつけた。


***


 この頃、新選組はひとつの岐路に立たされていた。

 新選組のいわば上司にあたる会津藩主・松平容保が、「京都守護職」ではなく「陸軍総裁職」に任命されたのである。つまるところ、幕府が計画していた本格的な長州征伐の指揮官というわけだ。幕府は前年の八月十八日の政変で都を追われた長州藩に対し、その反抗の芽を根こそぎ刈り取ろうとしたのだろう。

 そして、代わりに京都守護職に任命されたのが、福井藩の前藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがくであった。新選組は「京都の治安維持を担う組織」という立ち位置は変わらないため、今度はこの松平春嶽のもとにつくように、と沙汰を受けたのである。

 新選組としてはお上の命とあらば、と素直に従うのが筋であるが、彼らにも気持ちというものがある。特に勇は、すぐに首を縦に振ることができず、副長助勤を集めて意見を求めた。

 副長助勤を集める、というと、今までは試衛館の面々に斎藤や島田を足した程度であったが、腕前や能力、また働きを認められた面々が助勤に起用されており、全員集まれば今や結構な大所帯であった。

 勇はずらりと並んだ面々を見回し、「此度のお沙汰についてどう思うか、皆の意見が聞きたい」と告げた。

「それはもちろん、従うべきでしょう。我ら、京都の治安維持を担うために集まったのですぞ」こう発言したのは武田観柳斉たけだかんりゅうさい。甲州流軍学、すなわち武田信玄の戦い方を源流とする軍学を修めたということで、増えゆく新選組隊士を体系的にまとめるにあたって、重宝する知識を持った男だった。

「うむ、やはりそう思うか」勇はそう答えたが、腑に落ちない様子である。もちろん、それは正論だが、それを決断できないからこうして人を集めているのだ。そんな勇の気持ちがわかる者たちは、苦々しげに武田を見たが、武田は気づいていないようである。

「会津様には恩義がある。何物でもない私たちを拾ってくださった。ここで袂を分かつのは何か違うと思います」新八が言った。この発言はまさに勇の心情を代弁するものであり、主に古参の面々がうんうんと頷いた。

「そうですよ。それに、私たちって、京都の治安維持のために活動しているっていうのもありますけど、もともと攘夷が本懐でしょう?それだったら、長州征伐に加わった方がいいんじゃないですか?」

 全員が、えっ、と驚いた顔を浮かべた。それもそのはず、この発言の主が総司だったのである。今まで、「難しい話はお任せしますよ」といった態度であったのに、その「難しい話」に乗って自分の意見を言っているのだ。

「あ、皆さん、私がそんなこと言うなんて、って思ってますね?こう見えても山南さんの一番弟子ですから」

 いささか驚いたのはさくらだけではなかったようだ。得意げな表情を浮かべる総司から、今度は全員の視線が山南に向かった。山南はまあまあ、と手ぶりで皆の視線を逸らそうとした。だが、その顔には少し嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

「お前は近藤さんの弟子じゃねえのかよ」歳三が真っ当な突っ込みを入れた。

「もちろん、近藤先生の弟子でもあり、島崎先生の弟子でもあり。で、山南先生の弟子でもあるんです」

「ってえことはなんだ、サンナン先生の入れ知恵か」

「入れ知恵だっていいじゃないですか」

「やめなさい、二人とも」

 歳三と総司の果てしない言い合いに発展しそうだったのを、さくらが止めた。

 勇がコホンと咳払いをし、「他に意見は」と声をかけた。これまた比較的最近副長助勤となった谷三十郎が、「恐れながら」ともったいぶった調子で話し始めた。

 その間に、さくらは隣に座っていた平助にコソコソと話しかけた。

「総司のやつ、いつの間に」

「僕たち、山南さんたちのはす向かいの部屋でしょう。だからお見舞いに行ってるうちに、いろいろ話を聞くようになって。総司は一番弟子なんて言ってますけど、一番は僕ですよ」

「順番はなんでもいい」

「私語は慎みたまえ」

 歳三が得意げな笑みを浮かべ、偉そうな口調で言った。さくらは先ほどの仕返しをされたのだとすぐにわかり、ぐっと歳三を睨んで黙り込んだ。

 総司に先を越された、という大人気ない感情が芽生えた。

 山南の心を救い、あの何気ない微笑みを引き出すのは自分の役目だと勝手に思っていたが、よく考えれば、否、よく考えなくても総司や平助だって山南を兄のように慕っているわけだし、さくらの出る幕ではなかった。最近は何となく山南への気まずさとか、ギクシャクした気持ちが邪魔をして、総司たちのように無邪気に部屋に押しかけるなど、できない芸当だった。

 山南のことでもやとやと考えているうちに、いつの間にか谷の話は終わっていた。内容としては、大筋で武田の意見に賛同するものだったが、さくらはぼんやりとしか聞いていなかったので、細かい点では谷なりの持論があるのかもしれない。

 ――しっかりせねば。こんな調子では、「これだから女子は」と言われても仕方がない。

「うむ」

 勇は難しそうな顔をして考え込んだ。

「山南さん、どう思いますか。沖田の発言はあくまで借り物。あなたの口から聞いてみたい」

 借り物ってひどいですよ、とふてくされる総司に微笑ましげな視線を投げると、山南は「僭越ながら」と切り出した。

「我々の本懐は、公武合体の上での攘夷。その点は変わりません。そういう意味では、春嶽公に付いて京都の治安を守り続けることも遠からず本懐を遂げることへの一助になるでしょう。しかし、攘夷を成し遂げるためにより近道をするとすれば、容保公に従い、共に長州へと打って出ることだと考えます。それに、恩義ある容保公に従うことこそが、法度に掲げられている”士道”に従うことになるのではないでしょうか」

 勇は大きく、満足げに頷いた。山南の迷いのない意見表明に、いたく感服しているようだった。

「さすがは山南さんだ。やはり、そうですよね。我々は容保公への恩義を忘れてはいけない。早速、嘆願書を書こう」


 会合が終了すると、三々五々幹部たちは自室に向かったり道場に向かったりと大部屋を出ていった。

 さくらは特にこの後の予定はなかったこともあり、少し躊躇ったが、山南の後を追った。後を追ってどうするか、何と声をかけるか、そこまでは考えていなかった。ただ、現状を打破したいと思った。あの日以来、山南の怪我のことを知って以来、なんとなく気まずくなってしまって、さくらは山南とろくに会話を交わしていなかったのだから。

 山南は壬生寺の境内に入っていった。

 さくらは結局最後の踏ん切りがつかず、寺の門前で足を止めて中の様子を伺っていたが「島崎先生?」と背後から声をかけられ、「うわあっ」と驚いて振り返った。

 そこには、総司が不思議そうな顔をして立っていた。

「どうしたんですか、珍しい」

「め、珍しいも何も、屯所の目の前なんだから別にここにいても不思議ではないだろう」

「まあそれもそうですけど。島崎先生、たまには一緒にどうですか?」

「何を」

「近所の子供たちと遊ぶ約束をしてるんです。山南さんも一緒に」

「や、山南さんも?」

「そうですよ~。こう見えて、私たち人気者なんです」

 確かに、鬼だの狼だのと噂されていても近所の人から新選組が辛うじて受け入れられているのは「全員が全員悪い人ではない」と思ってもらえているからで、山南や総司はその「悪い人ではない」の筆頭だった。

 ささっ、とさくらを促し、総司は境内に入っていった。さくらはなんだか体の力が抜け、たらたらと総司についていった。

 山南はすでにそこにおり、本堂の階段に腰掛けて集まっていた子供たちと何かを話していた。

「おやさくらさん、珍しいですね」山南は朗らかな笑顔をさくらに向けた。

「ええ、まあ、たまたま通りがかったら総司に誘われて……」

 あはは、と気まずさを紛らわすように笑ったさくらだったが、子供たちが「サンナンせんせー、早く遊ぼう」と山南を引っ張るので、話などできる雰囲気ではなかった。ある意味、助かったとさくらは思った。

 結局数人の子供たちと大の大人三人が鬼ごっこだのかくれんぼだのと遊んで、最終的には子供たち対総司のチャンバラ合戦という流れになった。さくらと山南は石段に座ってそれを眺め始めた。

 さくらは、妙に緊張していた。何か話さねば。だが、自分の発する言葉が、失言となってしまわないかという不安が首をもたげる。だがそうかといって、沈黙も気まずい。

「あの」さくらはとりあえず声をかけた。山南は続く言葉を待っているのか、何も言わない。

「先ほどは、お見事でした。私はやっぱり、新選組が今後どうするのが一番いいか、とか、そういうのを考えるのは難しいと思ってしまうし、少し、怖い、と思ってしまうところもありますから」

 そうだ、と、さくらはいつか自分が山南に言われた言葉を思い出した。

『適材適所、それぞれが得意なことを生かして任務を全うすることで、新選組はより強固に、大きくなっていくんじゃないでしょうか』

「山南さんは、やはり新選組にはなくてはならない方です。腕の怪我のことがあっても、山南さんは山南さんで、その、適材適所っていうやつです。私は……私だけじゃない、勇も、歳三も、総司も平助もみんな、山南さんを尊敬しているし、必要としています。だから――」

「ありがとうございます」山南がそう遮った。その表情は、さくらが大好きなあの穏やかな笑顔だった。

「私は、情けないですね。さくらさんにも、近藤先生たちにも、心配をかけて」

「な、情けないなどとんでもない!それに、心配、させてください。私たちみんな山南さんのことは大切な仲間だと思っているし、だ、大好きなわけで……!」

 山南は、可笑しそうにクスリと笑うと、「ありがとうございます」ともう一度礼を述べた。

「この前は、大人気ない態度を取ってしまって申し訳ありませんでした」

「そんな、滅相もない。私の方こそ……」

「さくらさん」

「は、はい」

「これからも、よろしくお願いしますね。共に天子様、公方様のために戦って、あの子たちが大人になる頃には泰平の世が戻ってくるように」

 山南はそう言って、総司たちの方を見つめた。視線に気づいたのか、総司がこちらを見、「山南さん、島崎先生、みんな強いですよ!交代しませんか?」と声をかけた。

 さくらが山南を見ると、「行ってください」とばかりに頷いたので、さくらは「よーし、お前ら全員覚悟しろよー!」と輪の中に入っていった。


 この後、新選組は嘆願書を提出し、引き続き容保の配下として、必要とあらば長州へ出陣することも辞さないと表明した。そして、その嘆願書は無事に受理され、体調を崩していた松平容保をいたく感激させたという。もっとも、この長州征伐の話自体は頓挫し、容保も京都守護職に復帰することになって新選組の立場はもとに戻るのだが、この一件で新選組と会津藩の繋がりはより強固なものとなったのである。

 新選組は与えられた任務をまっとうするべく人集めに奔走し、稽古に明け暮れ、忙しい日々を送っていた。そんな中、さくらの新たな任務が決まった。

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